第6話あしのはやいたまねぎ
最近、人気になり始めたのかもしれない。
みらいがそう思うようになったのは、彼女の下へと依頼がやってくるようになったからである。
依頼は、うちの商品を使ってほしいとかうちでできた農作物畜産物を使ったレシピを考えてほしいといった内容のもの。ようは、みらいの動画に取り上げられることによって得られる宣伝効果にようやく気が付いたのだ。
そのきっかけとなったのは、先日のシュガチリに間違いない。体脂肪燃焼効果を有していると判明したシュガチリは、動画が公開されて間もなく、市場を席巻した。最初は、それそのものが取引されていたが、今ではシュガチリの加工品も登場している。砂糖をシュガチリから抽出した糖類に置き換えたケーキなどであったが、それらも大人気。シュガチリの生産者であるヤンの下には、あまたの連絡がやってきて、てんてこまいしているとか。
その影響は、最初、みらいの下までやってこないかのように思われた。ディジェという撹拌機が人気になった時と同じように、シュガチリだけが人気になるのだろう。みらいはどこか諦めていた。
しかし、そうはならなかった。多くの生産者からの声がみらいへやってくることになったのだ。その裏には、ヤンの名声があったからという声もあるし、もっと直接的に根回しをしたという話もあったが、本当のところは定かではない。
しかしながら、依頼は普通の食べ物がほとんどだった。普通のジャガイモ、普通の牛。別にFTCのように、毒性のあるや幻覚作用のあるものを食したいわけではなかったが、普通のものでは視聴者が満足しないのではないかとみらいは危惧していたのである。それに何より、自分が楽しいと思えるか疑問であった。
銀河中の農家から送られてくるメールの一つに目が留まる。
玉ねぎ農家からのメールのようで、普通であったら文面に目を通すことなく消去していたことだろう。しかし、メールには画像データが添付されており、それが先頭に表示されていた。
その画像は、玉ねぎの収穫作業を撮影したものである。収穫している人々のものものしい装備はもちろんのこと、異様だったのは玉ねぎである。
人の体のように四肢が生えた玉ねぎが、汁を噴き出しながら、鎧を着た人々から逃げまどっていた。
下調べしたところ、その玉ねぎは『オバケたまねぎ』と呼ばれるものらしい。どうして、オバケという名前が名付けられているのかはわからないらしいが、オバケというのにふさわしい大きさがある。通常のたまねぎの二倍以上の大きさを誇っている。その大きさも特徴の一つではあったが、目を引くのはその根っこである。
根っこは複雑に絡み合い、人のような形をしている。幻獣図鑑に目を通したことがあるなら、マンドラゴラという単語が頭をよぎるかもしれない。その予想は正しい。このオバケたまねぎは黄たまねぎとマンドラゴラを掛け合わせてできた品種であるからだ。どうして掛け合わせようと思ったのだろうかは、定かではないそうである。
ただ、その惑星でたまねぎといえばオバケたまねぎのことを指す。他の玉ねぎはエシャロットをはじめとして存在しないそうである。そう考えると、オバケたまねぎは環境に適するよう、強靭な生命力を持ったマンドラゴラを掛け合わせたのかもしれない。
件の惑星が、窓の向こうに見えてくる。
黄色いたまねぎ、もしくはテニスボールのような惑星は、そのほとんどを砂で覆われている。水は、砂地を掘らなければ見つからず、どこから出てきているのかも定かではないが、澄んだ綺麗な水とのこと。もしかしたら、地下深くには氷があるのではないかと言われているが、調査は今のところ行われていないそう。みらいのいる惑星に負けず劣らずの田舎星なのでしょうがない。それどころか、定期便がないということなので、みらいのいる惑星よりも田舎かもしれなかった。
みらいは住まい兼宇宙船で、その惑星へと向かっている。
送られてきたメールには、別にオバケたまねぎを送るとか、レシピを考案してほしいということは一切書かれていなかった。ただ、収穫の様子を見に来ませんか、とだけ書かれていたのだ。その謙虚さが、みらいの心を打った。メールはどれもこれも一方的なものが多かったからである。
そういうわけで、やってきたみらいは、黄色い大地へと宇宙船を着陸させた。
