第49話 望実と――約束したんです
翌日。鴨尾が出勤すると、保安部は慌ただしくなっていた。マスコミへの正式発表が控えているそうだ。
そんな中、鴨尾と天ノ川は柳沢母娘への聞き込みを命じられた。溝野望実の姉である真弓と、その娘の彩。昨日、刑事課の米倉から住所は聞いている。彼女たちは滋賀県の琵琶湖畔に住んでいるとのことだ。
電車を乗り継ぎながら進む。その間、天ノ川と様々なことを話した。
天ノ川が森から聞いた話では、森が聞き込みをした船長・砂川
ただ、砂川もドッジボールサイズの手荷物検査には手を貸したという。岸本と同様、目的は聞かされないままに。
鴨尾のほうからも、中条や時嶋から聞いた話を天ノ川に伝えた。とても興味深そうに聞き入ってくれた。
電車に揺られることおよそ三時間。目的の駅に到着した。
そこからさらに歩くこと三〇分。柳沢家はひっそりとたたずむアパートの一室にあった。
鴨尾がインターホンを押した。ピンポーンと聞き慣れた音がする。すると、立てつけの悪いドアの向こうから、ドタバタと足音が聞こえた。
「こんにちは。海上保安庁の方ですね。狭いですけどどうぞ」
現れたのは、三〇歳くらいの女性だった。長い前髪に隠れてしまいそうな瞳。質素な白いブラウス。そこはかとない〝憂い〟のようなものが全身から滲み出ていた。
「ありがとうございます。失礼します」
ダイニングに通された。こぢんまりとしているが、生活感のある部屋だ。調度品は最低限に抑えられている。あまり裕福な暮らしではないようだ。
「こちらにお掛けになってください」
女性は食卓のテーブルを指した。恐縮しながら二人は腰を掛けた。女性がお茶を運んできた。わざわざ用意してくれていたらしい。鴨尾は手を横に振った。
「どうかお気遣いなさらず」
「いえ、遠慮なくどうぞ」
女性は二人の前にお茶を置いてから、向かいに座った。
「私は柳沢真弓といいます。お二人の名前をちょうだいしても?」
「私が鴨尾で、こっちが天ノ川です。海上保安庁でとある事件の捜査を行っております。ご協力ください」
柳沢真弓がこちらの顔を覗きこんできた。
「その……望実のことで何かあったのでしょうか? 先ほどお電話いただいたときは『溝野望実さんのお姉さまでよろしいですか』とおっしゃいましたよね」
「刑事課のほうからは何も連絡が行っていませんか?」
「特に何も……」
「そうですか」
鴨尾は一呼吸おいてから言った。
「九月一〇日ごろ、溝野望実さんが亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします」
真弓はポカンと口を開けた。三〇秒ほどして、彼女の目からワッと涙がこぼれ落ちた。
「私が……私のせいだ……」
これは何かありそうだ。鴨尾はそう直感した。でも今は尋問するときではない。落ち着くのを待った。
涙の勢いが収まったのを見計らい、鴨尾は探りを入れることにした。
「何かお心当たりがありますか?」
真弓はハンカチで目尻を拭いてから、
「その前にひとつ聞かせてください。望実は神々島で殺されたのですか?」
望実と真弓は別居しているはず。望実はわざわざ島に向かうことを伝えていたということか。
「我々はそのような可能性も含めて捜査しています。ところでどうしてご存じなのです?」
「そりゃだって……」
真弓はそばにあったリモコンを手に取った。スイッチを押し、部屋の隅にあるテレビをつけた。
するとNHKのニュースが表示された。「速報」と銘打たれた画面。真ん中に映っているのは、木下海上保安監。見出しには『三重・神々島で殺人事件 海上保安庁が緊急記者会見』と書かれていた。
真弓が暗い声色で口を開いた。
「望実がどこかの島に行くということだけは聞いていました。『万が一私の身に何かあっても、敵を取ろうとか考えないで。真弓と彩は思うままに生きて』と」
遺言……。望実は自分が死ぬ可能性まで想定していたということか。いよいよ分からなくなってきた。
「先ほどは何か思い当たる節があるような口ぶりでしたが、ご存じのことがあればおっしゃってください。どんな些細なことでも構いません」
「神々島でのことは何も知りません。今の言葉を望実からもらっただけで……」
その言葉に嘘偽りはなさそうだった。真弓が隠していることは、他にある。
