第五章 SIXE
力を膨らませていた由沙は、直接脳を叩きつけられたようなショックでよろめいた。
力が一時霧散し、強い疲労が身体を覆う。
何かが、激しく自分の中で抵抗していた。
いけない、いけない。悲鳴をあげる小さな声。同時に、殺せ、殺せと凶暴な心が叫ぶ。由沙は二つの意識に振り回され、硬直したように動かなくなった。
・・・・何か、何かが違う。
自分は、重大な事を忘れている。
心の中に、どっと流れてくる思い。自分とは違う、誰かの心。
(ユサ、ユサ、ユサ、ユサ、ユサ)
繰り返し誰がが呼んでいる。
目を覚ませと、自分を揺り起こす。
────ユサ?それは、誰?
果てし無い、気の遠くなるような思い。一途な、一途な、痛いまでの愛情。
(あたしを見て、振り向いて、思い出して、名前を呼んでくれるだけでいい)
由沙は心を奪われたように、その呼び掛けに耳を澄ませた。
(あんたは人間よ。あんたは、魔物なんかじゃない。あんたは人間よ。あんたは、人間
の心を持っている)
────人間?私が、人間?
両手を広げ、それを顔の前に翳す。五本の指、人間と同じ手。
そんな馬鹿な・・・・・。
自分の中の声は、人間を殺せと言っている。一人も残さず滅ぼせと囁く。
自分の中にある人間への殺意は、最初から存在していたように感じられた。
怒りに任せて、力を解放する。
バリバリバリっと、何かが避ける音がした。
(ダメよ。飲み込まれたらダメ)
また、自分の中で声がした。
明らかに、自分とは違う声。
攻撃しても何かに守られていて、なかなか仕留める事のできない、この人間から聞こえてくるような気がした。
一体、誰なのだ?私を止めようとする、この自分とは異質の存在は。
不意に由沙は、目の前に倒れている少女に何かを感じた。
自分の敵、今まさに殺そうとしている人間。
少女の目が、うっすらと開く。口許に、優しい笑みが浮かんだ。
彼女のこんな笑みを、私は一度でも見た事があったろうか?
疑問を感じて、少し戸惑った。何故自分は、そんな事を考えたのだろう?
────私は、この少女を知っているのだろうか?
小さかった声が、次第に大きくなっていく。今の自分を押さえ込んで、違うものを引き上げようとしている。
戦わなければ…。
(そうよ、戦いなさい)
戦わなければ…。
(あんたには、それができるわ)
戦わなければ…。
戦わねばならない?誰と?
…そう、自分の心と。
私は、こんな事を望んではいない。
この凶暴な思いを押さえ込まねば、きっと二度と人間には戻れない。
(そう、あんたは人間よ、人間よ、人間よ)
不思議な声と同調するように、由沙の心も叫ぶ。
私は人間よ、人間よ、人間よ、人間よ。
こんな事を、望んでいたんじゃない。こんな事を、しようとしたんじゃない。
ただ、真実が知りたかっただけだ。
由沙の目と少女の目が合った。
少女が、由沙に向かって手を伸ばす。由沙は誘われるまま、ふらふらと歩み寄って彼女の手を握った。
途端に、記憶が押し寄せてくる。
自分自身の、人間として生きていた由沙の全ての思いが。
私は、人間だ。人を傷つけたいなんて、思ってなんかいない。
────ああ、この少女は、自分の命を投げうってまで、それを思い出させてくれた。
「・・・・・ゆかり」
由沙の口から、少女の名前が漏れた。
恐ろしい少女、悪魔のような少女、けれど由沙にとっては天使のような少女。
この恐ろしい魔物を止めたのは、ゆかりなのだ。
「そうよ、止めてあげたわ。あたしが、あんたを止めてあげる。何があっても、絶対に止めてみせる」
由沙がゆかりに言った言葉を、ゆかりが由沙に言い返した。
────そうか、だから私なのだ。私達は、互いに必要だったのだ。
涙で滲んだ視界から、すっと銀色が消えた。
凶暴な気持ちは消え去り、代わりに果てし無い罪の意識と悲しみが押し寄せてくる。
・・・・そして、温かい気持ち。それは、人の心。
雨は、止んでいた。厚い雲に覆われた空から、月の一部が覗いて二人を照らす。
視力を失った視界に、傷ついて倒れるゆかりの姿がぼんやりと映った。思わず駆け寄って、強く抱き締める。
どうして、こんな事が出来るんだろう。私の為に、恐ろしい魔物の為に、命を捨ててまで…。
「あんたが生きていれば、それでいいわ」
由沙の腕の中で、ゆかりが優しく微笑む。
「ごめんなさい。私、あなたまでこんな…」
「ばーか、謝らないでよ。あたしは、あんたの為にやったんじゃないわ。あたしのために、やった事よ」
笑いながら、ゆかりはそう言った。そして、力尽きたようにぐったりする。