着地した場所は、使われなくなって久しい滑走路だ。もともとは銀河連邦軍が、別宇宙からの侵略者から銀河を守るために造った基地なんだそう。今では基地の面影はまるでない。ひび割れ、背の低い草木の生える滑走路を転がるタンブルウイードを宇宙船から突き出したランディングホイールによって踏みつぶされた。
宇宙船が止まる。エアロックが開き、宇宙服姿のみらいが姿を現す。
「お越しの際は宇宙服着用でって話だったけど……」
砂の惑星には大気があった。酸素は少なかったが、みらいの住んでいる惑星ほど希薄なわけではなく、地球換算で高度四千メートルの酸素濃度と同等である。低酸素下に順応する必要はあったが、有害物質が含まれているわけではないので、人が生きていけないわけではなかった。それなのに宇宙服の着用を進めてくるのは、なんだか不思議であった。
みらいは格納庫の周りをぶらぶら散策してみる。滑走路があったのは、ちょっとした盆地のようになっている場所であり、そのため、周囲の状況が分かりにくいところがあった。砂地に足をとられそうになりながらも、みらいは小高い丘に登り詰める。砂漠がどこまでもどこまでも広がっている。先日も、似たような風景を目にしたものであったが、砂漠と森では、砂漠の方が威圧感のある光景であった。
ほうと息をつくみらいへ、砂塵が吹きつける。反射的に腕で顔をかばう。今はヘルメットがあるというのにだ。ちょっと苦笑しながらも、こういうことがあるから宇宙服で来るように言ったのかもしれないと妙に納得した。実際はそういうわけではない。もっと深刻な理由からなのだが、それがわかるのはもうちょっと後のこと。
遠くから何かがやってくるのが見えた。それはモグラのように、もこもことした線を形成しながら進んでいたが、近づくにつれ小型艇であることがわかった。
粉塵をまき散らし、みらいの前に止まる。
「驚いた。本当に来てくれるなんて」
オープンチャンネルで女性の声が、みらいのヘルメットへと届いた。
「もっと、バカな奴だと思ってた」
小型艇をドリフトさせながら言ったのは、エメラルドという女性であった。人類種で言うところの二十歳であるみらいからすると、年上に当たる。
年上だからって、いきなり貶されるとは思っていなかったみらいは虚を突かれて、エメラルドの方を見た。エメラルドは笑っていた。
「だってそうじゃない。あんなあほなことをやってるんだもの」
「……アホって言わないでくださいよ。わたしは真剣なんですから」
「あんなことを真剣にやるのは阿呆のやることよ。コックだった私が保証してあげる」
「コックだったんですか?」
「昔のことだけど、自分の店も構えて、結婚も――」
ああ、むかつく。そう呟いたエメラルドが、荒々しくアクセルを蹴る。ますます船体は揺れて、みらいの顔は青くなった。
結婚に関して何やら嫌な記憶があるようであった。気にならないわけではなかったが、聞いたら小型艇が空中分解してしまいそうだったのでやめた。
「コックを止めて、玉ねぎ農家を?」
「うちの実家なのよ、ここ」
エメラルドは幼少期をここで暮らしたが、農作業が嫌いで家を飛び出したのだそう。それで、銀河中をさまよったが、農家だった彼女は幼い頃から料理を手伝っていた。料理の技術があったから、コックの見習いという職にありつけた。めきめきと頭角を現し、自分の店を持つまでになった。その店は、世間に疎い未来が聞いたことのあるような有名店で、三つ星を獲得したこともあるような店であった。しかし、街に――先ほどの口ぶりから察するに街ではない――嫌気がさしたエメラルドは故郷へと戻ってきた。
そして、家業を継いだというわけである。
「そのオバケたまねぎって一体」
「それはついてのお楽しみ。ほら、我が家に着いたわよ」
地を這うように飛行していた小型艇が、砂丘の頂点から勢いよく飛び出す。
盆地のようになったその場所には、こじんまりとした石の建物がそびえたっていたのだった。
エメラルドの実家は、みらいが想像していたよりもずっと広かった。
というのも、地上に見える建物の下に建物は拡張されていたからである。というよりは、上に拡張した、というのが正しいのかもしれない。このような砂漠では、地上に建物を建築するのは珍しい。日差しが照り付け、夜は寒さに包まれるからだ。一方で、地下はある程度温度が一定だ。
「それに、こっちの方が都合がいいんだ。土を掘らなくても、水が汲める」
壁に耳をくっつけると、水流の音が聞こえてくる。地下には空洞があり、そこを水が流れているそうだ。そうなると、ある程度下がったところに岩盤でもあるのかもしれない。そこを水が流れている。
