第48話 ご質問とあらば何でもお答えいたします

 鴨尾は時嶋の醸し出すオーラに圧倒された。見た目は若々しいのだが、幼さを微塵も感じさせない。


 すべてを見透かすような鋭い眼光。なんだか居心地が悪くなってくる。


 時嶋がえくぼを見せて微笑んだ。


「ご質問とあらば何でもお答えいたします」


「……時嶋さんが世に出たのは九年前だったように記憶していますが、本当です?」


 佐山が意を決したように尋ねた。


 時嶋はティーカップを持ち上げて一口啜った。色を見るに、多分レモンティー。


「ええ。コンピューターエンジニアとしてのキャリアを歩み始めたのは、一四歳の頃でした。今は二三歳ですから、おっしゃる通り九年前ということになります」


 物静かに、でもハキハキと言葉を紡いでいく。彼女の口元に吸い込まれそうになるような感覚を覚えた。


 時嶋は昔のことを懐かしむような顔で語りを続けた。


「始めてすぐに、これが天職なのだと確信しました。困難の連続でしたけれども、常に向上心を忘れずにやってこられたのは、ひとえに私がこの職に向いていたということなのでしょう。過去形で申し上げましたが、今も昔も変わりません」


 時嶋は再びレモンティーに口をつけた。


「少し話しすぎました。次のご質問をどうぞ」


 そこで、鴨尾が手を挙げた。


「いささか無粋な質問となるのですが」


「どうぞ遠慮なさらず」


「ありがとうございます」


 今回の事情聴取は時嶋の生い立ちというよりは彼女のスーパーコンピューターがメインだ。目的を履き違えてはならない。


「時嶋さんの発明されたスーパーコンピューター『鳳凰』の精度というのはどれほどのものなのでしょうか」


 時嶋は顎に手を当てて天井を仰いだ。しばらく考えてから答えた。


「口でご説明するのは難しいですね。何か基準などがあれば分かりやすいのですが……」


 鴨尾はとっさに考えた。


 ――さっきの森のバカトリックの出番だ。


「かなり変な例えになりますが、時嶋さんのプログラムを用いて、台風の上から物を落とし、特定の一地点に落下させることは可能です?」


 それを聞いた時嶋はクスッと吹き出した。


 しかしその刹那、真剣な表情に戻った。切り替えが恐ろしく速い。


 彼女は心なしか姿勢を正したように見えた。


「この世には、“可能な不可能”と“不可能な不可能”の二つが存在します。今あなたがおっしゃったのは、前者に当たります」


 つまり……どういうことだ?


「〝不可能な不可能〟とは、たとえば『通常の正六面体のサイコロを二度振って、出た目の和を一三にする』などです」


 鴨尾は納得してうなずいた。


「たしかにそれは不可能ですね」


「ええ。そしてこれは、サイコロには一から六までの目が存在するという定義域から、サイコロを二度振って和を求めるという写像――すなわち関数変換――を施すことで生まれる値域の中に、一三という結果が存在しないことに由来します」


 ……ややこしい。何を言っているのかすぐには理解できなかった。


 芦原が救いの手を差しのべてくれる。


「要は、数学的にあり得ないということでいいな?」


「そう解釈していただいても差し支えありません。そして一般的に、数学的に確率がゼロである事象を〝不可能〟と定義することができるでしょう」


 それはそうだな、と思った。不可能とはすなわち確率がゼロ。当たり前のことだ。


 時嶋が深呼吸してから続けた。


「しかし現実では、〝不可能〟はもう少し広い意味合いで使用されています。確率的には不可能でなくとも、実現することは限りなく不可能に近い事象も存在しますから」


 鴨尾はピンと来た。


「それが先ほどの台風の例というわけですね?」


「おっしゃる通りです。サイコロの場合と同様に、台風上空の点Aから物を落下させるという前提のもと、台風の中を通過するという写像をもって、点Bに落下するとしましょう。このとき、落下にはすべて既知の物理法則が作用していると仮定すると、逆向きの関数変換を施すことで点Bから点Aにさかのぼることが可能です。すなわち、落下地点から逆算して発射地点を求めることができます。――しかし、現実には二つの大きな障壁が存在します」


