第2話 隠れ家と三人の女武者
我が国は平和主義を唱える国家だと、思っている日本国民はきっと多いだろう。俺もその一人だし、戦争なんてしたくないまっぴらご免だ。でも諸外国は日本をそんな風には見ていない、特に共産主義国や社会主義国は。
和を以て貴しとなす、これは聖徳太子の十七条憲法、第一条に由来する。争いを避け対話で問題を解決しようと、我慢強く事に当たる民族性が、今でも日本人の遺伝子に深く根付いているのだろう。
それは人として美徳ではあるけれど、日本人の弱点でもあり、嫌らしい国はそこを突いてくる。だが我慢の限界を超えたとき、それが国家存亡の危機であるならば、日本人は無自覚のうちに大和魂を発動する。
そんな日本人の気質を一番よく知っているのは、太平洋戦争でドンパチやったアメリカであろう。日本人の考え方を知ろうと、当時アメリカの
欧米の辞書を開けば特攻は『kamikaze』と訳されることが多く、敵と刺し違える精神が他国には理解できないようだ。ならば玉砕はどう訳すのだろうと、俺は考えてみる。負けると分かっていても、降伏せず白旗を揚げず、命を賭して一矢報いる。さしずめ『suicide run』だろうか、それを軍隊で組織として、敢行したことのある日本が諸外国は怖いのだ。
俺は自衛隊に特攻も玉砕もさせない、そんな命令は出さないし国民が認めない。みんな平和な世界を願ってるんだよ、対話で問題が解決するならそうしたいんだ。けれど日本を取り巻く情勢は、以前と大きく変わりそれを許してくれない。好きで防衛力を強化してるわけじゃない、強化しなきゃいけない状況に追い込まれたから、核と武力を外交カードに使うから、国を守るためにやらざるを得ないんだ。
でもね、核で脅すなら無力化すればいい、核弾頭が起動する前に海へ叩き落とせばいい。日本のオタク気質は、職人気質は、アニメやゲームばかりだと思ったら大間違いさね。
辛抱強く対話を試み続けた日本は、有事に備え粛々と技術を磨き装備を魔改造してきた。今の日本は兵員数で劣っていても、技術力は世界トップクラスだ。弾道ミサイルの迎撃に成功してるもんね。
そしてついに、日本は我慢の限界を超えた。ふつふつと湧き上がる怒りを具現化したのが今の隆市政権であり、俺は彼女のお誘いに乗ってしまったんだ。防衛大臣になれば自衛隊への取材はフリーパス、そんな下心もちょっぴり、いやかなりあった。
だが初めて面談した時に俺は見た、死ぬ覚悟でいる武将の姿を。平安時代後期の女武者、巴御前かってくらいの気高さに俺は気圧されてしまったんだ。
この人は命を捧げるつもりで総理になった、凶弾に倒れた阿部元総理のように、彼女もきっと狙われるだろう。それを承知の上で国会でも記者会見でも、強気な発言で国民に目を覚ませと檄を飛ばしている。その心意気に、俺はほだされたんだと思う。
「先生、大丈夫ですかぁ」
「その先生はよしてくれよ、倉持君」
「作家ですから先生ですしぃ、大臣ですからやっぱり先生ですよぉ」
公設第一秘書である
それにしてもこの子、隆市さんからの紹介だけど、国立大学の法学部卒と聞いた。普通なら弁護士や検察官を目指すもんじゃないのだろうか。でもこの間延びした話し方、裁判では迫力に欠けるだろうなと、俺は思わず内心で笑ってしまう。
「いま無性に腹が立ったのは、気のせいでしょうかぁ」
「何かの気の迷いだろ」
京子ちゃんはおっとりしてるようで、勘は鋭く取り扱い注意である。
しかし賢いのと成績が良いのは別問題。いくら勉強ができても、対人関係を上手に築けない者は孤立する。君はタヌキ属性で人からは好かれやすそうだ、なんて言ったらぶん殴られるだろうか。
「ところで次は総理官邸で閣議だよな」
「キャンセルになりましたよぉ」
「へ?」
「年頭の辞で先生は三島由紀夫の檄文を引用しましたぁ、もう与党も野党も大騒ぎですぅ」
