承
「今日はいい天気ですね」
爽やかに笑いながら、シュランゲはエリックへ歩み寄る。
エリックが肩に抱える長筒には、恐らくは剣がある。以前なら一時的な逃亡ぐらいは可能だったが、今はいつ斬り殺されてもおかしくは無い。
今しがた、空港の保安検査をどう抜けてきたのかは甚だ疑問だが。
「ラルフ」
エリックがそう呼ぶ。シュランゲの首はまだ繋がっている。
「久しぶりですね」
「うん、久しぶり」
心底嬉しそうに笑うエリックに、シュランゲは微笑みを返す。
「貴方と話がしたいんです」
ラルフとの和解を望んでいるからこそ、明確な悪意や敵意を向ける、目の前で人類への攻撃を行う、そういった事をしなければ、エリックは状況には寄れど直ぐ様に剣を抜くことはしない。
前回が例え拒絶であっても、エリックには関係が無い。
「うん、もちろん」
「車を用意しています。行きましょうか」
◆◆◆◆◆
窓が黒く塗りつぶされたリムジンの後部座席に二人が向かい合わせに座ると、運転席のベルデは緩やかに車を走らせた。
「どうぞ」
備え付けの冷蔵庫からよくある水のボトルを投げて渡すと、エリックは特に疑いもせず口を付けた。
「それで、話って?」
「ええ。一度、ちゃんと聞いておこうと思ったんですよ
あなたの思う、理想の世界について」
段差で車がほんの少しだけ跳ねる。エリックの手の中で水が揺れ、小さな気泡が中を泳いだ。
「正義のために戦って、勝利した先で貴方は何を望むんですか?」
「そうだなあ…」
エリックは懐かしそうに目を細める。
シュランゲを見て、それから空を眺めるように黒い窓へ目を向けた。
「誰も傷つかず、憎まず、恨み合わない。
僕はそんな世界になって欲しい」
模範解答。
ため息をつくシュランゲに、エリックは小さく首を傾げた。
「ラルフ?」
「人類は愚かだ。そんなモノ、手に入らないと分かっているでしょうに」
「分かってるよ。でも、手に入らない訳じゃない。
夢に見るんだ。ラルフが僕に、僕の正義を貫けってそう背中を押してくれる夢を。
僕と君となら絶対できる。」
エリックの顔は眩しいほどの笑顔で。
シュランゲはゆっくりと目を閉じた。モノクロの世界でもエリックの色は脳裏に焼き付いている。
記憶だけでも十二分に補正が可能なほどに。
だから瞼の裏に映るエリックは美しい金髪と青い目をしているのだろう。芸術的とも言える存在感は健在だ。
だからこそ、シュランゲは目を閉じていなければ殺意が漏れ出しそうで。
ドライブが終わるまでシュランゲは岩のように腕を組み、じっと動かなかったが、エリックはそんな事に構わずずっと話しかけてくる。
諦めず、根気強く、この世界に産まれてからのあれやこれやら、一緒に何がしたいだとか。
「人類を進化させたいんだ。外敵が居なくなった人類はやがてそこを目指す。
そして進化した人類はもう争わない」
陰謀論者か夢想家の様な物言いだが、エリックは妙に確信めいている。
「(進化とやらをした人類を、見たことがあるのでしょうか?)」
少なくともシュランゲにはそれを見た覚えはない。
人類は多少の種族差はあれど、どれもかれもが合理的に生きようとしながら感情で不合理を振り回し、時には道理ですら覆すような、シュランゲの知る限りはそんな生物だ。
目を閉じたまま、少し考える。
エリックに言わせれば人類は不完全らしいが、シュランゲにとってはそれで良かった。
だが、エリックがそう口にするならそれが正しく、それが清いことなのだろう。
「(ああ、くだらない)」
殺意を飲み込む。飲み込んで、飲み下してしまう。
一片でもこの殺意が漏れたら、またやり直さなければならないから。
◆◆◆◆◆
ベルデが座席のドアを開けて見たのは、楽しそうに一人で話し続けるエリックと、それをひたすらに無視するシュランゲの姿だった。
「あの…」
「ああ、着きましたか。ベルデ、マキラは来てますか?」
目を開け、エリックの顔を見ないようにシュランゲはベルデを見た。
「え、あ、でも…」
困ったように眉を下げるベルデに、シュランゲは満足そうに笑って車を降りる。