「ゆかり!ゆかり!大丈夫?しっかりして!」
驚いた由沙は、必死でゆかりを起こそうとした。
まさか死んだのでは、と恐怖が胸を掻き乱す。
「大丈夫ですよ、気絶しているだけです」
不意に、乾いた少年のような声が響く。
声の主は真だった。何時の間にそこに居たのか…。
彼女は木の影から現れると、由沙の側に来て膝をついた。
気配さえ感じさせない、風のような人。
由沙は、ゆかりの身体に手を翳す真を、不思議そうに見つめた。
「僕は、メディシンでもあるんです。───ああ、会社用語です。一般的には、ヒーラーと言われています」
相変わらずの無表情さで、由沙の目を真っ直ぐ見返す真。
由沙はなんとなく居心地の悪さを感じ、その目から視線を外した。
今は、誰の目も直視出来ない気分だ。
「君は、不思議な人ですね。このゆかりさんが心を許す人なんて、世界広しといえど君くらいなものでしょう。恐ろしい力と魔物の姿を持ちながら、人を魅了させる程の純粋な優しさを持っている」
由沙は、真の言葉に心臓を抉られたような痛みを感じた。
恐ろしい力と魔物の姿。正に、その通りだ。
自分が殺した人間の感触を思い出し、ぞっと背筋を震わす。
例え彼らが殺し屋でも、今まで多くの命を奪った人間でも、自分が殺してもいいという理由はない。
それどころか、由沙は何の目的もなく、ただ心の赴くままに殺戮を繰り返した。
あれが魔物でなくて、一体何と呼べる。
「・・・・傷つけてしまいましたか?けれど、本当の事でしょ?君は、力を暴走させた。その力で、次々と人を殺した。人間とは、とても思えない行為です。まさか、許されるとは思ってないでしょ?」
真の言葉に切り刻まれながら、由沙は俯いて肩を落とした。
後悔しても、しきれない思い。
真の言葉は正しくて、言い返すことも出来なかった。
「力をコントロール出来ない能力者は、最悪です。害になると言っても、過言じゃないでしょう。今の君は、それです。仲間である筈の人間さえ、我を忘れて襲いかかった。君の場合、とんでもなく強い力なので余計に始末が悪い。今のままでは、生きていてもしょうがないですね」
無言のまま、由沙は奥歯を噛み締める。
涙が膨らんで、ゆかりの頬に落ちた。
「泣いても、罪は消えませんよ。それに、何も変わりはしない」
真は透明な瞳を由沙に向けたまま、信じられないくらい冷淡に言い放った。
「…相変わらず陰険な女ね。何時まで、ねちねちと由沙をいびってんのよ」
ぱちりと目を開き、ゆかりが身を起こす。
真の側に居るのも嫌だと言わんばかりに、ゆかりはそそくさと立ち上がって二人から離れた。
「僕は、本当の事を言ったまでですよ。能力者なら、訓練を受けるべきだと思いますからね。訓練を受ければ、多少は力をコントロール出来るようになるでしょう。それを望まないと言うなら、父親の言う通り殺してしまった方が良いと思います」
実に爽やかな口調で言いながら、真も静かに立ち上がった。そして、くるりと二人に背を向ける。
「まあ由沙ちゃんが、このまま一般人の中で暮らせるほど、したたかな人だとは思えませんけどね・・・・」
捨てぜりふのように残し、真はそのまま闇の中へ消えていった。
「はっ、わざとらしい。気をつけなさいよ、真は策士なんだから。あの女の頭の中には謀り事しかないのよ。相手がどういう反応をするか計算して、自分の有利になるよう仕向けていくの」
「・・・・そう言うけど、ゆかりも私をETSにスカウトしたいんでしょ」
ゆかりが元気そうなのにほっとしながら、由沙は起き上がって制服の埃を払った。
そう言えば、真に礼を言うのを忘れていた。
話しをしていると、なんとなくその気が失せてしまう。でも、ゆかりの傷を癒したのはあの人だったのに・・・・。
「いいのよ、礼なんて必要ないわ。エンジニアとして、チームの為に働くのは当然の事だもの」
由沙の考えを乱暴な言葉で奪って、ゆかりはすたすたと歩き出した。
「まっ・・・待って、何処へ行くの?」
ゆかりの後を追いながら、由沙。
「決まってんじゃない、竜二の車よ。あいつのシールドも、大した事ないわ。お蔭で、死にかけたわよ。────まあ、しゃしゃり出てこなかっただけ、増しだったけどね」
ゆかりは、何時ものように軽い調子で言った。
由沙は、早足で歩くゆかりの後を追いながら、今度の事は何の慰めも望めない出来事だったが、ゆかりと知り合う事が出来たという事だけは、唯一の救いだったような気がした。
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