マキラはずっと胸に抱く不安を押し殺していた。

 当然の如く計画も作戦も説明も無くマキラはシュランゲに導かれるままにそこに立っている。

 シュランゲは夢の中で繰り返しあらゆる結末を見て、その上でこの手段を選んだとしても、現実のマキラは当然のようにその夢の中身など知らない。


 これが本当に最善手なのか。そう問いただしてやりたい。

 相手がラルフなら、そこにあるのは諦観なのだと分かる。

「(でも、彼のことはあまり分からない。少し、知っているだけ)」

 ラルフやエリックと過ごした時間に比べれば、ほんの瞬きに近いような短い時間。

 マキラに分かったのは、彼が邪悪であること。


 今日が良い日になるなんて、もちろん信じていない。



 ◆◆◆◆◆◆



 屋上に揃うのは魔女や人狼に人形遣い等々。人ならざるシュランゲの手駒たち。

 勇者が現れても、彼らは命令通り指一つ動かさず、その場で静止していた。

 このために用意されていたであろうライトで照らされた屋上は、薄暗い屋外を静かに照らしていた。


「彼らが貴方にはどう見えますか?」

「ツェツィーリアを含め、彼らはみんな悪魔だろう。

 人にいくら擬態しても、僕の目は誤魔化せない」

「ええ。そうです。ふふ、胃袋を満たすのはけっこう骨でしたよ。そのために、この辺りのマフィアから毎週を運ばせてるんですよ」

 死に多く触れてきたものなら、悪魔たちから立ち上る血生臭さを感じただろう。ただ人を食うことを好んだり、弄ぶことを好んだり。流れた多くの血は呪いのようにこびり付いている。


「酷い話ですよ、本当に。

 虫よりも簡単に殺されるのに逃げれば地の果てまで追われ。

 自由に動けずコソコソとこの穴蔵で必死に隠れて過ごしてきた。」

 今のシュランゲの手駒は一国を滅ぼすに足りるだろう。


 だが、彼にすれば一国なのだ。

 世界を自在に手の上で転がし、気まぐれに大陸を消し飛ばし、そうして積み上がった屍の上で腹を抱えて笑う。

 そうして過ごすことしかしなかったシュランゲにとっては、少ない手札でやりくりをするのは、手足を捥がれたようなものだった。

 のたうつように地面を這い回り、迫るタイムリミットに追われながらせっせと策を練るなんて。

「ええ。夢とは言えひどい苦行でしたよ」

 死んで次へ行くことも選べず、シュランゲは恐らくは初めて必死で生き残ろうとしたことだろう。

 ただ、惜しむらくはそんなことで彼の中に罪悪感など目覚めはしないのだが。


「ラルフ、君は何の話を…」

 形の良い眉を困ったように下げるエリックに、シュランゲは黙れと言わんばかりに笑顔で人差し指を立てた。

「殺されながら、色々と私なりに考えたんですよ。

 どうすれば【マキラを殺せるのか】を。

 実際のところ、どうなんでしょうかね?」

 シュランゲは立てた人差し指をそのままエリックの隣に居るマキラへと向けた。

 魔法も無く、武器もないその指には何も力も無い。



「私が思うに、

 マキラという少女は、とっくの昔に死んでいますよね?」



 ◆◆◆◆◆◆


 ◆◆◆◆




 ───マキラは死んでいる?


 私には理解が出来ないわ。

 だって私は今ここに居る。人間では無くなったことをシュランゲは【死】と形容している?でも、何か違う気がする。


「生物の枠からは随分と外れて居る。というのは一旦置いておきましょう。実際のところ、一応殺せましたし」


 殺された覚えは無いわ!!

