エピローグ

 ピッピッピッ。コ-ヒ-が沸けたと言う合図の電子音を聞いて、由沙ははっと我に返った。

 慌てて、食器棚から取り出したカップに出来たてのコーヒーを注ぐ。

 それを持って部屋に戻って見ると、ゆかりは由沙のベッドで、猫と一緒にすやすやと眠りに落ちていた。


 ─────どうりで、静かだと思った。


 テーブルにカップを置き、思わず苦笑を洩らす。

 こうして寝顔だけを見ていると、本当に天使みたいなのに。

 由沙の人生の中で、ゆかりほど綺麗な顔をした少女を見た覚えはなかった。テレビのタレントやモデルでも、ゆかりと並べば色褪せてしまうだろう。


 もし能力者でなかったら…。


 ゆかりもきっと、今とは違う人生を送っていた筈だ。

 由沙は、カップをテーブルに置いて、静かにベッドの側に寄った。

 ゆかりの実家は、相当な資産家だと聞く。ゆかり自身は祖父や祖母の元に戻るつもりは微塵もないようだが、跡取りのいない彼らは、今でも行方不明の孫を懸命に探しているらしい。


 彼女に能力さえなければ、両親に愛され、祖父母に大切にされ、裕福な家で何不自由なく育っていたのだろう。それこそ、お嬢様として華やかに暮らしていたかもしれない。

 由沙は、そっと毛布をゆかりに掛けてやりながら、大きく溜め息をついた。

 でも、もしゆかりに能力が無ければ、私はどうなっていたの?

 そう考えると、身震いがする。

 ゆかりがいなければ、ただひたすらに暴走していたかもしれない。止まる事なく、破壊し尽くすまで・・・・・。


 ────ゆかり。


 ベッドの脇に腰掛け、優しくゆかりの額にかかった髪を横に流してやる。

 由沙は、ゆかりが愛しくてならなかった。

 まるで子供のように一途な愛情を見せるゆかりは、天涯孤独となった由沙にとっても、ただ一つの拠り所になっていたのだ。

 時には重く感じる時もあるが、それでも出来うる限り側にいて、守ってあげたいと思う。


 ゆかりは、愛情を知らない子だった。愛される事を知らないから、愛する事も知らない。だから由沙は、ゆかりを愛してあげようと思う。そうすれれば、ゆかりも愛する事を覚えていくだろうから。

 そこまで考えて、ふと苦笑を漏らす。

 また真に、過保護と言われそうだと思ったのだ。

 互いに甘やかしている。なんて、きつい事を言われた。


 真の場合、腹を立てる隙もないほどに、すぱっと短く本当のことを言われるので、余計にこたえるのだ。容赦がない、そう感じてしまう。

 もうすこし、嫌な言い方でもしてくれればいいのに。そうすれば、言い方のせいにして腹も立てられる。気分がずんと落ち込む事もないし…。


 甘やかしている…か。

 由沙は、また笑った。

 そうだとしても、仕方無いではないか。自分が甘やかしてやらなかったら、一体誰が甘やかす?この人は、今まで甘える事さえ知らなかったのだから。


 今でもゆかりは、子供の頃の夢を見るらしいのだ。たった一人、狭い部屋の中で狂気に脅える夢。

 だからゆかりは、由沙以外の者の側では絶対に寝ない。仮眠すら取らなかった。それどころか、一人でいる時も余り眠れないようだった。

 由沙しか知らない、ゆかりの姿。


 何時も尊大な態度で、傲慢にしか見えないゆかり。他のエンジニア達から恐れられ、嫌われ、妬まれる。

 それを見ていると、胸が痛んだ。

 もっと幸せな生き方が何処かにある筈だと、思わずにはいられない。

 結局は、堂々巡り。


 もし、能力さえ無かったら・・・・・・。


 不意に、眠っているとばかり思っていたゆかりが、由沙の手を強く掴んだ。

 驚いて見ると、ゆかりが珍しく怒ったような顔を向ける。

 「あたしは、これでいい。裕福で幸せな生活より、不幸でもあんたが居る方がいい。あんたが居ない幸せな生活なんて、いらないわ」

 「・・・・でも」

 「あんたは、あたしの事なんて考えなくていいの。ただ、側に居てくれるだけでいい。あんたがあたしの事を考えると、胸が苦しくなるのよ。…なんか、不安な気持ちになる」

 ゆかりはそれだけ言うと、毛布を被って横を向いてしまった。でも、由沙の手を掴んだ指だけは離さない。

 どう返事を返すべきか分からず、由沙が当惑していると、ゆかりは取ってつけたように小さく呟いた。


 「…いいのよ、あんたがいるから。あんたがあたしを思ってくれるだけで、心が温かくなる。だから、あたしにとって怖いのは、あんたが消えてしまう事だけなの」

 由沙はやはり言葉が出ないまま、毛布に埋もれたゆかりの蜂蜜色の頭を見つめた。

 それは、由沙にとっても同じ事だ。ゆかりがいなければ、由沙はきっと生きてはいられなかったろう。ゆかりの存在で、救われれているのだ。


 親友とも家族とも違う、不思議な絆。まるで、自分の半身と過ごしているような感じ。

 誰よりも互いを知っており、誰よりも大切に思う。

 ゆかりと由沙は、互いの存在を支えにして、こうして生きているのだ。

 由沙はふっと笑みを浮かべると、ゆかりの頭を軽く叩いた。

 そして、優しくこう告げる。


 「私は、何処にも消えないわ。私には、あなたが必要だもの。私が『銀の眼』であるかぎり、あなた以外に止められる人はいないでしょ?だから、大丈夫よ」

 それを聞いて安心したのか、ゆかりはまた眠りの中に落ちていった。

 静かに、安らかな眠りの中へと・・・・・。

 由沙はその寝顔を見つめながら、『何かあっても生きるのだ』と、夕日に誓った言葉を何度も心の中で繰り返していた。



                   END

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DUO 〜銀の眼〜 しょうりん @shyorin

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