第64話 哀れな姿ですね

 時嶋が銃を下ろした。それから思い出したように言った。


「おや、あなたはあの時の。名前はまだお伺いしていないような気がしますね。たしか海上保安庁の方だったように記憶しておりますが」


「……そうだ」


 鴨尾は床で身体をよじらせながら答える。


 一瞬本気で射殺されたかと思ったが、銃から飛び出してきたのは実弾ではなく、ワイヤーのようなものだった。それが彼の身体に巻きつき、現在身動きが取れなくなっている。


 時嶋は勝ち誇ったような顔で鴨尾の肩を蹴り飛ばした。


「哀れな姿ですね」


 声だけが時嶋で、言動はまるで別人だ。彼女はすぐに付け足す。


「あ、話し方は時嶋モードと町谷モードを選択できます。どちらがお好みです?」


「あんたの本性のほうを出せ」


「承知しました」


 彼女の声は一段と低くなり、粘っこさを増した。これが町谷モードなるものらしい。


「実弾の銃で撃たなかっただけ感謝していただきたいですねぇ。実弾は、島では使いましたがここで使うつもりはありません。万が一飛行機に穴が空きでもしたら危険ですので」


 鴨尾は全てガン無視し、彼女を睥睨した。

「……あんたが町谷ひでだったのか。何のつもりだ」


 時嶋は無視されたのを気にする素振りもなく、ニヤリと白い歯を見せた。板についた動きだった。


「私は町谷はなですよ。人違いじゃないですか?」


「何を言っている? 神嵐館経営者の宿泊者リストには『まちやひでよ』とご丁寧にルビまで振ってあったぞ」


 時嶋はおおげさにのけぞった。


「よくお調べになっているようで感心します。でもそこまで調べたならお分かりでしょう。私の代わりに島に上陸したのは三須田さんですから、私が宿泊者リストに女の名前で載せたら齟齬が発生します。そうなれば、捜査員側に無駄なヒントを与えることになります。あんなリストに載せる名前など何とでも改竄できますよ。島で使っている名前と同じ漢字にしたのは、ほんの遊び心です。別にとうろうとかにしてもよかったのですが」


「島では町谷はなを名乗っていたのか」


「ええ。――私がターゲットたちに殺人をさせていたのはもう特定済みですか?」


「ああ。もう分かっている」


「さすがですね。しかしそれならもうお分かりになるでしょう。私が男のような読みで名乗っていると不自然ですから、もしかしたら私に疑いが向くかもしれない。もちろん最初のターゲット以外は全員共犯ですから、実際は疑うも何も私が犯人と分かっているわけですが。私が島で重要視したのは〝流れ〟です。もし私を疑うべき状況になったら、共犯のあなた方も積極的に私を疑う素振りを見せろと指示していました。そんな中、私が男のような読みを使っていれば、無駄な疑いの種を呼びかねません。なので、対面で使う読みは女らしく、捜査員側に見せる読みは男っぽくしたわけです」


「……そうか」


 時嶋が話している間、鴨尾はその身なりを観察していた。


 この女性があの殺人を決行したという。華奢な見た目からはとても想像できない。その一方、この計算高い悪知恵と人を手玉に取るようなやり口は、今回の殺人に通ずるところがあった。


 だが、やはり一番の問題はアリバイではないか。彼女は普段から研究室に閉じこもっているうえ、事件発生中、食事を運んできた中条と話している。どういうことだろうか?


 ――いや、違う。今はそんなことはどうでもいい。鴨尾にとっては圧倒的に不利なこの状況下、本当に時嶋を現行犯逮捕まで持っていけるか。そっちのほうが重要だ。


 鴨尾が考えを巡らせていると、時嶋が見下すような口調で――床に倒れた鴨尾を実際に見下しながら――言い放った。


「このビジネスジェットまで辿り着いたということは、それなりに私の犯行トリックを見抜いたということでしょう。その方には拍手を送りたいと思います。が、その相手はあなたではないでしょうね。あなたには知性が感じられない。私の縄張りにノコノコと入ってきてあっという間にグルグル巻き。愚かという他ありません」


「俺をどうするつもりだ?」


「さあ? まだ考え中です」


 余裕綽々の表情で言ってから、時嶋が腕時計に目をやった。


「おやおや。もうこんな時間ですか。ではお待ちかねの成功報酬奪取ショーと参りましょう」


 そう言い残してコックピットへと向かう。鴨尾はなすすべもなくその場に取り残された。


 しばらくするとエンジンの駆動音が鳴り始めた。ついに時嶋が動き出したようだ。飛行機が前進を始めた。徐々に加速していく。鴨尾の身体は後ろ向きに慣性力を受け、座席の脚に押しつけられる。


 まもなくフワリと浮き上がる感覚を覚えた。飛行機が空へと舞い上がったのだ。機体はどんどんと上昇していった。

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