23センチ かわいい鳥の刺繍
「うわ。すごい焦げついてる。火を強くして煮ちゃった? 火加減は弱火か弱中火がいいと思うよ」
換気扇を回していてもキッチンとリビングに充満する焦げた匂い。中くらいの鍋の底に真っ黒になったカレーがたっぷりだった。上の部分も焦げ臭さがしっかり残ってるからちょっと食べられそうもない。
「弱中火?」
「うん。基本的に火の強さは鍋の底の大きさに合わせて決めるの。これくらいだね」
つまみを調節して、弱火、弱中火、中火、強火の場合それぞれを実演してみる。
今日は夏休みの二日目。今、わたしは渡合くんの家でキッチンに二人並んで立っている。
「強火って火力を全開にすることだと思ってた。いつまでも自分の飯くらい作れないなんてかっこ悪いよな」
「そんなことないよ。いきなり上手にお料理なんてできないから。わたしだって小学生の頃からちょっとずつできるようになっていったんだし」
ほんの少し前。平日だから両親とも仕事に行っていて、お昼ご飯を作る前に一人お掃除をしていたところに玄関のチャイムが鳴った。荷物が届く話なんて親から聞いてないと思うけどなあ。なんて思いながら玄関モニターを見たら渡合くんの姿があった。
『蒼空くん!?』
『急にごめん。今ちょっといいかな?』
『すぐ行くね!』
玄関ドアを開けると渡合くんが少し恥ずかしそうにとても申し訳なさそうにしていた。
『どうしたの?』
『や。その、カレーを作ろうとしたら失敗しちゃって……料理の作り方を教えてください! 夏休みの間ずっとコンビニ飯はもう嫌なんだ!』
泣きそうなくらいの顔で懇願する渡合くんに思わず笑ってしまった。わたしに頼りにくるなんてよっぽどなんだね。
そんなことを思い出し笑いしてた。
「具材はまだあるんだよね」
「余分に買ってある」
「今から一緒にカレー作ろうね」
一緒にと言った自分の言葉に心臓がドキリとしてしまう。
「ご教示お願いします」
渡合くんが大真面目に頭を下げた。そんな感じでお昼ご飯作りが始まった。
「コンビニだけじゃなくて外食はしないの?」
「や。それだと食費が足りなくなるからさ。親には自炊するってことで一人暮らしを認めさせたから」
「自炊? もしかして今日が初めて?」
「……はい」
思いっきり顔を赤くして視線をそらしてる渡合くんがかわいい。たぶん入学前からだろうからかれこれ4ヶ月? ずっとコンビニご飯じゃ飽きもするよね。わたしのお弁当を喜んで食べにくるわけだ。
「……あの。もし良かったら作りにこようか? 毎日」
そんなことを下から覗き見るように聞いてみる。背が低いからきっと上目遣いになってる。これのせいであざとい女だと女子から勘違いされることがあると一学期の間に学んだ。
「え! それは嬉しい!」
「じゃ、じゃあそうするね」
どうしよう。渡合くんが嬉しいだなんてわたしも嬉しい。胸がウキウキしてしまう。
日向子ちゃんに言われた通り、うっかり通い妻みたいなことになってしまいそう。
「いや待って、それはさすがに申し訳ないよ。ちゃんと自分で作るから大丈夫」
くるんと変わる話に胸がズーンと重く沈んでしまった。
「で、でも焦がさないで作れる?」
友達でいると決めたのに食い下がってしまった。でも渡合くんの食事事情が心配だし。それにまた体を壊さないようにしっかり料理を作れるようになった方がいいよね?
「自信ない……」
これはもしかしてもうちょっとで。
「……お料理がある程度できるようになるまでお昼ご飯の時だけ作り方を教えにこようか?」
「お願いしてもいいかな!?」
「うん!」
二つ返事で返ってきた。ご飯の力は強いなあ。
そんな話をしながらカレー作りを進めて具材に火が通ってから煮込むこと20分。その間に焦げついたお鍋を丁寧に洗っておく。
「はい。できあがり」
お皿に炊きたてのご飯をよそってとろみのついたカレーをかける。食卓にカレーライスを一人前。
「大森さんはお昼食べたの?」
「ううん。まだだよ」
「それなら……一緒に食べてく?」
「え。いいの?」
「もちろん。大森さんに作ってもらった料理だし(作ってもらったのに帰すだけなんてできるわけがない)」
もう一人前、食卓に並べて一緒に食べることになった。食卓の向こうに渡合くんがいる。嘘。もしかしてこんな幸せなことがしばらく毎日続くの? 夏休みの間は夏祭りしか会えないと思っていたからすごく嬉しい。うっかり顔が緩んでしまう。
「うまい……大森さんうまい。ありがとう。めちゃくちゃ嬉しい」
涙を流すような勢いで感謝の言葉を言われてしまった。そこまで喜ばれると作ったかいがあるよね。渡合くんが買ってきてあった食材で作ったから割と簡単なカレーだけど、クミンやガラムマサラとかいろんな調味料が豊富にあったからアレンジできた。お母さんがこだわるお料理するなのかな?
「おいしかったなら良かった。あの……夏祭りに早瀬くんも誘ったんだね?」
こんなこと聞かなくもいいのに聞いてしまった。
「ああ。誘ったわけじゃないけど……」
「みんなで楽しめたらいいね」
「そうだね」
なんだろう? 渡合くんの表情が少し硬い。
「えっと……猫じゃらしとか猫のおもちゃがいっぱいあるけど猫を飼ってるの?」
床やソファにある猫グッズ。前にきた時は必死すぎてあまり気にしなかったけどキャットタワーもあるし猫用の給水機や自動給餌機まである。
「あ。もしかして猫ダメだったりする?」
「ううん。猫は大好きなの」
「そうなんだ。俺も……その……猫と遊ぶのが趣味でさ」
なるほど。それでこんなに猫グッズがあるんだ。だけどそんなに言いづらそうにすることかな?
