第13話

「単身赴任?良いじゃないですか」

「ちっとも良くないわ。なんかケイトリンに騙されたみたいで」

唇を尖らせるジャスナが、孤児達の拗ねた表情にだぶって見えてエルザの口許が緩む。

「笑い事じゃないのよ」

「ごめんなさい」

エルザは笑みを絶やさない。

「けれどもこれでわたしの提案を蹴る理由はなくなりましたよね?」

「孤児院のお手伝いの件ねぇ」

ジャスナは揺れている。

「先ほど申し上げたとおりジャスナが家庭教師の職を得るのは難しいですよ?」

「……うん」

「そして、結婚している以上後宮への復帰は無しですよね?」

「…無し、よね」


この時、離婚すれば復帰できますよ?と囁かなかったのは友人としての良心だ。

エルザはジャスナの表情を伺いながら言葉を紡ぐ。


「お願いする仕事の内容は家庭教師と重なる部分もあります。まず子供たちへの教育ですね。礼儀作法、あとは読み書きに計算。四則演算といいますか、主に利息の計算を教えていただきたいですね」

「私が?」

「ぜひ。ジャスナ、あなたにお願いしたいのです」

エルザは大きく頷いて続ける。

「わたし達、下働きから後宮に入りましたので勤続年数は長くても専門性の高い仕事の経験がないですよね」

「そうね。家事というか、細々とした、家事でも名前をつけようのない仕事に一日中追われてたわよねぇ」

「後宮の設備管理や予算の策定など書類を作成するのは官吏が行っても、彼等は大抵現場を見もしません。男子禁制と言っても当時はお妃さまのひとりもいらっしゃらなかった訳ですから、正規の手続きを経れば立ち入れないことはありません。まぁベルタは黙って入れないでしょうが」

「ベルタ、懐かしいわ。よく叱られたものだわ」


ジャスナが遠い目をした。

「毎日忙しくて大変だったなぁ」

「そうでしたね」

「家でも掃除や洗濯はやっていたけど後宮って広いから」

「無駄に広かったですものね」

「一日中走り回ってたおかげで体力はついたけれど、後宮って使っていない部屋や建物がたくさんあったでしょ?王后宮とか妃宮とか」

ああゆうとこは本当に怖いのよね、掃除に入るときも灯りは手元の手提げ燭台ランプだけだし。それが風もないのに急に消えたり、高い天井の陰に何か潜んでいそうだし不気味な声がするけど絶対返事しちゃ駄目とか。古い貴婦人の肖像画がずっとこっちを見てるとか、行き帰りでポーズが違っているとか、一階を掃除していると二階から、二階を掃除しているとさらに上から使用人を呼ぶベルの音がするけど二階のどの部屋にもベルを置いていないし、最初から二階より上の階なんてなかったし。衣擦れの足音に警護詰所まで追っかけられたこともあるし。


よほど怖い経験をしたことがあるのか、ジャスナの口からは当時下働きの少女達の間で語り継がれた怪異話が一気に飛び出す。


「走り回ってたせいで叱られてたんですよ、ジャスナもアンナも」

王宮特に後宮では走ってはいけないのですよ、とエルザはあきれ顔である。

「でもおかしいですね、王后宮は先王の母君が亡くなられた後封鎖されて、内戦の際放火されて焼け落ちた跡地は──わたし達が下働きで後宮に入った頃には薔薇園になっていましたよね。妃宮に肖像画はなかったはずですけれどね」

閉めきって空気も澱む無人の宮に大切な肖像画を置きはなしにはしませんよ?どちらも勘違いでしょう、とのエルザの言葉にジャスナは青ざめ震えた。


「まあそれもこれも今となっては良い思い出ですね。ただ思い出話では仕事になりませんから。さあ本題に入りましょうか」

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初恋の相手と結婚するリスクについて @koronakoko26may

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