なんで私がやらなきゃいけないんだ
おはよう。と、誰かとあいさつを交わすことは相手を問わずほぼ無い。ごくまれに、おそらくほんの気まぐれで、すれ違いざまに声を掛けられることはある。
「三島さん、おはよ~」
「………あ、…」
大概こんな感じになってしまう。どう返したらいいのか。そりゃ「おはよう」であろうけど。それはわかってる。問題はその時の態度だ。掌を挙げてにこやかに、口角を上げてニヒルに、ぱぁっと明るく元気よく。
いやあ、どれも正解ではなさそう。こんな感じに逡巡する間にタイミングを逃していく。この何秒間かを誰も待ってはくれないのだ。そりゃショート動画も流行る。
黒板には、「6月18日 日直 南・向」と書かれている。入学当初から仲の良い組み合わせだ。2人を指して「ベランダコンビ」と呼ばれているのを聞いたことがあるが、悪口かどうか私には判別できない。
昨日私が(真山さんの続きに)それなりに努力して書いた日誌は、問題なかっただろうか。2人が笑いものにしてないことを祈る。
保健室登校からスタートしてしまった昨日と、朝から来た今日。
とにかくしれっと自席に着く。
窓際の列の真ん中。入口から見ると教室の一番奥。
クラスメイトの声が聞こえてくる気がする。
「今日は朝から来てるじゃん」
「相変わらず可愛い格好」
「派手な割にずっと一人でいるよね」
そうだよ。何が悪い。
悪いとは言われてないか。
って言うか、派手な事と一人な事に因果関係はないじゃないか。その考え方はたぶん私より、地味で一人な人に失礼だろ。そもそも、人に見せるためにこういう格好でいる訳じゃないし。百歩譲ってそのためだとしても、お前らがまんまと見てるんだから目的達成だろ。
それに、今日はポニーテール。派手というよりスポーティーだろう。リボンは昨日よりも大きいものだが。
こんなことを考えていたら、無意識に声がした方へ目線を向けてしまっていたようで、目が合ったクラスメイト――真山さんではない――が目を細めて顔を背けた。無意識だっただけに、私の方がむしろ気まずい。彼女らの話題に、今後「睨まれた」とか「いつも怒ってる」とか、そういったワードが加わるのだろうと思うと気が重くなる。顔を伏せていればよかった。
特別人嫌いで、自ら拒絶している、ということでもないのに。
壁が出来てしまっていて、否、作ってしまっていて、そびえ立っているのだ。
誰かと仲良くする方法をいつの間にか忘れてしまったから、それを掘り返して思い出すのも、一から身に付け直すのも、億劫だった。そうしながら苦しむよりは、一人でいた方が楽だし好きになっていた。
層であるにしても、朝の挨拶くらい難なく出来るくらいにはなりたいのだ。
そう考えると、人と仲良くなる方法どころか、喋り方自体を忘れてしまっていることを自覚した。
そうこう考えているうちに1限目が始まろうとしている。
懸念は、今日の私がめちゃくちゃ寝不足であるということだ。昨夜はどうしても観たい番組があった。リビングに誰もいなくなった時刻に始まる番組だった。ギリギリいける、と寝る前は判断してしまうもので、その結果は「いけない」であると起きてから確信するのだ。
間もなくして鳴り出したチャイムの音、引き戸が開く音、教室に入ってくる革靴の足音、日本史教師特有の低い声、A組の面々が教科書や筆記用具を弄ぶ音が順に続いて、単調なリズムを形成してゆく。
一時限目のはじまりだと言うのに、案の定、強いまどろみが私を襲いくる。前から回ってきたプリントを一枚取って後ろに渡すくらいの動きでは、目覚ましの運動にはならなかった。
◆
ハッと目が覚めた。
「やってしまった」という感覚が脳裏を高速で通り過ぎ、瞼の重みを跡形もなく薙ぎ払った。
壁に掛けられた時計の針は、現在が3時限目の真っ最中であることを示している。
教室には、私以外誰もいない。今日の3時限目の科目は科学である。つまり私以外のクラスの面々は全員科学室におり、私一人だけがここに取り残されていることを物語っていた。
