鳥とおんなのこ

渡貫とゐち

甲板で出会う


「きぃー、きぃーっ」

「あっ、ペンギンさんだー!」


 甲板に出ていた少女が物陰にいた一羽の鳥を見つけた。

 飛べない鳥の代表例、白と黒のペンギンである。


 少女の膝ほどの大きさなので、意外と大きい。

 水族館でガラス越しに見るペンギンとは違い、目前に実物の野生のペンギンがいるとゾッとするものだが、少女は無警戒に近づいていく。子猫と同じような接し方だ。


「きゅい、きゅいきゅー!」

「なんでこんなとこにペンギンがいるんだろ……どうやって乗ってきたの? ペンギンだから飛べないもんねー?」


 ――豪華客船である。

 勢い余って飛び乗ってきた、わけではなさそうだ。下から上がるよりも上から落ちる方が簡単に乗り込むことができる……が、ペンギンは飛べないので、上空へ向かうことはできない。

 侵入経路が不明だった。


 ……そんなことを気にする女の子ではなかったが。

 後頭部に赤い大きなリボンを付けた少女だった――七歳。平日はランドセルを背負って学校へ通う普通のおんなのこ。ただし家柄は少々、いやかなり特殊だったが。

 いわゆる上級国民というやつである。


「ペンギンさん、高級フレンチ食べる?」

「きゅっきゅっ」


 ばたばたと。両手を振るが飛ぼうとしているのだろうか。しかし、残念ながら構造上無理である。ペンギンは空を飛べないのだ。

 神様のイタズラではなく、不要だからと切り捨てた彼らのDNAの責任である――


「ごはん、ちがうの? ペンギンってなに食べるんだろ……魚、だよね? あるとは思うけど調理されてるからそれってどうなんだろ……――いっしょにいく? 食べ放題だし、連れていってあげる。リリの分も好きなの食べていいからねー」


 リリ――それが少女の名前だった。

 小雲(おぐも)家の一人娘。


 彼女を溺愛する父親がいれば、娘に近づく不潔なペンギンなどあっという間に殺処分である。そのためペンギンは絶体絶命なのだが……もちろん野生生物なので気づかない。


 食べる側が食べられる側に回ることは、自然界では珍しいことでもなく、当たり前の弱肉強食の世界であった。


 少女――リリが、「よいしょ」とペンギンを抱きかかえた。

 むにむにである。

 肉付きがいい。……と言うのか? しっとりしていて体温もあって……気持ち悪いよりも先に愛らしいが先にやってきた。リリはペンギンに、向いているようだ。


「きゅー」

「あはは、抱っこされて喜んでるの? じゃあよかったよかった」


 落ち着いていたが、すぐにじたばたとするペンギンだった。

 彼女に包まれて落ち着いてしまったが、はっと気づいて照れ隠しをしたのだろうか。まるで人間みたいな反応である。


 小学生の女の子が膝の高さのペンギンを抱えて小走りで。

 パーティ会場まで向かう道中、周りの大人たちはペンギンの姿に気づかなかった。

 リアルなぬいぐるみ、とでも思っているのかもしれなかった。



『……はっ!? ここ、どこだ……? 俺、なんでこんなところに……?』


 倉庫のような部屋で目を覚ました大学生の青年。

 彼はゆらゆらと揺れる感覚に、寝起きのせいもあってか、すぐに酔ってしまう。


『うぇ、きもちわる……昨日酒飲んだっけ……? うぇ。初めて飲んだ時の酒くらい気持ち悪いな……。揺れてるのは錯覚じゃあ、ねえ……?』


 揺れに沿うように彼自身も揺れながら倉庫から出る。


 隙間があったので扉を開く必要もなかった。だからしばらく気づけなかったのだろう……今の自分が、大学生の青年ではないことに。


 手元を見て気づいた。手……じゃない。手というか、これは羽だ。

 黒いし、身長も低いし、歩きづらいし……なによりも肌……毛が、白と黒だった。


 鏡を見ていない以上確定はできないが、これはペンギンなのでは……?

 ――足音が聞こえてきたので慌てて隠れる。


 長い廊下、脇にあった消火器の裏の隙間に隠れる……隠れられてる? 人間は足下を見ていなかったのでなんとかやり過ごすことができたようだ。


 背中が大胆に開いたドレスを着た女性と、スーツでびしっと決めた男性が遠ざかっていく。パーティでもやっているのだろうか。

 窓の外は晴天、揺れている足場のことを考えると、ここは船の上……映画でよく見る豪華客船なのではないか?


 有名な映画は最後に沈没するらしいけど……。


『もちろんスマホはねえよな……。うわー、スマホがないことで一気に不安になるのはスマホに生活の大半を握られてるからだな……。こんなタイミングで実感するってのは良いのか悪いのか……不安が色々と重なっていくし……』


 ペンギンになった彼はこっそり、と消火器の裏から出て外――甲板を目指す。

 ぺたぺた、と田舎の少年を思わせるような早い足取りだった。感情は真逆だろうけど。

 不安で不安で仕方ない。


 甲板に出てから物陰で、これまでのことを思い出そうとする。

 記憶を辿らないとなにも分からない。


『大学で、俺は……。酒……飲み会? いや違う、次の日はちゃんと大学へいってる……で、オカルト研究会の――――ッ、先輩か!! あの魔女めっ、また変な儀式で俺のことを不可思議現象に巻き込みやがったな!?』


 犯人に目星はついていた。

 というかあの人しかいなかったけれど。


『くそっ、呪われるくらい慣れたものだと思っていたけど、これって、こんなの――今度はなんだよ!? 体がペンギンになる呪いか!?』


 それだけならいいけれど。

 それだけで終わらないのが先輩なのだ。


 ――魔女、なのだ。


 うぁああ、と頭を抱えるペンギン――彼が、近づく小さな存在の気配に気づくまでしばらくかかり……彼が気づいた時にはもう遅かった。


 見つかった。

 小さな女の子が物陰を覗いていた。


『……あ』

 

 ばれた。

 最悪だ。

 だって、人間の場に、ペンギンがいたらやっぱりまずい。


 漁船なら可愛がってそのままリリースしてくれるかもしれないけど、豪華客船、さらにはお金持ちそうな人ばかりが集まるここでは、野生生物は不潔の対象だ。

 殺処分されることも充分にあり得るから――だから――


 ……逃げないと……でも。


 彼は、体が動かなかった。



「ぎぃぁがぎぎゃりり」


 すると、女の子が声をかけてきた。

 しかし、ノイズが混じっているように……いや、全てがノイズで構成されているように、彼女の言葉はまったく意味が分からなかった。なにひとつ理解できない……。


『……え、えっと……?』


「りぎ、ゃぁぐるじぃだるばぉらぁん、じゃぎぎずながむばががざばぁんのでら」


 少女が可愛い笑顔で寄り添ってくれている。らしいけど……


「だぁらぁんざぁばぁみどし!」


 なんにも分からない。

 当然と言えばそうなのだ。女の子がペンギンの彼の言葉が分からないように、ペンギンの彼からしたって女の子の言葉は分からない。


 普通の子から聞こえてくる声じゃない。まるで、呪われているみたいに――


 否、呪われているのは、聞き手の彼の方である。



『き、気持ち悪っ!!』




 …おわり

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鳥とおんなのこ 渡貫とゐち @josho

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