「ほう……」


「一つ目は、計算量が膨大になること。二つ目は、環境条件の観測精度および発射の精度に限度があることです」


 時嶋の瞳がキラリと光った。


「一つ目の問題は、私の開発した『鳳凰』によってほぼ完全な形で解決されました。台風の中に物を落とすという事象も、必要な条件さえ揃えばシミュレーションすることは容易でしょう。問題は二つ目のほうです」


「観測と発射の精度の問題ですか」


「ええ。紙の上での計算――というのは比喩ですけれど――は『鳳凰』に任せておけばよいのです。無論『鳳凰』にも限界はありますが、先に限界を迎えるのは人間です。航空機からであれ気球からであれ、理想的なタイミング、理想的な角度、その他の条件もすべて満たすような形で物を落下させるというのは非常に困難でしょう」


 『鳳凰』の計算に頼れば、シミュレーションは可能。でも現実に実行するのは不可能。そういうことらしかった。


 時嶋がティーカップを高々と持ち上げて飲みほした。カップを置いて一息ついた。


「ここまで来ればお分かりいただけたかと思います。私が貢献した天気予報という分野。これは私の功績よりもむしろ、観測技術の向上のほうが目を見張るべきものなのです。一ヶ月後までの天気予報を可能にしているのは、レーダー等を駆使した極めて高度な観測機器のほうなのです。『鳳凰』によるところなどほんの微々たるものです」


 これは彼女なりの謙遜と捉えてよいのだろうか。


 膨大な計算に耐えうるコンピューターに、精緻な観測技術。この二つが合わさった結果、現在の便利な生活がもたらされているのだ。どちらが欠けてもいけない。


 時嶋の話が一段落したようなので、鴨尾は話題を切り替えることにした。


「丁寧なご回答ありがとうございます。次の質問に移ります。今度も不躾な質問であるのは承知の上なのですが……『鳳凰』がハッキングされたとか、トラブルに遭ったことなどはありましたか?」


 時嶋は目を丸くした。それから首を小さく振った。


「ハッキングやウイルス侵入といったトラブルは、現時点ではありません。『鳳凰』に自由にアクセスできるのは、私の他には研究所職員など限られた人間だけです」


「分かりました。ありがとうございます」


 鴨尾が礼を告げる。すると時嶋が腕時計に目を向けた。


「そろそろ戻らなければなりません。次を最後にしていただけると助かります」


 短い。けれど、若干の時間でも確保してくれたことに感謝しなければならない。


 佐山と芦原がこちらを見た。実際に現場を担当している鴨尾に一任するということらしい。


 鴨尾は時嶋の表情から目をそらさないようにしながら尋ねた。


「時嶋さんは九月一〇日の九時から一八時の間、どこで何をされていましたか?」


 芦原に肩を小突かれた。さすがにやりすぎだと言いたいようだ。


 一方の時嶋は、目をパチクリさせた。この聡明な女性が質問の意図を理解できていないはずがない。どこまでが演技なのか、境目がよく分からない。


 時嶋は静かに口を開いた。


「私はずっと研究室である自室にいました。その時刻のみならず、人生のほとんどをその空間で過ごしていると考えていただいて構いません。中条さんが証明してくれるのではないでしょうか。……このような感じでよろしいでしょうか?」


 鴨尾は丁寧に頭を下げた。


「本日はありがとうございました」


「いえ。それでは失礼させていただきます。私のことはくれぐれも他言しないようにお願いいたしますね」


 そう言い残して、時嶋は画面の外へと消えていった。


 時嶋に代わり、中条が再び現れた。


「まだ何かおありでしたら承ります」


 三人は顔を見合わせた。鴨尾としては、時嶋がいなくなったら特に用はない。芦原と佐山も同じ気持ちのようだった。芦原が頭を下げた。


「わざわざお時間を取っていただいたこと、心から感謝する。今後もご協力が必要となれば連絡するかもしれない」


「時嶋の都合がつくとは限りませんが、我々でよければいつでも」


 鴨尾と佐山も深々と頭を下げた。それでこの聴取はお開きとなった。


 タブレットをオフにし、解散した。


 鴨尾はデスクに戻った。肩を回して脱力する。一日で色んなことがありすぎて、体が疲れきっていた。


「ふぅ……長かった」


 あとは今日入手した情報を記録するだけだ。必要な書類が山積みになっている。


 メモ帳を入念に確認しながら、事細かに記録を残していく。その日残された時間は、書類をひたすら片付けることに費やした。

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