1限目の日本史をどうにか乗り切りつつ、10分休みに一旦意識を整えたものの、続く数学で駄目だった。数学教師が黒板に書いたアルファベットの「P」が、空中に浮かんでいたことを覚えている。
寝落ちした私を誰も起こしてくれることなく、置いてけぼりにされてていた。いや、こればかりは「自業自得」という言葉を胸に刻んでおこう。「日頃の行い」と言い換えてもいいかもしれない。
ハァ、とため息をつきながら立ち上がってみたものの、これからどうしようか悩む。
今からノコノコ科学室に行くのはいくらなんでも無理だった。かといって、保健室に行くのも気が引けた。このまま堂々と教室にいたとしても、教員に見られたら面倒なことになる。
そう思って私がこっそり向かったのは、お決まりの心休まるあの空間だった。
◆
誰もいないトイレの窓を開ける。
こちら側は道路に面しているので、通りすがりの人に目撃される危険性が無くはないが、少なくとも学内の誰かに見つかることは無い。
窓の枠に肘を掛けて、少し身を乗り出してみた。今日は風があって昨日よりも涼しい。袖のフリルに毛玉が絡まっているのを指先で摘まんで、フッと吹いて飛ばした。
これで煙草のひとつでも吸ってみたら、それはそれで画になったかもしれないが、さすがに所持していない。ぼっちではあるが非行生徒ではないのだ。
そう、ぼっちだ。 この一件で改めて思い知った。
クラスメイト達は何も悪意を持って寝ている私のことを放置したわけではないだろう。
影でコソコソ言われることはあるが、それも邪悪な行為という程ではない。私の目立つ部分を突いている程度の、ありふれたことだ。
私だって、道すがらすれ違った人が2m近い身長だったり、ナイスバディだったり、凄くしゃくれていたりしたら、思わず見てしまうし珍しいものとして印象に残る。私に向けられている目は、おそらく〝そういうの〟だ。
ただ、教室移動の際に寝ていても特に誰も声を掛ようとは思わない存在なのだ。
本当に気にされていないか、気にしたとしても声を掛けにくいか、声を掛ける気にならないくらい距離を置きたいのか。細かい差異はどうあれ、結果が物語っている。今私の置かれている状況がすべてだ。
ああ、独りだなあ。
人からそう言われても気にならないくらい受け入れているつもりだったが、いざ客観的事実として実感すると、ちょっと堪える。
ちゅうちゅうと喉を鳴らして空を飛ぶ小鳥さえも、何羽かで一緒になって飛んでいるではないか。鳥の社会でも孤独になることってあるのだろうか。
窓の外を見ていてもなんだか惨めになってきたので、場所を変えることにした。幸いこの廊下に並ぶ教室は、どこも日中の授業には使われていない。だからこそこのトイレは居心地がいいのだ。
この判断が正しいことだったのか。
出来ることなら、今からでも時間を遡って検証したい。
いずれにしても、このタイミングで場所を変えたことが、私の日常を変えた。
◆
廊下を挟んで反対側沿いに並んだうちの一室。この並びには、資料室やら部活動が使う道具の保管庫やらが多く、どこも人気がない。
私はその中でも貴重な、少し狭い以外は取り立てて特徴の無い、がらんとした中に机と椅子だけがとりあえず並べられている教室に目を付け、ここに居座ることにした。念のため、廊下からは死角となる壁際の一席に腰を下ろす。椅子を引く音もなるべく小さく、慎重に徹する。
こちら側の教室は、窓がグラウンドの方を向いていて、先ほどのトイレと比べると学内の人の目に付きやすいかもしれない。でも閉め切っていると蒸し暑くて、窓を開けることにした。幸い、他のクラスが体育の授業をしている様子もなく、グラウンドには誰もいない。
窓から吹き込む風でカーテンが膨らんでは萎んでを繰り返し、ひらひらと揺らめいている。
冷静に考えれば、完全に授業をサボっている状態だが、まあいい。後のことは後で考えよう。教師の追求を煙に巻くくらいの立ち振る舞いは私にも出来る。
ともかく、自分一人しかいない空間は居心地が良い。いや、さっきの教室でも私しかいなかったわけだけど。
