第323話:香辛料?

 セネカがニーナ達とご飯を食べている時、ルキウスはモフと渓谷に出かけて釣りをしていた。


 遠い場所なので今日は二人でこの辺りの宿に泊まることになっている。男二人での楽しい休暇だった。


 普段魚を採るとしたら食料調達のためだ。罠を仕掛けるし、魔法を使うこともある。それ自体には何にも思わないのだけれど、今日くらいは結果にこだわらずに釣りを楽しみたいとルキウスは考えていた。


「釣れなくても良いかもなぁ」


 大自然の中で釣竿を垂らす。水は清らかに流れていて、同じ形のことがない。


 モフは少し離れたところにある岩の上に乗って、何となく針を水につけている。あちらもあまり釣る気はなさそうだ。


 このまま渓谷の風に吹かれて寝てしまってもよいのだけれど、ルキウスは釣りをやめる気にはならなかった。


 何かをしているようでしていない。釣る気はないけれど魚はかかるかもしれない。

 集中と怠惰の間に身を委ねるのが心地よかった。


「昼食分くらいはとったほうが良いのかなぁ」


 そう思うけれど、力を入れることはなかった。


 モフと二人ならばいつもの罠を仕掛けても良いし、獣を捕まえても良い。そこに適当に塩を振って、よく分からず鞄に入れてきた香辛料をかけたら良いのかもしれない。


 何なら美味しくなくたっていいとルキウスは考えていた。大事なのは多分面白さだ。


「モフの様子でも見てくるかぁ」


 そう思った時、釣り糸が何かに引かれる感触がした。反射的に釣竿を上げると魚がかかっていたけれど、ルキウスは針を取って川に放ってしまった。




「モフー、調子はどうー? なんか釣れた?」


「ううんー。何にも釣れてないよ。というか針に餌をつけてない」


「そんな気はした」


 モフは空を見ながらぼーっとしていた。釣る気が全くないように見えたけれど、その通りだったようだ。


「モフは賢者にでもなるつもり? 魚ではない何かを釣るっているとか言ったりしないよね?」


「そんなつもりはもちろんないよ。どうせだったら見ていて面白い浮きを探してくればよかったなぁって考えていただけ」


「作れば良いのに」


 ルキウスがそう言うと、モフの目に少しだけ力が入った。


「そっかぁ。【綿魔法】で作れば良いのか。良い感じにぷかぷか動くようになったら見ていて飽きないよねぇ」


「うん。僕の分も作ってよ!」


 それから、ルキウスはモフとああでもないこうでもないと言って、良い感じに浮き沈みする綿を調べた。


 いくつか候補が得られると、また分かれて試してみることになった。


「僕は少し上流に行ってみようかな」


 モフにそれだけ伝えて、川をのぼる。

 いつもは乾かす手間が増えるので足を入れるときには考えるけれど、今日は休暇なので浅い場所なら気にせず入ることにしている。


 おかげで気楽に良い場所を見つけることができた。


 最近ルキウスは改めて自分の能力について考えている。特に[ことわり]という力は複雑で、いまだに使いこなせているとは思えなかった。


 この力は物事の道理を認識し、それを攻撃対象とする能力だ。


 例えば『物体には重力がかかる』という道理があるとしたら、それを完全に崩すことはできないけれど、一時的にその影響下から離れ、軽々と飛翔できるようになる。


 これまでルキウスは、『物体には重力がかかる』という世界の法則に対して直接攻撃していると思っていたのだけど、何度も使うにつれて、そんな大それたことが可能なのかと思うようになってきた。


 この世界が成り立つ真理、そして『機構』。それらに簡単に介入できるのであれば、もっと簡単に敵を倒せそうに思ってしまう。だとしたら相手にしているのは何なのか……。


 考えは二つあった。一つ目は、やはり自分のうちにある想念だ。心の中にいつのまにかある道理や思い込みを破壊することで、スキルが思いもよらぬ方向に働くことがある。


 先のフォルティウスとの戦いでルキウスにとって厄介だったのは、『自分の限界を越えることができない』という思い込みだった。その想念を斬り刻むことで、ルキウスは勝利を手にしたのだ。


「まずはそういうところからなのかな」


 戦いの時のことを思い返しながら浮き沈みする綿を見つめる。忙しなく動く様は美味しいものを食べた時のセネカのようで、ルキウスはつい笑ってしまった。


「もう一つは……」


 ルキウスはサブスキル[理]を発動して、頭に浮かんでくる心像を斬り、綿の動きを活発にしようとする。できるだけ綿の動き自体には関与しないように、腕に力を入れないように意識する。