 でも、この場ではしゃべらないようにと言われていたから、私はじっと息を殺してシュランゲの声に耳を傾ける。

 エリックの表情はよく見えない。でも、私と同じようにシュランゲから目が離せずに居るのは確かだと思う。


「ラルフ・エリック・マキラが出会ったあの世界で、マキラは赤髪の騎士エミーリアによって殺され、貴方は魔法を代償にマキラを蘇らせた」

 シュランゲの仕草は探偵でも演じているかのように大げさで、舞台上で一人スポットライトを浴びているかのようだ。

 そこまでは私の記憶と変わらない。死んで意識が遠くなってから、次に目覚めるまでに何があったのかを直接見てはいないけど、私はそうして蘇ったはずだ。


「はて、


 カクンと首を傾けたシュランゲの双眸には、きっとエリックしか映っていない。

 悪魔たちはエリックが動くまで動くなと言われているし、シュランゲが私なんて見ていないのは前からだ。

 私はシュランゲはエリックと戦うのだと思っていた。もちろん、彼は直接は戦えない体だけれど。

 ラルフには出来ない、ラルフが知らない何かでエリックか私を殺すのだろうと、そう思っていた。だってラルフは悪人だから。

 エリックがここまで来た以上、私もエリックと戦えと言われるのだと思っていた。恋人同士の殺し合いなんて、いかにも趣味が悪い彼らしいような気がして。


「もう一度聞くよ。君は何が言いたいんだ、ラルフ」

 エリックが強い口調で問う。

「ああ、申し訳ない。ですが、回りくどくてもきちんと理解させなければならない事ですから」

 謝る気など微塵もない声色でシュランゲは言葉を返す。

「僕は魔法を代償にマキラを蘇らせた。マキラは僕の恋人で、君の親友で────「そこじゃない」


 言葉を被せ、シュランゲは目を細めて不気味に笑う。

 細い指先で空をなぞり、確信を持った目でエリックを見た。

、気味の悪い触手の塊。

 マキラの得意な魅了の魔法を使い、同じ見た目同じ声………概ねは同じ思考で動いている。」


 概ね。

 そう、私の思考は随分とあの頃の私からは離れてしまった。顔は欠けているし、体も人間とはとても言えない。


「私が思うに


 …貴方は魔法を代償にマキラを蘇らせたのでは無く、マキラの様なモノを1から創ったんじゃないですか?」



 あれ。どうしよう。

 私、この話、もう、聞きたくないわ。



「何を、言っているんだ君は」

 エリックの表情が変わる。そこにあるのは強い不信感。

 そうよ。お願いエリック。否定して、そんな話、嘘だと言って。

「ははは。で、どうなんですか?

 、数ある無数の魂からマキラのものを選び出して戻すなんて、本当にできたんですか?」

「当然だよ。マキラの魂はちゃんと覚えてる。」

「ええ。貴方は人の区別を魂でしか付けていない。

 双子やら親子やら人類には似た顔が並ぶ中、魂だけは唯一無二ですからね」


 ねえ、エリック。私にはもう否定ができないの。

 だってだってだってだってだって


「じゃあ、何故その偽物を未だにマキラと呼ぶんですか?」



 私はあなたの隣にいないじゃないの!!!!




 ◆◆◆◆


 ◆◆◆◆◆◆




 堪らずマキラは飛び出す。

 エリックが屋敷に来る前から、ずっとマキラは悪魔たちの後ろに隠れていた。


 ベルデにはきっと理解が出来なかっただろう。

 顔が欠けていないことと年齢以外、クラウンは完璧にマキラだった。マキラが多少形を変えることを知っていたから、成長した姿にでもなれるのだと。

 それに対してもう一人のマキラは姿形はマキラではあったが、仕草や表情が全く違っている。

 特に、その目。感情が無く、瞬きもしない。人形遣いのケイトがああして死体を操るのを見たことがあったから、きっと人形の首が飛ぶのだと思っていた。


 感情のままにマキラは触手を伸ばし、エリックの横の人形を叩き潰す。

「なんで!なんでよ!!なんでそんな簡単に騙されちゃうのよ!!」

 金切り声を上げてマキラは髪を振り乱し、制御できない苛立ちから欠けた頭をかきむしって触手の粘液を撒き散らす。

「そんなデクとワタシを見分けられないなんて!!」

「あはははは!まあ、許してあげましょうよ!

