第四・第五の被害者 (神々島パート)

第44話 ごめんなさい、ごめんなさい

https://kakuyomu.jp/users/kouyadoufu999/news/16818622173453505226

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 怖い。すごく怖い。


 本当は美里を殺したいだなんてこれっぽっちも思っていない。できることなら人殺しなんて二度としたくなかった。


 でも私は町谷に脅迫されている身。もはや殺さないという選択肢は残されていない。


 ポケットの中に手を入れ、そっとロープに触れる。これがつい数時間前に井口と真渕を死に追いやった凶器なのだと思うと、気分が悪くなった。


 余計なことは考えるな。精神衛生に悪い。


 美里がいるのは二階の二〇三号室。


 早く終わらせたいという気持ちは頭の片隅にあるのに、足取りは鉛のように重い。ゴールの見えない砂漠を歩いているかのようだった。


 なんとか二〇三号室の前にたどり着いたのは、体感では一時間ほど経った後だった。実際は三分かそこらだろうか。


 別に実際の時間などどうでもいい。目の前のことで頭がいっぱいだ。


 ドアの前に立ちつくす。


 顔に出すな、顔に出すな、顔に出すな。


 スーッと息を吸いこんでから、躊躇を振り払ってノックする。ためらったら負けだと思った。


「……誰?」


 美里から返事があった。敵意を剥き出しにした声色だった。


 私は暴れ続けている心臓をなんとか落ち着かせる。早く答えないと。妙な間があいてしまったら怪しまれるかもしれない。震え声になりそうなのを堪えた。


「溝野です」


「望実ちゃんか、どしたん?」


 美里の声が少し柔らかくなった。信用してもらえているようだ。申し訳ない気持ちになる。だがそんな邪念は捨て去り、さっき考えてきた言葉を無感情に並べる。


「一人で部屋にいると寂しくて不安で……。和泉さんの部屋にちょっとの間だけでも入れていただけませんか……」


 しゃべりながら自己嫌悪に陥る。私は今からこの情に訴えた相手を殺そうとしているのだ。


 そんなことは知るよしもなく、美里はドアを半開きにさせた。顔だけ覗かせてくる。


「町谷とか黒栖とかが隠れて見張ってへんかちゃんと確認せんと。ドアを開けるのを今か今かと待っとるかもしれんからな」


 美里は周囲をキョロキョロと見回す。しばらくそうしてから、安心したのか私を招き入れてくれた。


 部屋の中は整然としていた。荷物はベッドのそばにまとめられている。目につくものといえば、長机の上に置かれている折り紙くらいだ。


 美里がベッドに腰を下ろし、私にも座るように布団を叩いた。素直に座る。


 美里が優しく尋ねてくる。


「何か話でもする? 不安なんやろ?」


「まあ……」


 やりたくない。怖い。そんな感情に埋め尽くされて、私は言葉が出てこなかった。


 美里が怪訝そうな顔をしてこちらを覗きこんでくる。


「どうかしたん?」


「いや、ただその……」


 このままでは埒が明かない。


 私は心に決めた。美里の顔はまともに見られなかったので、うつむき加減になってしまう。


「和泉さん、折り紙を折ってくれませんか。何か折っていただけたら元気が出る気がします」


「あ、そんなことでええん? 何折ってほしい?」


 しまった。考えていなかった。私は回らない頭で必死に考えた。一番好きな花。


「菊で……」


 美里が目を丸くした。私も言ってから後悔する。この死と隣り合わせの状況で菊はダメだって……。頭がもはや機能していないようだ。


 美里は何か言いたげだったが、結局重々しくうなずいた。


「ええよ。菊折ったら望実ちゃんが元気出るんなら。ちょっと待っといてな」


 彼女はベッドから立ち上がり、壁に向かって備え付けられている長机に座った。一枚の黄色い折り紙を取りだした。


 彼女は背を向けている。首を絞めるなら今がチャンスだ。


 私はひっそりと立ち上がった。気配を消して、美里が座っているイスの後ろに回りこむ。美里は私が背後に立ったことに気づいていない。


 ごめんなさい、ごめんなさい。


 心の中で何度も謝りながら、私はロープを美里の首にかけた。美里は、何が起こったか分からないといった表情でこちらを見上げてくる。私は目をつぶった。それからはただ一心不乱にロープの両端を引っ張った。


 美里がどんな顔をしているのか怖くてたまらない。


 ロープに抵抗がかかるたびに、美里がロープを外そうと手をかけているのが分かる。ロープの動きから、美里がのたうちまわっているのが分かる。


 考えるな、何も。


 どれだけ経っただろうか、ロープにかかる抵抗がフッと消えた。私はそのあともしばらく引っ張り続けた。


 これぐらいで、もういいかな……。


 片目を開けると、美里はすでに事切れていた。さっきまでは生き生きとしていた瞳が今はどんよりと淀んでいる。吐き気を催した。口元を懸命に押さえる。


 絶対に吐いちゃダメだ。ここで吐いてしまったら、オムライスを殺人現場にぶちまけることになる。しかし、オムライスを食べたのは私だけだ。黒栖からしてみれば、決定的な犯行の証拠になる。


 ……殺人を犯してからもこんなことを理性的に考えていられる自分に、再び嫌悪感を覚えた。


 この部屋にもう用はない。心がしんどくなるだけだ。


 何も証拠を残していないことを確認し、私は自室に戻った。

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