「では、溝野さんに容疑がかかった事件についてはどうですか? もう少し踏み込んで言うと、大友瀧さん死亡事件です」
途端に真弓は口を真一文字につぐんだ。何か葛藤しているようだった。ため息とともに天を仰いだ。
「もういいかな……疲れたよ望実……」
彼女が再び口を開こうとしたときだった。
隣の部屋のドアが開き、小さな女の子が現れた。五歳くらいだろうか。
「彩……出てきちゃダメって言ったじゃない」
真弓が女の子に駆け寄った。彩と呼ばれた女の子は「この人たち誰?」と首をかしげる。
「海を守る仕事をしている方々よ」
「彩もお話聞いてもいい?」
真弓が困ったような顔をしてから首を振った。
「今日はダメ。またあとで話すからね」
「……望実叔母ちゃんが殺されたってホントなの?」
しまった。聞かれていたか。もう少し配慮すべきだった。
そのとき、天ノ川が席を立った。彩の隣にしゃがみこむ。
「それが本当かを今から私たちが調べるところ。お母さんからお話を聞いたら、きっと解決するから。私たちを信じてくれる?」
彩は黙り込み、コックリとうなずいた。天ノ川は微笑んだ。
「ありがとう」
彩が部屋に帰るのを確認し、天ノ川は席に戻った。真弓も向かいの椅子に戻った。
鴨尾は真弓の顔色をうかがう。
「場所を移しましょうか?」
彼女は唇を強く噛んでいた。何らかの葛藤が頭を駆け巡っているようだ。
「……お気遣いありがとうございます。場所は変えなくて構いません」
「では話を戻します。溝野さんが疑われた事件について、何かご存じでしたら教えてください」
「――望実は駅で人を突き落としたと疑われたそうですね」
「その通りです」
「その時刻、私は娘と一緒に近くの映画館でホラー映画を見ていました。娘が『見たい見たい』とねだったもので。でも娘はホラーを舐めていたみたいで、ラスト近くで気を失ってしまいました」
「ほう」
変な話になってきた。
「なので急いで連れて帰りました。すぐに気を取り戻したのですが、一時的な記憶喪失になりまして。その日の記憶は残っていないようでした。……それ以外は何も知りません」
「本当にそれだけですか?」
「……はい」
明らかに何かを隠している。その確信は揺るがなかった。
「どんな些細なことでも構いません。望実さんについて、何か思い当たることはありませんか」
「……すみません」
ダメだ。真弓は隠すほうを選択したらしい。
「今の内容は当時警察に話したことと同じですね?」
「そうです」
実は今朝、米倉から新たなメールが来ていた。そこには溝野望実について取り調べた警察の資料が添付されていた。
〈柳沢真弓は娘とホラー映画を見に行ったと証言。だが、映画館の監視カメラでは確認できず。偶然カメラの死角を通っただけという可能性もあり〉
映画館の監視カメラには映っていなかったというのだ。
一方で、彩が記憶を喪失していたのは本当らしかった。資料には〈何も証言を得られなかった〉と記録されていた。
謎は増えるばかりだ。一向に解決は見えてこなかった。
鴨尾は話を変えることにした。
「今はここにお住まいなんですね。島根から引っ越されたんですか?」
「はい。望実が逮捕されてから、マスコミが家に押しかけてきたり脅迫電話がかかってきたりと大変だったので。旦那は三年前に交通事故で失っています。シングルマザーとしてはきつかったのです」
「そのような経緯が……。心中お察しいたします。無礼な質問となったこと、お許しください」
「いえ、全然大丈夫です」
そう言ってから、真弓は深呼吸して頭を下げてきた。
「私から申し上げられることはもうありません。どうかお引き取り願えますか」
そう言われると、こちらとしては引き下がるしかない。別に柳沢家に殺人容疑がかかっているわけではないのだ。
天ノ川も諦めた風だったので、退出することにした。
靴を履いて、振り返る。
「突然の訪問、失礼しました。また刑事課の者が来るかもしれません。どうかご協力いただきますよう」
「そのときはまたご連絡ください。お役に立てなくて申し訳ありませんでした」
真弓は廊下で頭を垂れたまま動かなかった。鴨尾たちが玄関を出て、扉が閉まりかけたとき。
「望実と――約束したんです」
そんな声が届いたのもつかの間、扉は閉ざされた。
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