 人間に混ざって大した興味が無いからこそ、マキラとドゥ=マキラが別物であることを理解できないんですから!」

 興奮気味にシュランゲはマキラの欠けた頭からはみ出た触手を掴んで引く。


「ねえ、エリック。コレにマキラの魂は入ってるんですか?」

 心底楽しそうに嬉しそうに笑うシュランゲの見つめる先で、エリックは感情が欠落したようだった。

 見開かれた目、ピッタリと閉じた口。嘘が付けないとはなんとも損な話だとシュランゲは肩を震わせる。

「いつもの様に、魂を見て魂から心を読んで、欲しい言葉を与えてあげてはどうですか?」


「エリック!!言ってよ!私はマキラだって言ってよ!あのマキラだって!!間違いなく、偽り無く私は蘇って、ワタシの心は、魂はマキラのものだって言ってよ!言いなさいよ!!」

 エリックは口を開き、何も言えずに閉じる。

 常に迷うことも惑うことも無く希望という道を突き進み続けてきた勇者のそんな姿に、マキラは数歩よろめきその場に膝を付く。

 シュランゲの手から触手が力無く滑り落ちると、粘液で汚れた手袋を彼は外してそこらへ放り捨てた。

 背後にいた双子の片割れがそっと新しい手袋を渡して下がると、エリックの意識が自分にだけ向いていることにシュランゲはほくそ笑む。


「どうして、マキラを傷つけるようなことを…」

 やっとエリックの口から出た言葉に、シュランゲがわざとらしくため息をつくと、エリックは一度マキラから目を逸らし、また口を開く。

「いや、違う。僕のせいだ。

 ごめん、マキラ。

 …でも、僕は確かに君を、君に戻って来て欲しいと望んだんだ。また、僕ら3人一緒にいるために」

「それが、ワタシだって言うの?こんな、こんな姿、こんな醜いバケモノがマキラだって言うの…?」

 片方の目から、じわりと粘度をもった液体が溢れる。涙なのか、触手の粘液なのか分からないものはとめど無く頬を伝い、床に落ちていく。


 ドゥ=マキラに、マキラの魂は無い。

 人はどんな奇跡でも蘇ることは無く、エリックがその魔法のすべてをかけて創り出したのは、自分が無邪気で無垢なマキラだと思い込んだ一匹の化物だった。


「色々と試していましたが…それがなんであれ、結局はどれもこれも魂のある生物を殺すための手段です。

 そんなモノで貴女は殺せない」

 エリックがそう望んだから。

 ありとあらゆる毒は効かず、呪いは効かず、魔法も物理的な手段も意味を持たない。生物を殺す概念で、マキラは殺せない。

「魂の無い生物を殺すための道具なら殺せたでしょうね。」

 例えば、あの何でも殺せる銃の様に。

 そうでなければ殺せない。だからこそ、シュランゲはこうしてマキラを殺すことを選んだ。


 ドゥ=マキラの中の、【マキラ】を殺すことを。


「ねえ、ドゥ=マキラ。

 もう貴女が我慢をする理由なんて、どこにも無いんじゃないですか?」

 肩に手を添え、そっと耳元に口を寄せて囁く。

 誰もシュランゲを止めない。止められない。

 エリックには理解ができない。マキラを誰よりも殺したがっていたはずの『彼』が、これから何をしようとしているのか。

「マキラらしくしても、貴女の孤独は埋まらない」

 エリックを想い続けても彼の心中にマキラは居らず、ラルフは既にもういない。

「なら、欲しいままに求めれば良い。

 貴女にはそれができるんですから」



 ◆◆◆◆◆



 エリックが何かを言っている。

 シュランゲの言葉を遮ろうとしているみたいだけど、聞こえない、聞きたくない。

 ワタシとデクの棒の見分けもつかない、シュランゲとラルフの見分けもつかない。

 みんなの勇者で特定の誰かの騎士には決してならない。


 ワタシのやりたいこと。

 ワタシの欲しいもの。

 ワタシはもう知っている。


 ワタシの中の『マキラ』は死にたかったけど、ワタシは死にたくなんかない。


 ワタシを愛してくれる人が欲しいから。一人じゃ足りない。100人でも千でも万でも足りない。

 すべての人の愛がほしい。

 ワタシを見て、ワタシを想って、ワタシを愛して。


 …私も、本当はそう望んでいた。

 でも、私の魔法にそこまでの力は無いから、諦めていた。人の心を歪めてしまうのは良くないって思ってた。