「あれ? 自己紹介の時は趣味がないって言ってなかった?」
「や。猫と遊ぶのが趣味ってなんか言いにくかったからさ」
照れくさそうに鼻の頭をポリポリとかく渡合くんがかわいい。
「そんなことないよ。わたしも猫と遊ぶの大好き。わたしの家にもわたしが生まれた時から一緒にいたチルっていう名前のおばあちゃん猫がいたんだよ。高校入学前に死んじゃったけど」
あの時はすごく悲しくて死ぬほど泣いてしまったんだよね。今は高校生活が楽しくてチルがいなくなった傷もすっかり癒えてる。
「(入学前……か)チルっていうんだ? うちの猫の名前、ミチルっていうんだけど」
「似てるね! うちはお母さんが名前をつけたんだけど渡合くんのお家は?」
「……
にゃ〜ん。
鳴き声のする方を振り向くと壁に設置された猫用の扉から猫が顔をのぞかせていた。
「あ! にゃんこだよ! うちのチルと同じオレンジにゃんこ! かわいいー!」
駆け足でやってきて食卓に飛び乗ってきた。チルは歳のせいでこんなに素早く動かなかった。すらりとスリムでかわいい。まだ歳が若そう。
「女の子?」
「うん」
渡合くんの腕にすり寄って甘えてる。
チルはおばあちゃんでミチルちゃんは女の子。茶トラの猫が女の子なのはかなり珍しいと聞いたことがある。なんだか……運命を感じてしまう。
「こら。鼻を押し付けるな。濡れる」
か、かわいい。にゃんこと戯れる渡合くんがかわいい。あんまりかわいすぎて……
「大森さん? なんで写真撮ってるの?」
「え? いやあの。にゃんこがかわいくて」
うっかりスマホを取り出して撮影していた。にゃんこと渡合くんのツーショットがかわいい。こんなに上手に撮影できたのは初めてかもしれない。これは……プリントして部屋に飾ってしまいたい。
「あ! こら! ミチル!」
食卓に置いたままだったカレーライスのお皿をうっかり踏んでひっくり返して被ってしまうミチルちゃん。
お皿はもちろん洗っていないからカレーの跡が残っていてミチルちゃんにカレーがついてしまった。
「拭かないと。あ。新しいタオルあるかな?」
キッチン用のタオルは色々拭いて汚れていた。ヒトの家だからタオルがどこに置いてあるかまでは分からない。
「すぐ出すよ」
そう言ってリビングにある棚の引き出しを開けっぱなしにして取り出したのはワッフルの青いタオルハンカチだった。
「それって、わたしがもらったものと同じ?」
「ああ。うん。大森さんにあげたものと同じもの。実は何枚かあるんだ」
そう言って引き出しにしまってある同じものを見せてくれた。サイズ違いのものもあった。そうか。何枚もあるから気軽にくれたのかな?
「鳥の刺繍も全部についてるね。全部に手縫いってすごいね」
手縫いの刺繍。決して上手ではないけど丁寧に縫われたかわいい鳥の刺繍。
「ああ。母さんと彩羽が縫ったんだ。俺の高校入学と……彩羽の中学入学用にってね」
「そんなに大事なものなんだ。わたしがもらっても良かったのかな?」
「もちろん。何枚もあるし。それに……大森さんを助けることができてきっと彩羽も母さんも喜んでるよ」
「喜んで……うん。大事なものをありがとうございます」
微笑む渡合くんの笑顔の中に悲しさと寂しさを感じとってしまう。わたしの心にもその悲しさが伝わってくるようで手をぎゅっとしていた。
「ミチル。拭くからおいで」
渡合くんがミチルちゃんを持ち上げてタオルハンカチで拭こうとしたら、うにゃっと鳴き声を上げてするりと避ける。猫用の扉から逃げられてしまっていた。
「あーあ。布団にカレーを付けられそう」
「にゃんこはグルーミングするから舐めとっちゃうんじゃないかな?」
「辛口でふぎゃあって言うかもね?」
「うわ。それはちょっとかわいそうだね」
そんなことを想像して笑ったら渡合くんも笑い声を上げてくれた。少しだけ悲しさが解けてる。渡合くんといると楽しい。わたしと一緒にいて渡合くんも楽しいと思ってもらえたら嬉しくて幸せ。
「一学期は色々あったけど楽しかったよね」
「う……色々……」
渡合くんがちょっと顔を青くして硬直してる。
あ。もしかしてわたしの告白を断ったことを思い出してる?
「えーと。蒼空くんて困ってるヒトを見つけては助けに行ってみんなに優しくできてすごいよね」
「や。そんなことないよ。ほんとは優しくなんかないんだ、俺は」
「でもみんなそう思ってるよ」
「俺は小学の時も中学の時も悪ガキでみんなを困らせて自分勝手で周りのことなんて見てなかったよ」
「そうなの? 全然そんな印象ないくらい優しいよ」
「ヒトには優しくしろってさ。特に女子には……母さんと彩羽によく言われてたから」
二人が写るフォトフレームに視線を送る渡合くんの瞳にとても悲しい色が混じってる。まるで降り止まない雨のような色だった。
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