「悪いけど俺、反省はするかもだけど後悔はしないんだよ」
「んふふ、先生のそういうとこ、好きですよぉ」
むふっと笑うこのタヌキ顔、可愛くて憎めないなと思う。
「そいつはどうも、閣議がキャンセルなら自宅に帰ってもいいのかな」
「実は隆市総理から、隠れ家においでってお誘いがありましたぁ」
「は? 隠れ家って……いったい」
「市ヶ谷にある居酒屋だそうですぅ」
もしかしてお説教かなと嫌な予感もしたが、お酒が飲めて腹を満たせるなら断る理由もない。三島由紀夫が自決した市ヶ谷駐屯地は、今では防衛省の統合作戦本部だ。その地域にある居酒屋ってのは気になるし、隆市さんが隠れ家と言うからには興味がある。小説家として、うずうずしてくるっしょ。
「ここ……なんだよね倉持君」
「住所は合ってますよぅ先生」
そんなお店の屋号は『武士道』だった、暖簾にそう書いてあるのだ間違いない。いやいや居酒屋だよね? 柔術や剣術の道場じゃないよね? ぱっと見は普通の民家だし、暖簾がなければ飲食店だとは誰も思わないだろう。
引き戸を開けて暖簾をくぐれば、右がカウンター席で左がテーブル席。大将らしき板前が「いらっしゃい」と目を細め、和服姿の仲居さんが「お待ちしておりました」と笑顔で迎えてくれた。そして奥には座敷があり、隆市さんがおいでおいでと手招きしている。
でも総理の両脇に座る女性を見て、俺は思わず腰が引けてしまった。経済安全保障大臣の小野田喜美と、財務大臣の形山さつきがいたからで、閣僚の女武者が三人揃い踏みだったのだ。
「倉持君」
「はぁい先生」
「カウンター席で好きなもの食べていいよ」
「ほんとですかぁ、嬉しい」
カウンターとテーブルにいる客の中には、きっと三人の秘書と護衛のSPも含まれているはず。京子ちゃんは隆市さんの秘書を見つけて「お久しぶりでぇす」と声をかけ、ちゃっかり隣に座ってお品書きを開く。ああ見えて情報を引き出すのは巧みだ、これもタヌキ属性が持つ特技であろう。
「やらかしちゃったわね」
「やっぱり私に対するお説教でしょうか、隆市総理」
「ちょっと待って、あなた一人称は『俺』でしょ。ここではお互い、名前で呼び合いましょう」
「は、はあ」
「正輝さんはきっと、自衛官の心を鷲掴みにしたのよ」
「そう……なのかな」
「あなたの言葉を借りるなら、国を守る
「その通りですよ総理……いえ早苗さん。民主主義国家に於いて、国防こそが最大の福祉ですから。国家あってこその生命、国家あってこその財産、国家あってこその自由です。
国が破れてしまえば、国民はその全てを失うことになってしまう。だから私は……俺は三島由紀夫の檄文を引用したわけで」
やりたいのは武力行使じゃない『憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか』であって、俺はあの場で自衛官の地位を明確にすると宣言したに等しい。国を守る防人の武者を、武士と認めない憲法はおかしい間違っている。
三人が目を細め、YouTubeの自衛隊チャンネルが面白いことになってるわよと告げた。海自も空自も陸自も、俄然やる気を出してるんだそうな。オールドメディアは報道しない自由よろしく取り上げないが、SNSではけっこう盛り上がってるらしい。
「こちらはお通しになります、お飲み物は何になさいますか」
「とりあえず生で」
「はい、少々お待ちを」
仲居さんが置いてったお通しを見ると、タコのぶつ切りだった。だがこの緑色は酢の物じゃなさそう、はて何だろうと頬張れば、なんとバジルソースではないか! 意外な組み合わせだけど美味しいし、ビールやサワーだけでなく日本酒にも合うんじゃなかろうか。お通しがこれなら、この居酒屋けっこう期待できるかも。
「世論を味方に付けた上、自衛官をその気にさせましたね」
