第44話 巨大モンスター

 その影はあまりにも静かだった。それがとても不気味だった。

 ふつうのモンスターでも、息を潜めて獲物を狙う奴はいる。けれど、ひとたび獲物を前にすると、どんな奴でも少なからず興奮して、攻撃を仕掛けてくる。そうでなければ、威嚇したり、尻尾を巻いて逃げたり。こんなに静かなモンスターには出会ったことがない。呼吸音すら耳を澄ませてようやく聞こえるくらいだ。すぐ隣に立つドゥークの猛る息の方が荒くて、僕まで心臓がばくばくする。

 モンスターのいる一角は濃い陰になっていて、その姿はこちらからよく見えない。ただ、とてつもなく大きいということだけが、その気配からわかった。

 あまりにも静かなのに、あまりにも怖かった。

 殺気というようなものを初めて感じた。

 ドゥークが剣を抜くより早く、そのモンスターが動いた。

 だから、ドゥークは剣を抜かなかった。

 僕を守るために。

 剣じゃ太刀打ちできない。ドゥークも僕も一瞬でそう悟った。それでドゥークは、身じろぎもできず固まった僕を、力任せに投げ飛ばした。できるだけ遠くまで。

 宙を舞いながら、悲痛な叫び声を聞いた。

 僕の体は地面に叩きつけられたけど、声も出なかった。こんなの痛くない、だって彼はもっと……。

「ドゥーク!!」

 僕は喉が千切れそうなくらい大声で彼の名前を呼んだ。

 洞窟の闇の中に、二つの黒いシルエットだけが見える。壁に打ち付けられて倒れるドゥーク、そしてその三倍以上もありそうな大きな影。いずれの姿もぼんやりとしか見えない。けれど、流れる血のにおいが離れたここにまで届く。

「ドゥーク! ドゥーク!」

 縋るように彼を呼んだ。

「……来るな……!」

 かろうじて絞り出すような声。ふらふらと立ち上がる。

「来るな!」

 無意識に近付こうとした僕を、彼ははっきりと制止した。その声を出すだけでもとても苦しそうで、僕はただ泣き声で彼を呼ぶしかできない。

 もう、おしまいだ。

 本能がそう告げていた。目の前のモンスターにはけっして勝てない。ドゥークがやられて、次は僕。きっと逃げる隙さえ与えられない。

 それでもドゥークは立ち上がって、モンスターの前に対峙した。

 手にはしっかり剣を握っている。

 はあはあというドゥークの苦しそうな呼吸音がここまで聞こえてくる。その息の熱さまで伝わってきそうだ。すごい気迫でモンスターの前に剣を構える。

 けど、敵はでかい図体でありながらその動きは俊敏だ。足取りも覚束ないドゥークの剣が届く前に、奴の鋭い爪がドゥークの体を八つ裂きにしてしまうだろう。

 一瞬、彼の呼吸音が消えた。

 ドゥークが渾身の力で剣を振るう。

 しかしその剣は、モンスターには向かわず、切り立った岩場に対して一撃を加えた。

 虚を衝かれたモンスターはわずかに体勢を崩したが、すぐにドゥークを捉えて、岩壁を深く抉りながらその爪でドゥークの体を切り裂いた。

 同時に、ゴゴゴ……と轟音を立てて、彼らのいた一角の岩が一気に崩れ落ちる。

「ドゥーク!!」

 二つの影は、崩れ落ちる岩塊の中に消えていった。

 致命的な傷を負ったドゥークはもとより、モンスターも逃げる暇さえなく下敷きになった。回避動作が遅れたのは、きっと致命傷を負わせたはずの旅人が、それでも倒れず最後までモンスターを睨みつけていたから。だから、奴も彼から視線を外すことができなかったのだ。

 ふたりの上にどんどん岩が重なる。

 崩落が止まった時には、大きな岩山ができていた。

「ドゥーク!」

 僕は岩山に駆け寄る。

 どちらの姿も見えない。

 ドゥーク、どこ? どこ?

 彼の名前を呼びながら、必死に岩をどけていく。

「……ナナ! 大丈夫?!」

 岩壁の隙間から、イチハとミミが飛び出してきた。彼女達が進んだ通路にも僕の悲鳴が届いていたらしい。

 けど、僕は振り返ることさえできなかった。

「ドゥーク……ッ!!」

 岩の隙間から、彼の手を見つけた。

 ぴくりとも動かない。

 そこから大量の血が流れ出てくる。

 すでにすべてが絶望的だった。

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不定期通信 香久山 ゆみ @kaguyamayumi

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