シュランゲにとっては見慣れた屋敷の門。後から追いついたエリックはその前に並ぶ二人に目を見開いた。
「エリック、久しぶりね」
「ずいぶん遅かったわね」
そこに居るのは、二人のマキラだ。
◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆
「はて、マキラはどちらでしょうか」
わざとらしくシュランゲが肩をすくめる。
並ぶのは今の顔の欠けた少女の姿では無く、ラルフとエリックとマキラ。三人の暖かな記憶に残るあのマキラだ。
「ラルフ、これは…」
「私の屋敷の悪魔たちが勝手にやった様です。
エリック、手間でしょうが本物を選んでくれませんか?」
二人のマキラに対峙するエリックは、じっと見定めるようにマキラへと向き直る。
「な、なあ、シュランゲ、あれ」
「静かにお願いします。恋人を選ぶ、大事な選択なんですから」
不安そうにベルデが袖を引くと、シュランゲは心底楽しそうな笑みを返した。
エリックが荷物の長筒から細身の剣を抜くと、ベルデは口を手で抑え、悲鳴を堪える。
「エリック」
「私が本物よ」
「違う、私が」
「お願い、私を選んで」
「偽物に騙されないで」
口々にマキラが言う。
シュランゲは今にも飛び出しそうなベルデの肩に手を添え、空いた手でベルデの目を覆う。
鈍く光る刃は正確にエリックから見て右のマキラの首元へと振り下ろされた。
「よかった。斬られちゃうかと思ったわ」
「悪魔と君を見間違えたりしないよ」
首を落とされたマキラの顔はすぐに融解し、中の悪魔は嫌な臭いを放ちながら溶け始めた。右のマキラは姿を偽ったクラウンだ。人から悪魔へと堕ちた、ラルフのかつての旅の連れ。
ひどく青ざめた顔でベルデは冷えた指で口元を覆う。死体は見慣れていたが、知り合いのモノとなると中々割り切れないらしい。
「どうぞ」
そんなベルデハンカチを差し出す。今朝、ベルデがアイロンをかけて整えたハンカチだ。
「ベルデ、ここで待っていてください」
「でも、」
「後で呼びに戻ります、そしたら…」
言いかけて、シュランゲは口を噤む。
代わりにいつも通りの笑顔で告げる。
「いえ、何でもありません」
◆◆◆◆◆
「ここ、君の屋敷?」
「ええ、私が買いました。」
「…血の匂いがするね」
前をラルフが、後ろをエリックとマキラが歩く。
広い廊下は大きな窓と所々に照明の明かりがあるが、分厚い雲が空を覆った今は不気味なほどに薄暗いものとなっている。
「ここ、悪魔だらけだ」
「勝手に付いてくるんですよ」
窓から見える庭には銅像に化けた大きな悪魔がいる。
かつてラルフの面倒を見ていた、レストレード男爵と呼ばれた男によく似た悪魔が。
「エリック、私怖いわ」
「大丈夫。僕が守るから」
マキラの肩を抱くエリックを見て、シュランゲは「お熱いですねえ」なんて思ってもいない言葉を並べた。
エリックの警戒はほとんどが屋上や窓へと向いている。
階段を上がり、向かうその先をその碧眼でじっと睨みつけていた。
「突然襲われたりはしませんよ。
おとなしく待っているように言いましたから」
「…君が帰れと言えば、やつらは帰るだろうに」
「はは。ずっと誤解してますよね、そこ。
彼らは私に絶対的に服従しますが、それは『次』を前提としたものです」
悪魔もシュランゲも、死んでも『次』がある。
例えば目の前にどうしても食べたいものがあるとして、命令で食うなと言われていれば食べない。だが、その悪魔がどうしようもなく飢えていた場合、悪魔はあっさり手を伸ばすだろう。
結果的に他の悪魔に殺されることになったとしても、次へ行くだけだから。それで例え人格を消されようと、取り込まれようと、彼らは後悔などしない。
「それはそれで楽しいものですよ。
どうせなら、たまに誰かしら裏切ってくれれば退屈な舞台にもまた彩りが出るんですけどね」
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