生まれ変わったら何になりたい?
根倉獺
生まれ変わったら何になりたい?
生まれ変わったら何になりたい?
どういった経緯でそういう話になったのかは忘れてしまったが、さらりと彼女は僕たちにそんな質問を投げかけてきた。
「俺は猿山のサルになりたい」
一番に答えたのは僕の親友の浜尾だった。浜尾はあっけらかんとしていたが、それがたった今思いついた答えなのか、それとも前々から考えていた答えなのかは、どちらとも判断ができなかった。
しかし、浜尾は深く考え込むことはないが、人の質問を茶化して返すような人物ではないことを、僕らは重々承知していたから、これは彼の本心であることは疑いようがなかった。
「どうして猿山のサルになりたいの?」
「お山の大将になってみたいってこと?」
彼女が詳しく答えを聞きたがると、彼女の隣にいた須山が意地の悪いことを言った。須山はいつも斜に構えた物言いをする女の子で、嫌味や皮肉をよく口にする。けれど、言われた当の本人の浜尾は気を悪くした様子もなく、彼女たちの問いに答えた。
「いや、別にサルの大将になりたいわけじゃないんだ。俺は猿山に登ってみたいんだよ。動物園に行くと、猿山にサルがいっぱいいるだろ? 山の上から下まで、ふんぞり返っているサルや走り回っているサル、辺りを見回すサルなんかがいる。で、俺たちはそれを観るわけだ。けどさ、俺たちは見るだけで猿山には入れないんだ。あの山の一部になれないんだよ。猿山っていうのは穴の中にあるだろ? 上から見る俺たちと猿山には溝があって、俺はなんだか悔しい気持ちになるんだ」
浜尾の答えに彼女は頷き、須山は首をひねっていた。他の面々も、須山同様にピンときていないようだったが、浜尾は満足げに話を止めた。
「よく分からないが、分かるような気もする」
曖昧な言葉を発したのは、小田だった。小田は医者の息子で頭のいい男だった。知的な彼がそう言うのだから、きっとそう言うものなのだろうと皆が曖昧に頷いた。
「うーん……浜尾とは全く違うんだけど、僕は猫になりたいな」
二番手を切ったのは、授業中よくうたた寝をしている浅野だった。
「猫みたいに何にも急かされずに、自分勝手に生きてみたいものだよ」
浅野の明瞭な答えに今度は皆しっかりと頷いた。須山なんかは浜尾の時はちんぷんかんと言わんばかりの困った顔をしていたくせに、浅野には呆れた顔で「あなたらしいわ」と言った。
「あ、あの、私は生まれ変わっても人間がいい……んだけど」
そう言ったのは豊岡だった。豊岡は大人しい女の子で、人の間でよく縮こまっている子だった。だから、そんな豊岡が積極的に意見を口にしたのは珍しかった。皆がしっかりと聞く姿勢を整えた気がした。
「あら、豊岡も? 私もそうよ。やっぱり人間が一番いいに決まってるわ」
そんな中、どうやら豊岡と同じく『生まれ変わるなら人間』だった須山は同意見を持つ人間がいたことに気をよくして、口を挟んだ。そして豊岡を押しのけて持論を展開し始めた。
「私、生まれ変わっても人間の女の子がいいわ。それで、お金持ちで、可愛くて、頭のいい子になりたい。レースやフリルがたっぷりのヒラヒラの服を着て、ショーウインドウが並ぶ道でガラスに自分の姿を映しながら歩くのよ。誰もが私を羨望の眼差しで見て、敬意を示す。私はその眼差しを背にガラスににっこり微笑むのよ」
須山の意外に乙女チックな話に皆はどこか居心地が悪そうな顔をしていた。僕もなんだかお尻がむず痒いように感じた。
須山はしばらく夢見ていたが、我に返って周りの表情を見て拗ねた顔をした。
「なによ。あんたたちはそう思わないわけ?」