いつの間にか独りぼっちになっているのと、能動的に一人で過ごす時間とでは、大きく違いがある。さっきまでの疎外感とは全く別の、解放感とか背徳感とか、そういうのもあって今はちょっと楽しい。ここはトイレよりも自由な感覚になれて、沈んだ気分もちょっとばかり落ち着いてきた気がする。
風が髪の間を通る。
夏にはまだ達していない今の気候も悪くない。
正午前の太陽が室内を照らしている。少し物足りないくらいの日光が窓から差し込んで、カーテンの白さを一層際立てている。
薄い色の影がカーテンの動きに合わせて床の上で踊る。
頻繁には使われないであろうこの小さな教室にも、ちゃんと壁掛け時計が備えてある。時刻はまだ、授業が終わるには余裕があった。
この部屋の中にも外にも誰もいないから静かだ。
遠くから届く環境音だけが聞こえている。
先ほどまで眠っていたからか、まだ少し頭が重い。
心地よいこの時間と空間が余計にそう感じさせるのかもしれない。
一人の空間。他には誰もいない。誰の声もしない。誰の姿も見えない。
そういう穏やかな空間だと思って、この場所を選んだんだ。
だから、気のせいだ。
ひそひそと話す誰かの声が聞こえるなんて、気のせいだ。
こんな中途半端な時間に。
こんなところに、誰もいるはずない。
授業の真っ最中で、普段はひと気の無いこの場所に。
この教室には誰もいない。入る時に確認したもの。大丈夫。
何も聞こえないし、見えない。この教室にいるのは確かに私一人だけ。
でも何か変だって感じてる。誰かいるの? 今までこんなこと無かったのに。
でもそれが今日も同じだとは限らない。様子がおかしいよ。気のせいなはずだ。
確かめてみる? もし本当に誰かいたとしたら? 話しかけた方が良い?
無理、無駄。わかってるはずだよ。ずっとそうだったんだから。
だって、それが出来なくて今までこうしてきたんだから。
確かに、私達ずっとそうしてきたんだもんね。
皆、私達のこと、見えないんだもの。
声も聞こえないんだもの。
触れないんだもの。
死んでから。
ずうっと。
違う。違う。違う。おかしい。
私一人以外誰もいない。何も聞こえない。何も見えない。
窓から吹き込む風でカーテンがふわふわとそよぎ、影が踊る。先程この教室に辿り着いた時、廊下から扉のガラス越しに見て、誰一人いなかったはず。
私は今、何も見ていない。誰とも目が合っていない。窓の方を眺めてるだけだ。だってほら、外は良い天気だし。
顔が向いている方向、身体の左側をただ見ているだけだ。首がそちらに傾いているだけ、ほかに視線を動かしたりはしない。だって、右に、左に、最後に真ん中に、一度ずつ視線を動かしてしまったら、3人の人影を順に見たことになってしまうから。
今、目の前に3人いると、気付いたことになってしまうから。
「ねえ」
気付いてない。
「見えてるんでしょ」
何も、
「聞こえているんでしょ」
待って。
「やっぱりそうだ」
顔を覗き込んで、
「私達のこと、わかるんだ」
何もいない。
「ほら、だから言ったでしょ。今まで一度も無かったことがこれから先も無いとは限らないって」
「本当にこんなことってあるんだ」
「今まで、誰にも気付かれなかったのに」
喋り声が、
「じゃあ、頼んでみようか」
「そうだね」
「こんなチャンス、次いつあるか分からないもんね」
嘘だ、
「私達の存在に気付いたあなたに、お願いがあるの」
「私達だけじゃ叶えられないの」
「生きている人間の協力が必要なの」
こんなことが、
「わからないの」
「なんで死んだかわからないの」
「死ぬより前に何をしていたのかもわからないの」
なんで、
「私達が死んだ理由を探して」
なんで私がやらなきゃいけないんだ。
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ひそひそ話〈ゴーストトーク〉は教室の隅で 春(はる) @spintk
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