日の本ニッポン
加藤 汐朗
第1話 防衛大臣 伊藤正輝
――防衛大臣による年頭の辞。
日本で初の女性総理大臣に就任した、
正しく輝くと書いて
年頭の辞は本来 YouTube の自衛隊チャンネルと、文章によって公式に発表されるもの。それをよりによって隆市さんは議員会館で、報道陣を集めてやると言い出したのだからまいる。舞台の右袖に目をやれば、当のご本人がにっこにこ。後でどうなったって、俺は知らないからね。
「年末年始の折り、災害派遣に従事しておられる自衛官の皆様には、心より感謝申し上げます。ありがとう」
これは開口一番に俺として、いやひとりの日本人として、絶対に言っておきたかったお礼だ。東日本大震災では、俺の両親も被災して自衛隊に助けてもらった。その父はコロナ肺炎で、母は脳梗塞で他界したけれど、
「どうして私が防衛大臣なのか、不思議に思われる方も多いでしょう」
後ろの椅子には陸海空のお偉いさんが座っており、誰かがぷっと吹き出したのが耳に届く。そりゃそうだよね、防衛大学校を卒業して幕僚長にまで登り詰めたんだ。その上司が小説家じゃ、何かしら思うところはあるだろうな。
防衛大臣は政権与党の中から、派閥の力関係を見て決めるもの。だが隆市さんは、一般人を防衛大臣に指名してきた。つまり俺は民間から起用されたわけで、本業は小説家であり政治家ではない。ミリタリーは好きで自衛隊をモチーフにした、架空戦記の小説をいくつか出版してるけど。
「隆市総理から、好きに話して構わないとお墨付きをいただきました。本来ならば日本を取り巻く情勢と、我が国を守る装備計画などをお話しするところですが……」
一般人からの大臣起用は、前例があるから不思議なことじゃない。しかしそれは政治経済とか、金融やITとか、その道に通じた有識者だろうに。防衛大臣なら自衛隊出身で、国会議員になったヒゲの隊長がいるじゃないか。どうして彼女が俺を選んだのか、今でもよく分からない。
「細かい話しは後ろに控えている、幕僚長の皆さんにお任せします。これからお話しするのは、自衛官の皆さんに対する私からのお願いです」
報道陣からどよめきが起こる、特に左側の連中から。
背中においおいって声が来ましたよ、統合幕僚長の
架空戦記を執筆する上で自衛隊への取材は欠かせない。海自の幕僚長だった富樫さんは、何度かインタビューに応じてくれた気さくな人だ。国防に対する考え方で共感できるものがあったから、俺は迷わずこの人を統合幕僚長に指名したわけで。
『私は
『よく知っているね、その通り士官候補生は十五キロの遠泳を課せられる。何なら江田島に紹介状を書こうか? 泳げるようにしてあげるよ』
江田島とは広島にある海自の、幹部自衛官を養成する虎の穴だ。
初めて取材に応じてくれた富樫さん、そんとき彼は笑っていたが目は笑っていなかったなと思い出す。海に放り出された時点で、船乗りはサバイバルになる。泳げない者は生き残れず、海自は士官候補生を遠泳できるよう鍛え上げるのだ。どんな風に鍛えるのか、おっかなくて俺は未だ聞けずにいる。紹介状? いえいえ要りませんご免被ります。
「第一空挺団がいかに厳しい訓練を行っているか、レンジャー資格を得るために挑む訓練がいかに過酷か、私は物書きとして取材を通じよく存じております」
すんと鼻を鳴らしたのは、陸自幕僚長の花田さんだろう。あなたもレンジャー資格を持ってるよね、三ヶ月に及ぶサバイバルを経験したよね。あの訓練にパワハラもセクハラもモラハラもない、個人としての人間性を否定されるのだから。
生きて任務を全うするためのサバイバルであり、レンジャーに志願した陸上自衛官を俺は尊敬してやまない。挑戦に際し愛する家族や恋人に遺書を書く。それくらいの覚悟を求められる伝統があり、生半可な気持ちで達成できるものではないからだ。
「自衛隊を英語に訳すとJapan Self-Defense Forces、略してJSDFとなります。戦後の憲法九条により、意味するところにピンとこない国民も多いでしょう。しかし自衛官の皆さんは諸外国から見れば、日本国が自衛権を行使するための国防軍であり、対外的には紛れもない軍人なのです」
報道陣のざわめきが止まらないうるさい黙れ、俺がいま語りかけているのは自衛隊の隊員たちだ。偏向報道で国民を欺き続けた、オールドメディアなんぞに用はない。今はSNSの時代だよ、公共の電波を使い中立公正な報道が出来ないなら、さっさと自然淘汰されてしまえ。
「三島由紀夫の檄文を、引用いたします」
「それは防衛大臣としての発言でしょうか!」
左派の女記者が声を上げ、俺の話しを遮った。ちらりと隆市さんを見やれば、どうぞって顔で頷きやがった。そしてお付きの秘書に何やらごにょごにょと。ここは記者会見の場ではないから、記者団の問いに俺が答える義務は無い。やがて警備員が女記者の腕を掴み、会場から放り出す光景が目に映った。隆市さん秘書に指示して追い出したのね、俺が思ってること言っていいのね。
「われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているを夢見た。しかも法理論的には自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、ご都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来ているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけてきた。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった」
三島由紀夫の檄文を俺は引用した。
彼は作家だった、ノーベル文学賞の候補になるほどの小説家だった。彼は当時の市ヶ谷駐屯地を訪れ東部方面総監を監禁、そのバルコニーで自衛隊員にクーデターを促す演説、つまりこの檄を発したとされる。
三島は本当にクーデターを起こしたかったのか? いや違う彼の著作物を読めば分かることだ。クーデターに仕立て上げ情報操作をしたのは、お前たちオールドメディアだろう。
ペンは物理的な攻撃に対抗するための武器だ、俺も物書きだからそこんところはよく分かっている。だがそのペンも使い方を誤れば、他者を陥れ傷付け、国民を欺く凶器となる。その凶器となり得る力を行使するならば、双肩には報道としての責任がのしかかるだろう。お前ら自らの過ちを恥じ、その責任をとったことがあるのか?
三島は
だが、もしかしたら三島は最初から、死に場所を求めていたのではないだろうか。檄文の後半を、俺はマイクに向かい脚色することなく言葉にする。
「沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであろう。
生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」
そして三島は切腹し自決した、昭和四十五年十一月二十五日のことである。剣道と空手の有段者でもあった希代の作家は、死を持って国民に呼びかけたのではあるまいか、日本人よ目を覚ませと。
あれから現代に至るまで、自衛隊の立場は変わっていない。国防を担う自衛隊が軍として認められず、何のため武器を手にするのか明確にされないまま、三島が予見した通りになってしまった。当時の首相は三島を非難し、オールドメディアが事件を矮小化し、国民の目を欺いたその責任は重い。
防衛大臣に任命されながらも俺は戦争が嫌いだ、兵士を消耗品として扱う戦争ほど罪深い行為はないのだから。日本は未来永劫、領土的野心を持って他国を侵略することはない、そもそも国民が許すはずもない。
けれど日本にその気はなくとも、降りかかる火の粉は払わねばならない。その
竹島も尖閣諸島も、国際法上は日本の領土だ。それを他国が土足で踏みにじれば領土侵犯であり、戦争を仕掛けられているのと同じ。これはファンタジーではなく、現実に起きている重大問題であろう。
今までの政府は遺憾砲で言葉を濁し、やはりオールドメディアは問題を矮小化してきた。お前らいったいどこの国の人間だ? ここは日本だ日本民族の国だ。
「冒頭に戻ります。私は自衛隊を預かる防衛大臣として、自衛官の皆さんにお願いを申し上げます」
これから俺は自衛隊という、愛すべき尊敬すべき刀の鞘から剣を抜く。戦う相手は日本にちょっかい出してきてる国々と、お前たちオールドメディアに左寄りの政治家だ。俺が間違っていたならば三島じゃないけど、切腹して天皇陛下と国民に詫びる覚悟はもう出来ている。
「私は防衛大臣として有事の際、自衛官の皆さんに死地へ赴けと命じる時が来るかもしれません」
「あんた戦争を起こす気か!」
「どういう了見なんだ! 辞職しろ!!」
左派記者からの野次が止まらない。でも死を覚悟した
「軍人に対しこんな頼み事は甚だ失礼と存じますが、それでも私は自衛官の皆さんにお願いしたい。最前線でどんな窮地に陥りようとも、這いつくばってでも、その命を持ち帰って欲しい。国家と愛する家族や恋人のため、その命を捧げる覚悟がある諸君らこそ、武士道精神と大和魂を持つ君たちこそ、今の日本に必要なんだ、頼む!!」
思いっきり頭を下げたら、額と鼻を演台にもろぶつけてしまった。あ、鼻血が出てきたかも、痛ぇ。でも言いたいことは言った、日本海を挟んだ向こうは猛抗議してくるだろう。国会も紛糾するだろうし、ただでは済まされない。
だが自衛隊を、日本の国防を担う防人を、ないがしろにしているのは許せない。俺は弁が立たないし、石原慎太郎さんのような論陣は張れない。それでも戦うと決め、愛すべき尊敬すべき自衛隊という剣を鞘から抜いたんだ。
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