箒星と妖精

花森ちと

夜の南古谷、バスの中より

 テールランプはちかちか瞬き、春の霧雨はこの夜をしずかにやさしく満たしてゆきます。わたくしはそんな帰路を防空壕のようなバスからぼんやり傍観していると、窓の外をちいさな箒星が駆けていくのが見えました。

 その箒星はかわいい妖精を大切に乗せていました。妖精は自分の背丈よりもずっと長い針を携えて、幼いおめめをきらきら輝かせながら、この駅の出口をじっと凝視しているのでした。


 がたんごとん。電車がやってきました。大蛇みたいなそれは大きな音でため息を吐くと、たくさんの人が無数に空いた穴から排出されてゆきます。ぴっぴっぴっ。人びとはうつろな電子音で今日この日にサヨナラを告げております。

 それまでは、わたくしのよく見知った、なんてことのない風景でした。しかしわたくしは目を剥きます。だってそれはレイト・ショーみたいに凄惨だったから。だってそれはわたくしの知らない世界だったから。


 窓の外では、電車から排出された人びとの頭が大きく膨らんで夜風にゆらゆら揺れておりました。そう、それはまるで風船のように。そして箒星のお嬢さんがあの携えていた長い針で人びとの頭をチクチク刺していたのです! 刺された次の刹那に頭が「ぱちん!」と割れると、人びとは椿が落ちるようにふわり地面に眠りについていきました。しかし妖精はその最期を看取らず、お花を摘んでいるかのように次から次へと風船を割っていきます。

 かのじょの仕草を観察しているとその作業にはある程度決まった手順があって、その儀式はどこか崇高なもののように思えました。

 はじめに人びとは美しい妖精を一目みると、涙を流しながらかのじょのやわく清らかな頬を、垢のこびりついた汚い手で恐る恐る撫でます。それから何かに気づいたような素振りを見せると、自らの手首をふやけた爪で掻きはじめ、まだ彼らよりも幼くちいさなお嬢さんに救いを求めます。「たすけて、たすけて。きえてしまいたいよ。にげてしまいたいよ。たすけて、たすけて」と。するとお嬢さんはそんな定型文を聞くところころ笑い、箒星はきらきら光をほころばせ、周りをクルクル回ります。それから無邪気な笑みをはらはら振りまくと、何も言わずに携えた針を力いっぱいその頭に突き刺すのです。

 お嬢さんは学芸会でおどりを踊るこどものような屈託のない笑顔で病んだ人びとを刺していきます。しかしあっという間に華やかな時間が終わると、かのじょの足元には破れたゴムの切れ端が色とりどりにたくさん散っているだけでした。わたくしは恐ろしいと感じていたあの箒星の妖精が、春の夢のように儚く、月夜に吠える狼のように孤独であるように思えました。あの美しさをもっと知りたい。いつの間にか、わたくしはかのじょを強く欲すようになっておりました。


 わたくしはバスから飛び降りると、孤独なお嬢さんの元へ駆け寄ります。

「あなたはどうしてこんなに美しくて孤高なの? どうして人びとを救おうと考えたの?」

 お嬢さんはわたくしの存在を感じた途端、箒星の光へ隠れてしまいます。

「わたくしはあなたに触れてみたい。どうか姿を現して頂戴。おねがいだから」

 するとお嬢さんはゆっくり光から闇へ身を乗り出してその御姿をわたくしにお見せしてくださいました。

 それはバスから覗いていたものよりも、ずっとずっと美しいものでした。蜂蜜色に輝く大きな眼、腰まで流るる亜麻色の髪。白いドレスには緻密な刺繍が施され、胸元には深紅の薔薇が咲いています。

 その瞬間、わたくしの存在がかのじょと比べてひどく賤しいものに思えてきました。ブルーライトに焼かれたこの目は幼い頃にはらんでいた世界に対する憧憬の光をとうに亡くし、まとめた癖のある髪は荒波に揉まれてやつれています。コーヒーのシミがついたビジネス・スーツは都会の排気ガスの匂いで窒息死していました。

 わたくしはこんな自分が情けなくなって、お嬢さんというすばらしく高貴な存在に近づいたこの事実が恥ずかしくなってしまいました。

 消えてしまいたい! 消えしまいたい! こんなに情けない自分はこの子に近づいてはいけなかったのだ!

 するとわたくしの頭の皮が薄くなっていって、脳がふわふわ浮いているような感覚がしました。ふと目に入った足元の水溜りに映るわたくしはお嬢さんが今まで割ってきた人びとと全く同じ姿をしていました。


 お嬢さんは変わり果てたわたくしをひとめ見ると嬉しそうにきらきら夜闇から駆け寄ります。それからかのじょはチクリとひどく冷たい針でわたくしの脳天を突き刺しました。

 すると今まで押し込んできた悩みだとか不安がぜんぶぜんぶ飛び出して、わたくしの心は柔和な鳩の羽のようにふわり宙に浮かんでいきます。空っぽになったわたくしは、甘美な恍惚感に呑まれながら、やさしく懐かしい幼少の頃の夢をかしずきながら眺めておりました。

 お嬢さんのような美しい御方に出逢えてよかった。心の底から穴の空いた脳天まで幸せな気持に満たされていきました。



 ひと仕事を終えた妖精は、死神のような微笑みを浮かべながら、女神のような手つきで箒星を撫でました。箒星はぴかりと光って相槌を打つと、また次の闇へと妖精を乗せて飛んでゆきました。

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箒星と妖精 花森ちと @kukka_woods

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