少しばかり頬を赤らめた須山に対して、彼女と小田と浅野は頷いた。けれど、僕と浜尾と豊岡は首を振りはしなかったものの、頷くこともできなかった。僕は須山の答えに対して、浜尾の時と同様に、共感はできないが、だからといって否定もできなかった。
豊岡は少し困った顔をしていた。どうやら須山とは同意見ではないらしい。
「えっと、私は人間に生まれ変わりたいんだけど、自分とは全く違うふうになりたいの。まったく逆の人生を送ってみたい。だから、男の子に生まれ変わりたいし、お金持ちでも貧乏でもいいし、かっこよくてもかっこ悪くても、頭が良くても良くなくてもいい」
「それ、幸せなの?」
須山が眉根を寄せて豊岡に聞いたが、豊岡は、
「幸せじゃなくてもいいの」
と返した。
須山はさっぱり分からないとばかりに首をひねっていたが、その横に座っている彼女はしっかりと頷いていた。
「うむむ、みんな自分なりに考えている中恥ずかしいんだが、僕はやはり生まれ変わったら貝になりたいよ」
小田は長い前置きを置いて、そう答えた。
「元は映画の言葉だったかな? なんだかよく聞くもので申し訳ない。でも、僕には、人にも、何にも干渉されない静かな暮らしが一番合っているように思うんだ。そう考えると、やはり貝が最もしっくりくる」
須山は今度もやはり首をひねっていた。そして彼女は今度もやはり頷いていた。そんな彼女が目に留まったのか、小田が彼女へと尋ねた。
「なんだか全部に頷いてないか? 結局、君は何になりたいんだ。畑山もだぞ!」
突然、名前を呼ばれた僕はつい固まってしまった。僕は彼女の問いにさっぱり答えを持っていなかったのだ。
結局、僕は彼女の問いに答えることができなかった。そして、彼女自身も答えを口にすることがなかった。
その日の夜、僕は夢を見た。
僕の周りには、サルがたくさんいた。そして、そのサルたちは上り坂の上に行くほど大きく、強そうであった。そして、上り坂の一番上、頂点には一際強そうなサルがどっかりと腰を下ろしていた。そのサルはまるで、この世のすべては自分のものだと言わんばかりに周りを見下ろしていたが、山はぐるりと四方をコンクリートに覆われ、頂点のサルの視点は柵の向こうでサルたちを眺める人間たちより少し低いぐらいだった。
そうか、ここは猿山なのか。ぼんやりと事態を把握した僕はきょろきょろとあたりを見渡して、少し歩いてみることにした。
コンクリートの壁は高く、猿山は他とは隔絶した別の世界のようにも思えたが、僕にとってそれはあまり魅力的ではなかった。それよりも、もっと猿山の上に行き、周りのサルたちを見下ろしたいという欲求の方が強かった。
しかし、少しでも上に行こうとすると、上にいるサルたちが鬼の形相で下りてきて、僕を引っぱたいた。そして僕は泣く泣く逃げて、猿山の下をうろうろとするよく分からないサルになってしまった。情けないという気持ちと共に、猿山は自分にとって素敵な場所ではないのだという気持ちが溢れ、悲しくて僕はずっと泣いていた。
気付けば、あたりは猿山ではなくなっていた。毛におおわれた体は以前より細く、身軽になっていた。地面はフローリングに代わり、あたりには大きな家具が立ち並んでいた。
僕は一度大きく伸びをして、猫皿に盛られたキャットフードを口にした。なかなか美味で、僕は舌鼓を打った。その後は、近くにあったお気に入りの毛布に寝そべり、毛づくろいをした。僕に指図する者は何もなかったし、微睡の中のような気持ち良い日々が続いた。飼い主は僕を溺愛していて、気が向いたら遊んでやったし、甘えたくなったら甘えてやった。
けれど、猫の生活は僕にとっては退屈でもあった。退屈で退屈で、欠伸をすると涙が出た。
そして、僕は大きな声で鳴き声を上げていた。
