第12話

「単身赴任ってどうゆうこと?」

「うん、国境警備だからね。家族が一緒に住める寮とか無くてね」

「辺境砦詰めの任期が明けて、夏前には王都こっちへ異動になるって私に言わなかった?」


ジャスナの幻聴ではない。それは確かに目の前のダーリンの口で語られた事実だ。

それが証拠にケイトリンの目が泳いでる。

八ヶ月前、ケイトリンが休暇で実家に戻っていると聞いて、ジャスナは上司同僚に無理を言って休みをとった。

王都から馬車を走らせても片道丸二日はかかる故郷へゼロ泊五日の弾丸帰省の際彼自身から聞いている。

だから私は結婚と──退職を決めたんじゃないか。


「あの時は異動先は王都だったんだよ、ホントにね。ちゃんと内内内示があったんだ。内内示の時も王都への異動は確実だったんだ。内示も王都だった、と思うんだけど、とんだどんでん返しでねぇ、みんながっかりしてるよ。もちろん僕もね。でも部隊長に『そこは大人の事情』って言われたらしようがないでしょ」

大人の事情っていったい誰の事情なんだろうね僕もとっくに大人なんだけれど、とケイトリンがははは、と乾いた笑い声を上げる。


ジャスナはケイトリンの、空っぽな頭と身体に反響させるような笑い方が好きだった。

でもそれも時と場合によりけりなのだと今わかった。


「ケイトリン」

「ははは──どうしたのジャスナ」


顔が怖いよ、と言う台詞はさすがに飲み込んだケイトリンだった。

しかしケイトリンは言いたいことが顔に出る。そしてジャスナはケイトリンの表情から彼の本音を読み説く達人エキスパートだ。

年齢=交際歴の(遠距離恋愛期間も含む)幼なじみのみが修得しうる特殊スキルである。

当然、ジャスナの表情筋がいっそう強張ってゆく。


お前のせいでこういう顔になってんだろうが。

叫ばなかった自分は褒められてもいい(誰に?)とジャスナは思った。


「私、仕事を辞めたのよ」

「知ってるよ。後宮の侍女は独身って決まりだからね」

「辞表を出す二月前ふたつきまえには上司からは昇格の内示があったのよ、王宮の取締補佐にって」

「王宮──」

「国王陛下や宰相閣下の下で働く侍女に官吏、下男下女まで、ざっと六千人を管理する役職の補佐よ。その権限は確か、後宮は勿論、王宮に詰める近衛隊にも及ぶんだったわね。三年経てば取締役に昇進できる、とも言われたわ」

「それは──凄い出世だね、おめでとう」

「おめでとう、じゃないわよ。断ったんだから」

「えっ、どうして。もったいない」

ですって?」


あんたと結婚するからだろうが。


雄叫びを上げなかった自分は神様にだって魔王にだって褒め称えられるべきだ、とジャスナは思う。



ケイトリンには最初から違和感があった。ようやくその違和感の正体に気づく。

ジャスナはいつもより少し低く、ゆっくりと喋っている。

普段早口な彼女にしては珍しい。


これは、、、

ケイトリンはようやく気付いた。

でもそれは口に出してはいけないヤツだ、というとこまでは至らなかった。

「ねぇジャスナ。きみもしかして──」

国軍に入隊して十年余り。

辺境から辺境への異動が相次ぎ、空模様を読むのだけは得意になったが未だに読めない、あるいは読み違えるものがある。

上司の機嫌と書類の行間と場の空気。

ジャスナの表情もほぼ七割の確率で読み違えているが本人は気づいていない。


この時ジャスナの表情筋の強張りは最高潮に達していた。

もしもケイトリンが感受性が豊かならぴきぴき、という音を聞いたかもしれない。

「怒ってるの?」

もしもケイトリンが感受性が豊かならビチビチッ、と言う音を(以下略)

「なんで?」

もしもケイトリンが感受性が豊かならバキッ!バキッ!という音を聞いたはずである。

いや絶対聞こえてるだろうこの状況。周囲に人が居れば退避勧告が出されるレベルだ。


ジャスナは無言だった。

無の境地に至って怒りを静めようと一応の努力の最中だった。


ちなみに。

この世界にはないが、異世界日本国の伝統芸能のひとつに能というものがあり、能では能面を用いる。能面は役や感情を表し多くの種類があるが、そのひとつに生成なまなりという面がある。これは主に夫や恋人への怒り怨みを募らせた女性が鬼に変化へんげする過程であるのだが、今のジャスナがこれと瓜二つの表情をしていた。違いは心持ち口が閉じ気味であるくらい。

時代が変わっても世界が違っても、女を鬼に変えるほど激怒さすのは無神経な男、というのは普遍の事実のようだ。


もちろんケイトリンは生成なんて知らない。

空気も読めない。

女心が読めない、わかっていない。

何故ジャスナが怒っているのかもわかっていない。


ジャスナの怒りも絶望も、その他なんやかや含めたが最愛のケイトリンに伝わらない。


その事実がジャスナを打ちのめしていた。

この時はじめて、ジャスナは結婚をちょっぴり後悔していた。

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