そう言ってさつきさんが、ほれほれとお品書きを俺に差し出した。
この人は女性初の主計局主計官になった、元々は財務省の官僚だ。彼女に変な予算案を出そうもんなら、職員はこっぴどくやられるだろう。担当省庁を監督するのも大臣の仕事、財務官僚の言いなりにはならない、金庫番の女武者だ。
お品書きを受け取った俺は、みんなの手元にある皿に視線を落とす。女性はちょっとずつ色んな種類いっぱいを好む。刺身盛り合わせと海藻サラダ、だし巻き卵に生牡蠣を取り皿でシェアしてるっぽい。
「はい正輝さん、殻付き生牡蠣おすそわけ」
「あはは、喜美さんすいません」
彼女は米国人とのハーフであるが、日本国籍を取得しており戸籍も公開している。たまに出る岡山弁が小気味よく『田舎は熊と同じリングで戦っとるんじゃ、都会もんの理論でちゃーちゃー言うな』これは説得力がありました、笑ったけど。でもこれで熊被害の対策に、自衛隊を派遣しやすくなったのは事実。
高校教師の資格を持ち、ゲーム制作会社に勤めた経歴の持ち主だ。コンテンツ産業への造詣が深く、現代の若者に寄り添える女武者だろう。左側記者の変な質問を秒で黙らせるくらい、弁が立つし頼もしい限りである。
「大将がね」
「はい」
「そのままちゅるっと食べて欲しいそうよ」
「ほうほう」
喜美さんに言われるがまま、殻を持ち上げ牡蠣を口に流し込む。俺の出身は宮城県で、広島県ほどではないが養殖牡蠣の名産地だ。そう言えば岡山県も養殖が盛ん、出荷量は全国第三位だよなと思い出す。
「んんっ!」
「ね、美味しいでしょ」
「磯の香りとクリーミーな味わい、こりゃ上等な牡蠣ですね、喜美さん。何も引かない何も足さない、こいつに醤油やポン酢なんて邪道だ」
三人の女武者が、なぜかころころと笑い出した、俺なにか変なこと言った?
「私はね、正輝さんの架空戦記が好きなのよ」
「早苗さん、読んだんですか」
「海上自衛隊には基地だけでなく、艦艇毎に独自のカレーがあるでしょ。あなた取材と称して、ずいぶんと食べ歩いたみたいね」
「全制覇には至ってませんけどね。護衛艦『いせ』のちりめんブラックは秀逸、シーフードカレーにイカ墨を使うなんて発想がぶっ飛んでます」
外洋での生活が長くなると、海上自衛官は曜日の感覚が薄れがち。それを防ぐために、伝統として金曜日はカレーの日と決まっている。護衛艦『いずも』のオムカレーも、潜水艦『うずしお』のチキンカレーも捨てがたいと力説したら、また三人に笑われてしまったよ、俺なにか変なこと言ってる?
「正輝さんの架空戦記はさ」
「はい」
「自衛官の食事シーンが多いじゃない」
「言われてみれば、まあ確かに」
「夜中に読むと飯テロなのよ、どうしてくれるの」
「いやいやいや、それが俺の作風なんですよ早苗さん」
でも物語の中で人物が生き生きしており、そこがよいと彼女はにっこり笑った。自衛官を単なる兵士ではなく、血の通った人間として描いてるところが好ましいと。
「C国が小説の通りになってますね」
「最悪を想定したストーリーだったんですけどね、てか喜美さんも読んだの?」
彼女だけでなく、さつきさんも読んでるわよと、だし巻き卵をおすそわけしてくれた。最悪の事態で自衛隊をどう動かし日本を守るか、架空戦記だけど参考になるとお三方は言う。あ、だし巻き卵も美味しい。
「大将ぉ、あん肝くださぁい」
「あいよ」
それは聞き慣れた、京子ちゃんの間延びした声。ほうほうあん肝があるのかとお品書きを開けば、季節限定のページにあったありました。しかもタラキクやカワハギの肝合えまであるじゃない。旬の海の幸が満載、このお店いいねいいね。
日の本ニッポン 加藤 汐朗 @anaanakasiko
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