第2話 時間は過ぎて


 すみれの死後、学校には重苦しい空気が漂っていた。教室では誰もが声を潜め、彼女の席には次々と花束が置かれた。朝のホームルームでは黙祷が捧げられ、校長は全校集会で交通安全と夜間の外出について長々と訓示した。

 でも一週間も経つと、日常は徐々に戻り始めた。笑い声が廊下に響き、昼休みには普通に騒ぐ生徒たちの姿があった。すみれの席の花は枯れ、やがて撤去された。   

 人の記憶というのは、こんなにも簡単に薄れていくものなのか。

 私だけが、まだすみれに囚われていた。

 授業中も、部活中も、すみれのことばかり考えていた。

 思い出すのは、彼女がバスケ部を辞めた日のことだ。三年生になって進路を真剣に考えなきゃいけないからって、すみれは笑いながら言った。

「塾にも通い始めるし、時間がなくてさ。ごめんね」

 でもその笑顔は、どこか無理をしているように見えた。目が笑っていなかった。

「亜未は続けるんでしょ? 私の分まで頑張ってね。絶対、県大会出てよ」

 そう言って、彼女は私の頭をポンと叩いた。あれが最後のバスケ部での会話だった。今思えば、あの時からすみれは変わり始めていた。

 それから彼女は明らかに変わった。いつも明るかったすみれが、時折ぼんやりと遠くを見つめるようになった。声をかけると、ハッとして笑顔を作る。でも、その笑顔の奥に深い影がある。まるで何か重い荷物を背負っているような、そんな表情。

 何かあったのかと聞いたことがある。お弁当を一緒に食べている時だった。

「すみれ、最近元気ないけど、何かあった?」

「何もないよ」と、すみれは首を振った。

「ちょっと疲れてるだけ。勉強とか、色々考えること多くて」

「そう? 何か困ったことがあったら言ってね。私、親友でしょ?」

 すみれは少し寂しそうに笑った。

「ありがとう。でも大丈夫」

 あの時、もっと踏み込んで聞いていたら。もっと強く食い下がっていたら。今でもその後悔が、私の胸を締め付けて離さない。

 週末、私は一人で月照川へ献花に向かった。すみれが最後に見た場所。手には勿忘草の花束を持って。

 五月の風は穏やかで、川面は静かに光っていた。こんなに平和な場所で、すみれは死んだのだ。

 川沿いの遊歩道に着くと、すでに誰かが献花していた。白い百合の花束が、事故があったとされる場所に静かに置かれていた。

 私が花を供えようとしゃがんだ時、背後から声がした。

「すみません。川村さんのご友人ですか」

 振り返ると、スーツを着た中年の男性。四十代半ばくらいだろうか。どこか疲れた顔をした、見知らぬ男だった。

「はい、そうです」

 男は名刺を差し出した。

「須藤と言います。月照署の刑事です」

 警察の人が、なぜここに? 須藤刑事は、川面を見つめながら続けた。

「この百合の花は刑事さんが?」

「ああ、はい。実は私も、この事件について個人的に気になって」

「気になっている……?」

「正式には事故として処理されました。でも、いくつか腑に落ちない点がある」

「おかしいですよね。すみれが事故で死ぬなんて」

 須藤刑事は静かに頷いた。

「まず、月照川のような穏やかな流れで溺れるには条件が整う必要がある」

「私もそう思ってたんです。だから変だなって……」

「現場には争った形跡がない。でも状況的に他殺するにも条件がいる。これだと、まるで誰かが、事故に見せかけたかのように感じるんです」

 須藤刑事は私を見た。その目には、悔しさと無念さが滲んでいた。

「でも捜査は打ち切られた。上からの圧力で。これ以上調べるなと言われています」

「そんな……なんでですか?」

「わからない。ただ、何か大きな力が働いているのは確かです」

 刑事は少し迷うような表情を見せた後、決意したように言った。

「だから、非公式に調べるしかない。協力してくれますか?」

 私は迷わず頷いた。

「はい。すみれのために。真実を知りたいんです」

 そこから、私たちの調査が始まった。しかし、これから「真実」という重荷を背負っていくということを今の私は知る由も無かった。

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