第28話 私たちが目指すべきことはただひとつ
ロビーのドアが開いた。
「持ってきたわよー」
私の心の中とは裏腹に、恵子が明るい声を掛けてきた。彼女はオレンジ色のバスタオルを二枚抱えていた。私は「ありがとうございます」と優しく返し、片方を受け取った。
頭や服を軽く拭く。タオルのメーカーを確認すると、なかなかの高級ものらしかった。そのためか、体についた雨滴はかなり取ることができた。すると、再びドアが開き、美里が入ってきた。
「うわ、めっちゃ濡れてるやん。大丈夫?」
「私は大丈夫」
恵子が答えると、美里は申し訳なさそうに目を伏せた。
「恵子ちゃんのこと心配はしてたんやけど、望実ちゃんが行ってくれたからそのままにしちゃった。ごめん」
「私が悪かったわ。他の人たちはどんな感じ?」
「ちょっと話して、犯人は恵子ちゃんってことで納得したっぽい。美里は納得いかんけどな。真渕が井口を殺した犯人で、自殺したとかいう可能性はないんかな。そっちの方がありそうやけど」
私は少し考える素振りを作ってから、首を振った。
「真渕さんの部屋を見回した感じ、凶器らしきものはありませんでした。たぶん他殺なのは間違いないと思います」
より簡潔に言うなら、町谷が殺した。以上だ。
美里が渋面を作った。
「そうなんかなぁ。望実ちゃんは恵子ちゃんが犯人やと思ってんの?」
「まさか。遠藤さんが人殺しをするなんてこれっぽっちも思ってません」
「じゃあ……」
「誰が殺したと思うか、と聞きたいんですか? 私には分かりません。仮に私が想像で答えたとして、状況がよくなるとも思えませんし。私たちが目指すべきことはただひとつ。生きて帰ることです」
恵子が身を震わせた。自分が狙われているかもしれないことを自覚させてしまったようだ。少し反省する。
あまり警戒させてしまえば、町谷が殺害を実行する邪魔になる。私がなすべきことは、下手に町谷の邪魔をしないこと。そうすれば私だけは生きて帰れるのだ。そう自分に言い聞かせる。じゃないと心がもたない。
さっきむやみに町谷のアリバイを崩そうとしたのは失敗だった。アリバイがあまりに完璧だったので、急に不安になってきてしまったのだ。私は町谷をバックアップしつつ、殺人に対して見て見ぬふりをし続けなければならない。
本当は人殺しを見過ごすなんてあってはならないことだ。そんなことは分かっている。だけど、自分が死ぬのに比べたら幾分マシだという邪悪な考えで、この理不尽な状況を耐え忍んでいる。
そんな内心はおくびにも出さず、私は食堂の方を指さした。
「ひとまず戻りましょう。みんなで丁寧に話し合えば、何か解決策が浮かぶかもしれません」
美里は同意したが、恵子は気が乗らないようだった。威勢を張って飛び出した手前、戻りにくいらしい。
私は歩き出しながら、軽く笑って言う。
「一人でここに残るか、私たちと食堂に戻るか、どちらにします?」
「いじわるね。分かったわよ。一緒に行くわ」
恵子が渋々といった様子でついてきた。美里は「その意気や!」と言いながら恵子の背中をぶっ叩いた。
食堂の扉を開けると、町谷がこちらに気づいてニヤついた。
「意気地なしが戻ってきたようですね」
「……そんな言い方はないでしょう」
私は思わず反論した。協力関係を結んでいるとはいえ、こいつのことははっきり言って嫌いだ。平気で人を貶める殺人鬼。その評価に偽りはないだろう。
「話し合いが大切です。対立を深めるような言動は避けてください」
私はピシャリと言い放った。本心だった。人と人とを繋ぐのは対話だけだと思う。
「ほーう。私に対してそんな口をきくんですねぇ。まあいいでしょう。溝野さんはお優しい方ですからね。今回は勘弁しておきます」
町谷がおおげさにのけぞった。芝居じみた動きだった。
「ま、とりあえず座れよ」
黒栖が低い声で助け船を出した。彼は第一印象は悪かったが、案外気が利くところがある。
私と美里が適当に腰を下ろすと、恵子も伏し目がちにイスを引いた。町谷もさすがに気の毒に思ったのか、あるいは単に興味を失ったのか、それ以上いじるようなことはしなかった。
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