 そうするとほんの一瞬だけ綿がぶれて、歓喜に満ちた時のセネカのように動いた。


 これは法則が破れたのだろうか。

 それとも、何か別のことが起きたのだろうか。


 答えは分からないけれど、起きたことはこの世界の法則全体に影響を与えるようなことではなくて、局所的なことだろう。


 だとしたら、やはり法則がこの綿に与える影響や作用のようなもの自体を斬っている可能性もあるのかもしれない。

 

 もしこの世界の法則が物事に作用する力やその実行因子自体に干渉できるのだとしたら……。


「法則がどうやって物事に働くのか分からないけどね」


 ルキウスは針に餌を付け直して、また川に放った。浮きを見るとセネカを思い出してしまうのは、惚れているからなのかと考えながら。





 存分に川遊びを楽しんだ後、ルキウスはモフと共に宿で休んでいた。清潔ではあるが、安宿の部類に入る場所だ。


 部屋全体に向けて【神聖魔法】を使い、一応浄化する。そしてキトが作ってくれる虫避けの小袋をベッドの上に置いた。


「この匂いにやっぱり慣れないんだよなぁ」


 ルキウスはベッドに寝転んだけど、すぐに身体を起こした。


「効果はてきめんなんだけどねぇ。しばらく放置しておいたら成分が移るから、それまでの我慢だよぉ」


 横のベッドに腰掛けていたモフは、そう言いながら立ち上がった。


 この小袋は使い勝手も良く、無いと困るほどなのだけれど、何となく意識に残りやすい香りなのだ。


「魔物も軽く避けてくれるからね。これより匂いがやばくて効果がない物も多いから、贅沢な悩みなんだろうなぁ」


「身体中が痒くなって寝られないなんてことは最近ないもんねぇ。いくら宿が気をつけていても、人が持ってきちゃうこともあるからねぇー」


 グラディウスの旅に同行していた時は、地方の教会に泊まることが多かった。グラディウスがいるのできれいな部屋のこともあったけれど、すごい場所で寝なければならないこともあった。

 

「対処できるならこういう宿も快適だけれどね。ありがたいことに、こうして大部屋じゃなくて個室に泊まれるんだし」


 ルキウスが言うとモフは笑った。


「個性的な宿も多いしねぇー」


 二人で部屋の天井を見る。

 極彩色で描かれた謎の生き物と目が合う。

 ルキウスは思わず吹き出してしまった。


「いやぁ、良い気分転換になったね。モフはどう?」


「うん、面白かったよぉ。じいちゃんとルキウスと三人で旅したのが僕の原点だから、たまにはこうしてあの頃の空気を感じたいなぁー」


 モフは「痒くなるのは嫌だけどねぇ」と付け足した。


 ルキウスは勢いをつけてベッドから降りた。


「それじゃあ、次の楽しみを探しますか。ちょっと早いけどご飯を探したいね!」


 さっき川べりでご飯をたらふく食べたような気がするけれど、少し動けば行けるような気がしていた。


「ルキウス、この宿のご飯はどうだと思うー?」


「僕は怪しいと思っているよ。モフは?」


「僕もそうだねぇ。変わってはいそうな気がしているけど、どうする?」


 ルキウスは再び天井を見てから答えた。


「とりあえず飲み物とか頼んでみる? それで料理の感じも分かるかもしれないし、まだ早いけれど誰か食べているかもしれないからさ」


「うん。それが良さそうだねぇ。期待できそうだったら、街でお土産探しをしてから帰ってきたら良いしねー」


 ルキウスはちょっとだけ目を細めた。パーティのみんな向けのお土産を探すのだけれど、モフはガイアに何を買っていくのかよく考えるはずだ。


「王都から近いし、そんなに独特なものはないかもしれないけれど、せっかくだから面白いものを買っていきたいね!」


 ルキウスは出かける準備を始める。

 モフはいつのまにか支度を整えていた。


「ちょっとした辛みや香りが人生に彩りをもたらすらしいからねぇー。ルキウスもそういうものは嫌いじゃないでしょ?」


「まぁね。でも、モフは何だか最近グラディウスさんに似てきてない?」


「そうかな?」


「うん、そんな気がするよ」


「言ってたのは父さんなんだけれどなぁ……」


「まぁ親子なのかな」


「あはは。きっとそうだねぇー」


 そんな話をしながら二人は休暇を楽しんだ。


 ルキウスはこの宿に売っていた極彩色の手ぬぐいをセネカに買っていった。特産でも何でもなかったけれど、お土産として喜んでくれた。


 そして帰った後、モフとガイアがいそいそと出かけるのを見て、ルキウスは愉快な気持ちになった。


 あれも人生を豊かにする香辛料のような行動なのだろうかと思ってしまった。

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