第14話 休日出勤

 今日は休みだったけど、人手が足りないらしく、上から、「何時でもいいから、出てくれないか?」と言われたので、私はお昼近くの電車に乗って、職場へと向かった。

 簡単なデータ入力の仕事にも期限がある。

 新聞の折り込み広告で見つけた仕事だが、勤続年数も長くなり、仕事帰りに同僚達と食事に出かけたりするようにもなっていた。

 立春を過ぎたとはいえ、まだ寒く、今朝も、お隣、安沼さんの駐車場を借りてる安倉さんに六時前に起こされたとはいえ、スーと布団で温々していたかったのだけど。

 「その分、多めに出す」ということだったので、まあ仕方がない。

 職場もS阪へ移転して遠くなり、親の介護や、病気で退職した人たちもいたから、なかなか人が集まりにくいのかも知れないけど。

 この後は、出産退職する同僚の送別会だった。

 幹事によれば、野菜とお肉の蒸し料理ということで、ちょっとわくわくしてるけど、私はこれ以上仕事が忙しくなるのはちょっと嫌だった。

 ヘルプマークを必要とするほどじゃないけど、身体もあまり強い方ではなく、休日は半日以上寝てる時も多いし。

 ちょっと、こないだ会った糸世いとせとかいう子のことを思い出したけど、私はわざと思い出さないようにした。

「呼んだ?」

 私がぎょっとしていると、糸世は笑って、

「やあやあ、また会ったね!」

 と私の隣に座り、両手で私の手を包んだ。

 セーラー服……。

 ちょっと懐かしいなと思ったけど、もう珍しいんじゃないだろうか。

 私が俯くと、彼女は笑って、

「そうか、また来るよ」

 と言った。

 再び動き出した景色の中で、私がきょとんとしていても誰も気にとめない。

 それなら、ちょっとくらい血を貰ってもいいんじゃないか?と思ってしまった。

 漫画みたいな話だけど、それで、いつか乳歯が抜けてしまう不安から解放されるなら。

 ネットには、子どもの頃に矯正しておけば何とかなったように書かれていたけど、そんなの私は知らなかったし、子どもの頃からずっと行ってた歯医者さんにも言われたことがなかった。

 最近だって、しつこくインプラントをすすめられたことがあっただけだ。

 だったら、吸血鬼みたいに人に追われるわけじゃないんだし、糸世の提案を受け入れてもいいような気がしてきた。

 私が次に会ったら、糸世の提案を受け入れようと覚悟を決めた時だった。

 突然、電車が激しく揺れて、車内に動揺が走ったのは。

 ……地震?

 私が戸惑っていると、

「こっち!」

 という糸世の声が聞こえた。

 私は電車に乗り込んで来る足音を聞きながら、何も考えず、糸世の声に導かれていた。

「早く!」

 電車の連結部分から伸ばされた糸世の手を私が掴むと、

「いたぞ!仲間だ!」

 という数人の男の声が上がった。

 ……仲間?!

 そのテンプレみたいなセリフは何なんだ……。

 これじゃあ、まるで、私が悪いことでもしたみたいじゃないか……。

 混乱していると、糸世にぐっと手を引っ張られた。

「飛ぶよ!」

「逃がすな!」

 空気銃のような音がして、糸世に向かって弾が放たれ、

「くっ!」

 糸世の頬をかすめた。

「こんの分からずや!」

 糸世は私の手を掴んでない方の手で、何かを編み出すと、声がする方へ投げつけた。

「吸血鬼め!」

 私は、はっとした。

 ……吸血鬼?私が?

 糸世はにっと笑うと、

「ちょっと血を貰うよ!」

 と言って、私の手を離した。

 連結部に放り込まれた私は、彼女が顔の見えない集団に向かって行くのを見ていた。

 彼女は言葉を発することなく、風を操ると、一瞬で、彼らを電車の外へと放り出した。


「お待たせ~~」

 右手をひらひらさせて、彼女は笑っていたけど。

「ああ、しんど」

 と言って、私の隣へ座ると、両手で顔を覆ってしまった。

「疲れたーー!ただちょっと血を貰うだけで、誰も殺したりしないのにね、」

 何と言って声をかけたらいいか分からず、私が黙っていると、

「「吸血鬼」になると、命を狙われるかも知れないから、君も気をつけた方がいい」

 と弱々しく笑って言った。

 私は今更座席に戻る気も起きず、

「木の杭を心臓に突き刺されたり、聖水をかけられたりするんじゃなくて、銃なんだ……」

 と言った。

「そう」

「私も、「吸血鬼」になったら、あんなのに追っかけられるの?」

 糸世は目を丸くしてから、

「残念。君は、もう、私の仲間になったと思われてたよ」

「そう、みたいだね」 

 さっきの顔の見えない集団のセリフを思い出して、私は言った。

「「吸血鬼」の世界にも、冤罪で殺されることがあるの?」

「あるよ」 

 糸世の顔からは笑みが消えていた。

「私達はほんの少し他人の血を必要とするだけで、彼らの言う「吸血鬼」になった子達はいないのに、ある日突然彼らに襲われて殺された」

 彼女はまたチェシャ猫みたいに笑うと、

「殺されても、私は、しばらくすると復活するけどね」

 と言って、床から立ち上がった。

 スカートについた汚れを払い、

「行こう」

 私に向かって、まっすぐ右手を差し出した。

 糸世の左頬からは、傷が消えていた。

 おずおずと私が彼女の手を握り返すと、強く握り返された。

 ーーもう、休日出勤どころではなかった。

 糸世は私の手を握ったまま、どんどん車両を移って行く。

 歩いているうちに、身体がふっと軽くなって、私は電車の外へと出ていた。

「糸世!」

「あ、秀人ひでと!」

 糸世の前には、電車でよく一緒になる、黒系のスーツを着こなしたお洒落なあの男性がいた。

「……彼女は?」

「コンタクトしてた時に、やつらに襲撃されちゃって……」

「そうか」

真中まなか?」

 無意識に繋いだ糸世の手に力を込めていたらしく、私は声をかけられて、

「あ、ごめんね、痛かった?」

 と言って、そっと糸世の手を離した。

「ううん、大丈夫」

 んーー!と糸世は伸びをすると、身体をバキバキと鳴らした。

「それで、連れて来ちゃったのか?」

「うん」

 糸世がにっと笑うと、秀人はやれやれという風にため息をついた。

「真中の気持ちも固まったみたいだったし」

 ね?という風に顔を向けられて、私は「うん」と頷き返した。

 糸世の誘いにのることで、あんな怖い目にあうなんて知らなかったけど。

 それでも、私は、もう、この歯に振り回されることなく生きたかった。


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土曜日の話。 狩野すみか @antenna80-80

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