銀食器とお茶会(2)
長身の男性メイドが、妖精のような美少年を抱え、仕事終わりのくたびれたスーツの成人女性を従えて歩く。
でも、不思議なことに誰もこちらを見ない。異様な一行に目をそらしている感じでもない。目に入ってないとでもいうように、無関心に私たちの横を通り過ぎていく。
「君、遅れるな」
先を歩くエミがぶっきらぼうに声をかけてくる。
一応私のことも気にしてくれるらしい。忘れてくれたほうがありがたいのだけど。
いつの間にか大通りから、明かりの少ない薄暗い道を進んでいた。
足元が見えず、道端に放置されていた空き缶を蹴ってしまった。甲高い音が静かな道に響きわたる。
またエミが振り返った。しゅうっと蛇の鳴き声みたいなため息を吐かれる。
「一人で道も歩けないとは」
「すみません。でも、暗くてよく見えなくて」
「気配を感じればいいだろうに……まったく世話の焼ける。俺のエプロンの端でもつかんでいろ」
「はぁ……」
メイドとなると気配を感じられるらしい。
こんな見知らない暗がりの道で一人置いていかれたくないので、お言葉に甘えてエプロンドレスの後ろに結んだリボンの端を握らせてもらった。
後ろについて暗い道を進むけれど、メイドの背中が広すぎて前が見えない。こうやって見るとエミは本当に大きい。私だって、成人女性の平均なのに。
私は、今どこを歩いているんだろう。
「着いたぞ」
エミがやっと足を止めた。
後ろの私は身体を横に傾けて、目的地がどんな場所か確認した。
煉瓦造りの小さな洋館だった。
それなりの年季が入っているようだった。煉瓦の壁一面に緑の蔦が這っていて、少しおどろおどろしい。幽霊か何か出てきそうな暗い雰囲気だ。
扉にはプレートがかけられていた。
でも、暗くて文字がはっきり読めない。
「ここがマユル様の邸宅だ。足を踏み入れる前に、きちんと靴裏の泥を落とし、ジャケットの埃もきちんと払って、頭にハーブオイルを振りかけてから――」
「そんなのどうでもいいよ。早く中に入ろう」
「失礼いたしました。坊っちゃん」
邸宅に入る心構えを説こうとしていたエミは、退屈したマユルの一言ですぐさま方向転換して玄関扉に向かった。
でも、主人を抱えるメイドの両手は塞がっている。
私が代わりに開けるべきだろうか。
そう思った瞬間、がちゃんと扉がひとりでに開いた。それに驚くでもなく、エミは中に入っていく。
続いて、私もそっと足を一歩踏み入れた。
主人の帰還を迎えるように、室内の灯りが一斉にぽっと点いた。ゆらゆら揺れる光は蝋燭みたいだ。
靴は履いたままでいいらしく、エミはブーツのまま進んでいく。そして、玄関から入ってすぐにある応接スペースの一人掛けソファに
「ああ……やっぱりここが一番落ち着くね」
ソファに腰を下ろしたマユルは肘置きの上に頬杖をついて、ぴんと人差し指を振った。
すると、暖炉で赤い炎がぼっと燃え上がる。
明るくなった室内はこじんまりとしながらも整っていた。暖炉の前には一人掛けの布張りソファー二つとアイボリーの重厚なテーブル、飾られたアンティークフラワー、そして毛の長い絨毯。
鮮やかな緑の壁紙に影がゆらゆら揺れていた。
私の後ろで、扉がみずから勝手に閉まる。
「さあ、『ロバの耳』へようこそ」
無垢な顔でマユルは歓迎を口にする。
ピーコック・グリーンの輝きが私を捕らえて離さなかった。
「ね、こっちにおいで。そこでじっとしてたら根っこが生えて木になっちゃう」
「……えっと、それでは」
「あ、こっちだよ。僕の隣に座るんだ」
テーブルを挟んで向かいにあるソファに座ろうとしたところ、マユルが首を横に振って、ソファの片端に寄った。そして、一人掛けソファにできたわずかなスペースを指差す。
まさか同じソファに座れとでも。
とっさに室内を見回した。
「じゃあ……隣のここに座ります」
私は、ソファの隣にあった布張りの四脚に腰を下ろした。背もたれがなく、小さいために少し膝を深く折り曲げなければいけない。
でも、同じ椅子よりマシだろう。
ピーコック・グリーンの瞳がきょとんと丸くなった。
「それ、
「こちらのほうが落ち着きますから」
「僕の隣が、せっかく空いてるのに?」
遠回しに要求を拒否したせいか、マユルが少し不満そうに眉を落とした。
またご機嫌ななめになるだろうか。
でも、あまり密着すると人間的に問題があるし。仕事ができなくなってしまう。生きる意味が消えてしまう。
「そうですね、あまり近くに座るとあなたの顔がよく見えないですから。この距離がちょうどいいと感じませんか?」
耳当たりの良い言葉は接客の基本。
営業中の微笑を浮かべてみせると、やや機嫌を損ねていたマユルが楽しそうに口角を上げた。
「ご機嫌うかがいしてくれるの? じゃあ、ずっと隣で僕を見つめてくれなきゃ駄目だよ」
「ずっと、ですか」
「うん、ずうっと一緒ね。だって、君が言ったんだよ」
打って変わって機嫌良くマユルはくすくす笑う。暖炉の炎により温まった空気が彼の頰を薔薇色にしていた。妖精のごとき無垢な美しさ――画家が見れば絵にしていたと思う。