なぜだか苦しくて苦しくて、そうしないと息ができなかったからだ。ずっと泣き続け、いると僕はどんどん大きくなり、二つの足で立つようになっていた。
覗いた姿見には美しい少女の姿があり、僕の動きに合わせてその像は動いた。
フリルとレース、きらきらのビーズ、淡い色の可愛い服をまとって僕は道を歩いた。道行く人たちは僕を様々な目で見ていた。悪い気はしないが落ち着かない。それが素直な感想だった。
僕はその後も様々な人間に変わっていった。男の子にも女の子にも、裕福にも貧乏にも、容姿に恵まれたり恵まれなかったりした。そんな中、かっこいいときもかっこ悪いときもあったし、時に賢く、時に愚かに生きていった。その人生は、辛くて厳しくて、僕はしょっちゅう泣いていた。
そうして僕は、今度は貝に生まれ変わっていた。静かな海の中、自分が立てた音だけが反響する。何か他の音が聞こえても、それはどこかくぐもっていて遠く感じる。
静かだ。僕の心をかき乱すものはここには何一つない。僕は解放されたのだ。ゆっくりとした幸福感が僕を包んだ。
しかし、幸福に包まれた後も、何かが足りない気がした。この静寂以外何もいらないと思いながら、僕は何かを欲していた。その何かを考えると、今度はそれ以外の何も欲しくはない気がして、僕は恐ろしくなった。
気付けば僕は泣いていた。鳴き声は泡となって上って行った。涙は海水にまぎれて、出ているのかさえも分からなかった。
そんな中、プククク、プククと笑い声のような音が聞こえた。音の方を見ると、僕と同じような二枚貝が貝の端から泡をこぼしていた。
僕はその貝を見て、彼女に違いないと思った。ただの貝を見て、どうしてそう思ったのかは分からない。でも、僕はそう確信していた。
すると、僕の気持ちは平穏に戻り、辺りはまた静かになった。僕は彼女に話しかけようとした。こんなところでどうしたの? 君は貝に生まれ変わりたかったの? そう話しかけようとしたが、言葉は音にならず、泡になって、彼女に届くことなく上へと浮かんでいった。
何度試しても言葉は、コポリ、と小さな泡になって浮かんでいった。コポリ、コポリ、と僕からも彼女からも泡は生まれて上っていった。
目が覚めると、僕は泣いていた。
次の日、学校に行くと彼女は何故だか目が赤かった。そして、再び僕にあの問いを投げかけたのだった。
「生まれ変わったら何になりたい?」
僕は夢の内容を思い出しながら、彼女へと答えた。
「うーん、僕には、猿山は窮屈だし、猫の生活は退屈すぎる。人の生活も賑やかすぎて落ち着かなかったし、貝の生活は寂しすぎる……、でも全部悪くなかったような気もする。でも、もしもどれか一つを選べと言われたら、猫かな」
僕の答えに彼女は意外そうに眼を開いた。
「へぇ、浅野君と同じね。理由も一緒?」
「いや、理由は違うよ。でも、それは内緒だ」
そう言うと彼女は残念そうだった。
「ねえ、そういう君は何になりたい?」
「そうねぇ……」
そう聞くと、彼女は少しの間黙ったけれど、すぐ無邪気な笑顔を僕へ向けた。
「今の人生を過ごした後、思い残したことができるモノとかどうかしら?」
「へ?」
「のんびり出来なかったら猫に、静かに過ごせなかったら貝に、寂しかったら人に、とか」
なんだかはぐらかされた気がする。少しの不満を感じながらも僕はそれ以上追及する気にはなれなかった。何と言っても不毛な話だから、答えがない。当の彼女は自身の答えに満足そうに頷いていた。
「ふふ、でも今日はお喋り出来て良かった」
その日の彼女はなぜか上機嫌だった。
生まれ変わったら何になりたい? 根倉獺 @miki-P
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