 だから無垢なフリをした。純潔なんてとうに失っていたくせに、二人の前では無垢で無邪気な女の子で居た。

 エリックが誰かに優しくすることに嫉妬して、ラルフが祈る神に嫉妬して。

 エリックは私がそうだと知ってたくせに、ワタシに無垢で居てと望みを込めた。


 でも、もうそんなこと、しなくて良いの。


 エリックが望むラルフの光になんてワタシはもうなれない。シュランゲの心にも手は伸ばせない。


 エリック。

 ワタシはマキラじゃないけれど、

 本当に本当に大好きだったよ。


 だから、最後にはワタシだけを見ていてね。



 ◆◆◆◆◆




 マキラの触手が二人を突き放す。

 エリックはすぐに体制を立て直し、シュランゲは双子に抱えられながら。

 欠けた顔から粘液が留めなく溢れだし、間欠泉のようにマキラの全身から触手が外へと伸びる。

 その鋭さに何人かの悪魔が切り裂かれたが、シュランゲは眉一つ動かさず、当然のようにその身を守られている。小さな動きで触手を避けるエリックも、無事その場に留まった。


「ぁぁぁああああァァアアアア亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜!!!」


 マキラが叫ぶ。溺れそうなほど口に含まれた粘液を吐き出しながら。呼応するように広がった触手が脈打ち、今度はマキラの体へと巻き付いた。

 最初は手足に絡みついていた触手はすぐに上半身、下半身を覆い隠し、マキラの全身が見えなくなる頃には卵のような楕円型になっていく。


「これは…」

 代償で生物を生み出したことは、エリックもシュランゲも無かった。だから、これから起こることに予想も経験も無い。

 度重なる生の中で培われてきたモノ全てが役立たない景色に、二人の転生者はただ固唾を飲んで見守るしかできなかった。


 シュランゲは目だけで素早く辺りを見回す。

 荒れた屋上で生き残ったのは魔女の悪魔の魂を混ぜたエミーリア。悪魔の狼の魂を混ぜたヒルドルフ。ヤギの悪魔を食らった双子の執事のリンクスとレイヒツ。

 他はマキラの触手で潰されたり貫かれたりとで肉片になったようだ。

「(脆い…)」

 人間と混ぜることで向こうから門をくぐる手間を減らしたが、その反面混ぜた悪魔は弱くなった。次の転生ではどうなるかも分からないこの処置だが、シュランゲは余裕の笑みを浮かべる。


「ボス…」

 レイヒツが卵から目を離さずシュランゲに指示を求める。

「二人とも、手は出さずに。

 ヒルドルフ」

 シュランゲの声にヒルドルフは本来の姿である毛深い大きな体でシュランゲと卵の間に立つ。触手にえぐられたのか片耳は無く、左腕は今にも千切れそうになっていた。

 エミーリアは自然とエリックとシュランゲの間へと並んだ。


「…」

 めずらしく動揺した顔のエリックは、静かに剣を抜いていた。何かは分からずとも、卵から感じるのはひたらすらに邪悪な気配だった。

 仇敵から感じていたドロドロに煮詰まった悪意。それに似たものを。


「はは、ははは」

 卵が揺れ、柔らかな触手が粘液を泡立てながら膨らみはじめた。ヒトの子ども大だった卵は水音と共にどんどんと成長し、2mを超えたあたりでピタリと止まる。

「ははははははは!!」

 シュランゲの笑い声に合わせるように、頂点の触手が解け、花開くように今度はゆっくりと広がっていく。

 その中心で胎児のように丸まっていたドゥ=マキラは20前後に成長していた。

 粘液に濡れた髪の隙間から見える顔に欠けは無い。細くしなやかな肢体は芸術のように美しい。ただふくらはぎから下は触手の足になっていて、触手卵の外側へと繋がっていた。


「あひ、ひゃははははは!」

 その姿にシュランゲは腹を抱えて笑い、

 しかし唐突に笑うのを止めた。

 見下すような、それでいてつまらなさそうな、拗ねた子供のような顔でつぶやく。


「はぁ────。化物め」

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何度でも最高のエンディングを メープルクラゲ @maplekurage

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