ちょっと余計なこと言ったかもしれない。
マユルの無邪気な笑い声に、私の危機感知アラートがぴこぴこ鳴る気がした。
「じゃあ、僕に
「あの、待ってください、どうかお待ちください」
「どうしたの? 僕はずっとここにいるよ。どこかへ逃げたりしないのに」
「そういうことではなく……」
一足飛びに話が進みすぎる。
頭が痛いとは、こういう時に言うのだと思う。
とりあえず否定できるところから否定する。
「まず、あなたが名前をつける必要はないです。既に名前をつけられてますから。私、
「それってファミリーネームだよね? じゃ、ファーストネームは僕のものってこと?」
「いいえ……私は、その、
接客業らしくなく、声がかすれて少し不明瞭な言い方になってしまった。
久能一個。ただの一個。物体として一個。
人とは違う、私の名前。
「ふうん……イッコちゃん?」
顔をうつむかせた私に、まだ幼い指先がそっと触れた。
マユルの指がやさしく顔の輪郭をなぞって、そっと私のあごを持ち上げる。
間近でこちらを見つめるピーコック・グリーン。
目が合った瞬間、花咲くように美しく彼は笑う。
「イッコちゃん。なるほど、いい子だからイッコちゃんなんだ?」
「え、いいえ。私の名前は……」
「よしよし。いい子いい子」
両手で顔を挟まれて、ぐりぐり撫でられた。
この時の気持ちを何と表現するかわからない。
胸の奥がねじれるような感覚。
でも、客観的に見れば、妖精のごとき少年に成人女性が頭を撫でられているなんて。きっと、これは人間的に間違ってる。
思わずその小さな手を振り払った。
「……失礼しました。その、やめてください」
「いやなの?」
やった後で、しまったと思った。
けど、マユルは不機嫌になることなく大丈夫だよとやさしくささやく。
「びっくりしちゃった? こういうのはちゃんと馴れるまで待たないといけなかったね。だって、僕は君のご主人様だもの」
「そんなペットみたいに言われても……そもそも――」
私を連れてきてどうするつもりなのか。
理由について聞こうとしたところで、目の前に影がさした。
顔を上げると、高身長を利用して高いところからこちらを無言で見下ろすエミが目の前に立っていた。口を真一文字にして、丸眼鏡の奥の瞳は不穏に細まっている。
私ばかり構われているのが嫌らしい。
「……優秀で働き者のメイドがお茶をお持ちしました。ああ、なんて主人想いの素晴らしいメイドでしょう。俺以上のメイドはこの世におりません」
エミの手には銀のお盆があり、白銀に輝くカップやポットが載せられている。彼は巨躯を折り曲げると、ティーセットをローテーブルに並べていく。
そして、私を横目で見てふふんと得意げに笑った。自分が一番とアピールしてるらしい。
そんなエミの気持ちを知ってか知らずか、マユルは両手を叩いた。
「ちょうど飲みたかったところなんだ。ありがとう、エミ」
「当然です。こんな優秀なメイドがいるのですから、もう一人なんていらないのでは?」
「ううん。僕はこの子もほしいんだ」
「左様ですか……」
エミの気落ちした返事をしながら、ティーポットを傾けた。そして角砂糖一つとミルクを入れて、ティースプーンでかき混ぜる。
できたミルクティーは当然小さな主人に差し出される。
マユルは銀のカップを手に取ると、ふうっと息を吹きかけて一口飲んだ。
「やっぱり、エミの紅茶が一番美味しいね。それはこれからもずっと変わらないよ」
「そうでございましょう! やはり、俺が一番でございます……つまり、どう足掻いても君は永遠の二番手ということだ」
マユルに一番と褒められて、エミは気分が有頂天になったらしい。もう一杯紅茶を淹れて、私の前に出してきた。
銀のカップに紅茶の明るい透き通った色が揺れている。
私はそれを眺めて、それから腕を組んで得意げな様子のエミを見上げた。
「あの、私は後輩になる気はありません。到底メイドにはなれませんから」
「何だ、永遠の二番手と思い知って心が折れたのか後輩。だが、そう気落ちするな。毒の魔法使いマユル様の使い魔に選ばれること自体が栄誉なのだから」
「いえ、そういうことでなく……使い魔、ですか? 私を?」
「何を今更……俺だって、ただ一人のメイドかつ使い魔でいたい。だが、マユル様の願いを叶えるのも俺の役割だ」
当然とばかりにエミが言う。
でも、私には納得できないことばかりだ。
隣で紅茶を飲んでいたマユルが、かわいらしく首を
「何が気になるの? メイドが嫌だった? なら、イッコちゃんは別の服を用意してもいいけど」
「服の問題ではなくて、あの、毒の……魔法使いなんですか?」
「あれ、言ってなかったかな? じゃあ、僕もご主人様としてきちんと挨拶しないとね」
マユルは跳ねるようにソファから下りると、指先を優雅に持ち上げて、踊るように身体をひねりながら軽やかに一礼した。
美しかった、人間ではないと思うほど。
「僕は
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