第54話 神々島は巨大な密室と見なすことができます

「本事件において、神々島は巨大な密室と見なすことができます。そして密室には空間的な穴か時間的な穴のどちらかが存在すると考えられます。時間的な穴については昨日考察しました」


 天ノ川は壁に沿って置かれていたホワイトボードに近づいた。黒ペンを手に取り、横に長い直線を描いた。


「時間軸がこのようにあるとします。すると、台風が来ていて出入り不能である時間帯はこのように表せます」


 彼女は赤ペンに持ち替えて、黒い直線に沿うように真ん中あたりに赤い線分を書き加えた。


「これで一目瞭然にお分かりになるでしょう。何らかの方法で台風の前か後に島を出入りし、殺人を実行することができれば、晴れて完全犯罪が成功するわけです。しかし、神々島の殺人犯はそう甘くはありませんでした」


 天ノ川が鴨尾に視線を向けてきた。説明してくれということらしい。鴨尾は席に座ったまま補足した。


「再度確認します。宿泊客が上陸する直前には清掃業者が入っていました。そのため、台風が訪れるより前に犯人が潜んでいることはできません。また、台風より後に出入りすることもできません。巡視船『いせしま』に侵入した可能性も視野に入れましたが、犯人は潜んでいませんでした。島に隠れ続けていたという場合も考えられますが、台風が過ぎるよりも先に鑑識に見つかるため不可能です。以上です」


 厳密に言えば、芦原による早業殺人も一応検討したが、本人の前ではとても言えない。


 鴨尾が言い終わると、天ノ川が引き継いだ。


「ありがとうございます。今鴨尾さんにご説明いただいた通りです。となれば、残る可能性は空間的な穴のみとなります。通常の密室で言えば、鍵を部屋の中になんとかして戻したり、氷が解けるのを利用して鍵を掛けたりといったものです」


「……そんなこと、今回の大がかりな事件で可能なのか?」


 芦原が重々しい口調で尋ねた。天ノ川は彼の鋭い眼光に対しても冷静だった。


「それをただいまから検討したいと思います。まず、遠隔殺人は状況的に到底不可能なので除きます。殺人ロボットなどを用いるにしても、ドッジボールサイズにも及ばないような大きさでは限界があります。あるいは最初から館に置かれていたのだとしても、次々と絞殺あるいは失血させて首を切るなど困難でしょう。また、昨日森さんがおっしゃったような首を上空から島に突き刺すトリックも実現不可能です。これらが消去されたなら、空間的な穴は上下・前後・左右のいずれかに存在したと考えられます。斜めを考え始めればキリがありませんが、このあとの議論で無意味であることが分かると思います。また、神々島の周囲の海の対称性から、前後左右は同条件と見なすことができるでしょう。今回は『横』とひとまとめにすることにします」


 彼女はホワイトボードの上のほうに「上」「下」「横」と記した。


「まず『上』についてです。すなわち、台風の暴風が吹き荒れる中、何らかの方法で空を飛んで移動するということです。いかがでしょうか」


 勝海が控えめに首を振った。


「昨日も言いましたが、並みの軍用機でも難しいでしょう。今回の台風にも耐えられるような特殊な航空機が利用されたのなら、必ず足がつきます」


「そうですね」


 天ノ川は満足そうにうなずき、ホワイトボードに『軍用機でも難。足がつく。』と書きこんだ。相変わらず達筆である。


 次に、彼女はペンの位置をスライドさせた。


「では『下』についてはどうでしょうか」


 すると森が首をかしげた。


「『下』というのは地面や地下のことを指すのですか?」


「そういうことになるでしょうね」


「秘密の通路やら何やらはご勘弁くださいよ。というか、そんなものがあったら鑑識が見つけてくれるでしょう」


「そうですね。本土との距離は一〇キロはありますから、地面を掘り進めて移動できるとは思えませんし」


 彼女は「下」のところに『不可能』と書きこんだ。


「では最後に『横』です。こちらはいかがでしょうか」


 今度は船長の大沼がムムッと唸った。


「海を移動したということかね? 巡視船なら不可能ではないが、勝海の話にもあったように足がつくだろうな。公的な船を犯罪に使うのはほぼ不可能と見ていいのではないか。かといって、台風の強さを考慮すれば、民間の船では極めて難しいだろうが」


「おっしゃる通りですね」


 天ノ川は「横」のところに『巡視船なら可だが足がつく。民間では難。』と書きこんだ。


 誰もが天ノ川の次の発言を待っていた。彼女は平然と期待を裏切る。


「こうしてすべての可能性が否定されました」


 芦原がホワイトボードを眺めながら腕を組んだ。


「完全に暗礁に乗り上げている。というより、俺には何も話が進展していないように思えるぞ。既に考えた内容を並べ替えただけだ。これでは堂々巡りだ」


「いえ、そんなことはありません。確実に我々は進歩しています。可能性が否定されるのも真相への一歩ですから。しかし、可能性が全部消えてしまった。これは現実に犯人が存在すると思われる以上、大きな矛盾といわざるを得ません。どこかに論理の穴があるわけですね」


「その穴というのは……?」


 森が少し興奮気味に尋ねた。天ノ川は踏み込んだ。


「推理の穴というのは、一番初めにありました。空間的な穴と時間的な穴。この二者択一に分類してしまったのが間違いだったのです」


「どちらでもなかった、ということですか……?」


 勝海が首をかしげた。天ノ川は首を横に振る。


「いいえ。遠隔殺人や森さんが昨日指摘したトリックを除けば――これらも広義では空間的な穴でしょうが――、密室トリックは空間的な穴か時間的な穴のいずれかには該当するでしょう。現実は今勝海さんがおっしゃったことの。すなわちのです」


 彼女は今度は青いペンをつかんだ。既に書きこまれている、黒い時間軸と赤い台風の期間。その真ん中に青い点を打ちこんだ。


「台風に襲われている神々島で、一瞬だけ雨風がすべて止んだタイミングが存在したのです。もうお分かりになりましたか? 単純なことです。

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