第33話 やらずに後悔するより、やって後悔しなさい

〈お待たせしました。前置きは不要でしょうから早速取引内容に入りましょう。私は現在とある場所――取引が完了したらお伝えします――で五人の標的を殺害する計画を立てています。そこに同行していただきたいのです。そして――〉


 その直後の文面に卒倒しそうになった。


〈あなたにはそのうちの一人を殺していただきたいのです。了承していただけますか? 了承をいただき、殺人が無事完了したならば、私は何も手出ししません。情報も破棄します。ただし、ご了承いただけない場合、あなたの殺人動機(と推察されるもの)をメディアに流出させ、匿名で警察に届け出ます〉


 私は頭を抱えた。脅迫内容がまさか殺人だとは思わなかった。想定をはるかに上回る最悪の事態だった。正直、金を渡せば済むのではないかと楽観的に考えていた。


 なんとか、なんとか――。手が勝手に動いた。


〈お金ならいくらでも払います。どうか殺人だけはご勘弁いただきたいのですが〉


 腰の低い言い方だが、しかたがない。向こうが圧倒的優位に立っているのだ。刺激するのは危険だ。私はたっぷり三〇分ほどためらったあと、震える手で送信ボタンを押した。


 驚いたことに、五分もしないうちに返信が来た。おそるおそる開封した。喉はカラカラに乾ききっていた。


〈すみません。お金は後ほど追加で請求する予定でした。先にお知りになりたいなら申し上げますと、五〇〇〇万円ほどで手を打とうと考えております。おっと、断ろうとしないでください。あなたの現在の生活状況等から銀行口座の金額を厳密に推測したうえで申し上げています〉


 腕の力が完全に抜け、スマホが床に落ちた。人生終了のベルが鳴っている気がした。もういっそ、自殺したらいいんじゃないか。私が自殺してしまえば、町谷も動機のメディア公開など実行しないだろう。


 だがいろいろ考えるうち、どうせ自殺するなら脅迫に乗ってみてからでもいいのではないかと思い始めた。もしかしたらすべてがうまくいって私も自由の身になるかもしれない。確率は限りなく低いような気も、結構あるような気もした。何しろ脅迫された経験がないのでさっぱり分からない。


 ふと亡き母がよく言っていた言葉を思い出した。


「やらずに後悔するより、やって後悔しなさい」


 使い古された文句だが、私は気に入っていた。柔道に取り組んだときも、稽古をする中で後悔することはあったが、始めたことそのものは後悔したことがなかった。大友さんを殺してしまったときもそうだ。あの選択自体は後悔していない。


 じゃあ、何もせず自殺するより脅迫に乗ってみた方がいいんじゃないか。そんな考えが頭をよぎった。考えれば考えるほど、最善の選択である気がした。どうせ人生は終わったんだ。やれるだけやってみよう。


〈承知しました。要求を呑みます〉


 すると今度は一分も経たずに返事が来た。すでに文章を作成していたようだ。


〈ありがとうございます。私はあなたを信用します。契約書等を用意するつもりはありません。では契約内容をお話ししましょう――〉


 私は唾を飲みこんだ。


〈場所は三重県の神々島に建っている「神嵐館」です。日程は九月一〇日。今回最も重視していただきたいのは行動の〝流れ〟です。少しでも〝流れ〟に背いた行動を取ると、すぐに疑いの目を向けられてしまうでしょう。あなたは、ターゲットである「和泉美里」を殺すことだけに専念し、それ以外は自然にふるまってください。とても犯人には見えないようにね。私はすべての殺人において、多種多様なトリックを用いてアリバイを作ります。あなたはせいぜいアリバイ崩しでも頑張ってみてください。ひとつでも崩せたらアッパレです〉


 町谷の饒舌なメールは続く。


〈ところで、九月一〇日はどんな日か分かりますか?


 そう、史上稀に見る猛烈な台風が来る日です。しかも、神々島を直撃します。「なぜそんな日に?」とお思いになるかもしれません。お答えしましょう。「完全犯罪」にするためです。「完全犯罪」に見せかけ、私と溝野さんは島から姿を消すのです。成功すれば、私もあなたも平穏な生活に戻れることでしょう。


 というのも、溝野さん。実はあなたも私が殺害しようと思っていた標的の一人なのですよ。でも、あなたが大友さんを殺害した動機には同情の余地があるのではないか。そう考え直しました(私の推測した動機が正しければの話ですが)。しかし予定は変更できない。そこで、なんとか救済の手を差しのべようというわけです。他の者は有無をいわさず皆殺しです。あえてあなたにリスクの高い取引を持ちかけているのは、むしろ感謝していただきたいところです。


 さて、お待ちかねの和泉美里殺しの話に移りましょう。あなたにはロープで絞殺していただきます。ただし、勝手に殺したりしてはいけません。私がタイミングを見計らってロープをお渡しします。絶対にそれを使ってください。さっき〝流れ〟に従うのが一番大事と言いましたけど、嘘ですね。こちらの方がもっと大事です。忘れないように一〇回唱えておいてください。


 なお、神嵐館にターゲットたちを召集するのは私ではないという体にしてあります。標的の一人である黒栖隆正を脅迫し、その役を担わせておりますので。あなたにもそのうち招待状が届くでしょう。ターゲットたちは金で釣ります。あなたも金に引き寄せられて館に行ったことにしてください。


 言いたいことはだいたい言えましたかね。集合は当日の朝七時、鳥羽空港ロビーです。標的たちも同じ時刻にやってきます。以上です。三週間後お会いしましょう〉


 現実感が湧かなかった。ロープで殺すということは、和泉美里さんが死ぬまで首を絞め続けなければならないのか。できる自信がなかった。大友さんを殺したときは、電車の前に突き飛ばすだけだった。あの時は一瞬だったのだ。だが絞殺はわけが違う。


 私は頭を抱え、自分の人生を呪った。早速判断を誤ったんじゃないか。何も知らずに自殺しておいた方がマシだったんじゃないか。


 いや、自殺などいつでもできる。最後の切り札にしておけばいいのだ。いやでも――。


 脳内で考えが右往左往する。自分の本当の気持ちがどれなのか分からなくなった。深呼吸して心を落ち着かせる。


 きっと大丈夫。全部うまくいく。そう私は腹をくくった。恐怖に怯えながらも、承知した旨を返信した。

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