第45話 悪く思わないで――

 私は部屋に戻り、ベッドに頭から倒れこんだ。


 もう何も考えたくない。私はまた人を殺してしまった。


 。殺したくもない人を、明確な殺意を持って殺した。


 美里の死に顔がまだ脳裏に焼きついていた。顔は鬱血して紫に変色し、口は半開き。それとは逆にかっと見開いた瞳。


 ……過去のことは忘れろ。未来のことを考えろ。


 まだ何も終わっていないのだ。すべてが完遂されたら、町谷と一緒に姿を消す。どんな方法を使うのか知らないけれど、町谷のことだから何か考えがあるのだろうと信じてここまで来た。


 町谷の数々のアリバイは私には到底解けそうもないものばかりだ。むしろその不可解さによって、島から脱け出せるトリックを持っているという町谷本人の言葉に説得力が生まれていた。


 あとは町谷が黒栖を殺せば、殺人は完了する。もう座して待つのみだ。しかし、私にはどうも引っかかることがあった。


 なぜみんな通報しようとしなかったんだろう、ということだ。


 私はスマホを持ってきていない。だから、この島が今電波の通じる状況なのかどうかは分からない。だけど。


 。これは普通に考えたら不自然きわまりない。


 何か通報したくない理由があったのだろうか。ほぼ全員が死んでしまった今、確認のしようがない。


 そしてもうひとつ。最後の生き残り、黒栖のことだ。


 黒栖などという名字は聞いたことがない。偽名である可能性が高いのではないか。で、この文字列……黒栖……クロス……。なぜだかどうにも引っかかる。


 ま、今の私の目標は、生きて帰ること。それだけだ。だから細かいことは正直どうでもいい。というか、余計なことに頭を使うのはエネルギーの無駄だ。今はこの場を乗り切ることに集中しなければならない。


 私は両頬をパチンと叩いた。柔道の稽古を受けていたころ、道場に入る前に毎回この動作をしていた。今でも気合いを入れるのに使っている。


 だんだん心が落ち着いてきた、そのとき。


 ドン、ドン、ドン。ドン、ドン、ドン。


 唐突にノックの音が響いた。


「はい。どなたですか?」


 私は返事をしたが、応答はなかった。


 ドン、ドン、ドン。ドン、ドン、ドン。


 ノックの音だけが響く。一五秒ほどすると音は消えた。


 町谷からは、美里殺害後にまたノックしにくるとは聞いていない。


 私は不審に思い、ドアにゆっくりと近づく。ノックが再び鳴り始める気配はなかった。


 誰の仕業なんだろう。黒栖か町谷か――。


 相手が誰かも分からないのにドアを開ける道理はない。


 たとえば、黒栖が美里の死体を発見し、たった今この部屋にノックしてきたのだとする。すると、ここで私がドアを開けるのは得策ではない。


 なぜなら、黒栖がこのドアを開けるかどうかで私が犯人かどうか判定しようとしている可能性があるからだ。私が犯人でなければ、不審なノックをされてドアを開けるはずがない。危険すぎるからだ。


 開けるのは得策じゃない。そんなことは頭では分かっている。でも……気になる。こんな状況でピンポンダッシュみたいな真似をする必要がどこにあるのか。


 好奇心に負けた。私はできるだけ音が出ないようにドアロックを外し、三〇センチほど開けた。すると……なぜか廊下の電気が消えていた。


 すぐ横に誰かがいる気配がした。


 次の瞬間。


 その人影が襲いかかってきた。私はドア横になぎ倒される。そいつはうつ伏せになった私に馬乗りになる。


 そして――私の首に縄がかけられた。


 なんで、なんで。おかしい。町谷が裏切った?  それとも黒栖が自暴自棄になった?


 私は必死に抵抗するが、なす術もない。ロープを外そうにも、ガッチリと首回りに食い込んでいる。


 息苦しくなって、でも絶望するしかなかった。……美里もこんな気持ちだったのかな。


 そのとき、ふと気づく。手触りからして、ロープは私が美里を絞めたときに使ったのと同じだ。


 ……フッ、そんなことに気づいて今さら何になる。


 私の中で何かが吹っ切れて、気づいたら心の中で自嘲していた。


 酸素が行き届かなくなってきた。全く頭が回らない。


 ぼうっとして、視界も狭窄してきたときだった。背中の上から誰かの声がした。


「悪く思わないで――」


 かろうじて聞き取れたのはここまでだった。語尾が「くれ」だったのか「ください」だったのかは最後まで分からなかった。

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