それはさておき、梯子を下りて、その地下へとたどり着くなり、みらいは歓待を受けることとなった。
握手をし、流れるようにしてテーブル席へ案内されていくみらいは、困惑することしかできない。そんなみらいのことを見て、エメラルドは苦笑する。
「みんなあなたのファンってわけ」
「そ、そうですか」
ファンと言われてしまうと、みらいもまんざらではない。サインをせびられて、みらいは咄嗟に未来を意味する『future』という単語をそれと分からないように草書体でもっともらしく書いた。これがみらいが残したサインの始まりである。
誕生日席に座らされたみらい。広くはないテーブルを取り囲むのはエメラルド一家四名であった。エメラルドと彼女の父と母、エメラルドが飼っている犬のナイト。
エメラルドの母が、料理を用意するわね、と人懐っこい笑みを浮かべて、立ち上がる。
「料理はありがたいんですけど、収穫作業は……?」
「それは明日よ」
「明日?」
「そ。野菜は朝に収穫した方がいいって知ってるでしょ。……それに、あれに関していえば、朝の方が絶対いい」
「?」
エメラルドの言っていることは一理あった。野菜は光合成をおこなう前に収穫することで、一層みずみずしくなるからだ。新玉ねぎなら、みずみずしい方がいい。しかし、それだけではないことはみらいにもわかる。だからこそ、首を傾げているのである。
「まあ、明日になればわかることよ。あ、その宇宙服は防音でしょうね」
「一応ですけど」
「一応か」エメラルドが腕を組む。「一応、イヤホンを貸しておきましょうか」
「ヘルメットに通信機能ありますけど」
「意味ない。通信するためっていうわけじゃないから」
意味ないとはどういうことなのか。みらいは、オバケたまねぎ専門家といえる彼らへ質問したが、にこやかな笑みだけが返ってくるのであった。
翌日。この日も快晴であった。
青い空に浮かぶ大きな恒星はまだ地平線の向こう。日の出までは、まだ三時間あまりあった。
オバケたまねぎの育つ畑へと向かうことになったのは、銀河標準時における午前三時半のことであった。時差ボケというのは、人類が宇宙へと進出しても対策が出なかった。いやむしろ宇宙へと進出し、ワープが頻繁に行われるようになった現在、時差ボケとワープ酔いは深刻な社会問題となっている。
みらいも時差ボケから逃れることはできず、頭痛にさいなまれながらもしっかりと起きていた。
「大丈夫?」
「……頭が痛いだけなので」
「それが一番不安なのだけど。まあ、イヤホンもしているし、大丈夫か」
みらいはエメラルドから貸してもらったイヤホンを装着していた。イヤホンはトランシーバーのようになっており、登録している周波数帯域の相手と連絡を取り合うことができた。しかし、みらいは使ったことがない。友達がいないから、というのももちろんあるが、それだけではない。ヘルメットが通信機能を備えていることがほとんどのため、必要がないのである。イヤホンをつけているのに、ヘルメット。違和感が強いが、必要があるからこうしているのだろう。
ここまでしないといけない理由。
『ついたわよ』
小型艇が着陸する。イヤホンから聞こえてくるエメラルドの声に、みらいは我に返った。先に降りたエメラルドをみらいは慌てて追いかける。
そこは、エメラルド邸があるところや、基地跡地がある場所とは違い、平坦な場所であった。畑というには乾燥しすぎている砂漠がどこまでも広がっており、どこからが畑かわからない。畝もなく、スプリンクラーがあるわけでもない。しかし、そこは間違いなく、オバケたまねぎの育つ畑なのである。
砂地から、ツンと尖った葉が伸びている。それは、玉ねぎの葉っぱというにはあまりにも硬く尖ってはいたものの、濃い緑色で幅が広く、玉ねぎの葉っぱといわれたらそう見えなくもない。どちらかといえば、日本刀の刀身を思わせる。薄さと硬さであった。
それに手を触れようとして――。
『触らないで!』
みらいは手を引っ込める。エメラルドを見れば、剣呑な表情をしていた。
「は、はいっ」
エメラルドは、その刃物のような葉っぱを注意深く睨みつける。何かが起きるのを警戒しているかのよう。
しばらくすると、エメラルドはほっと息をついた。
「こいつらは、音に敏感なの」
「音に敏感ってことは、反応するんですか」
外的な刺激に反応する植物がないわけではない。有名なところでいえば、ハエトリグサだ。
「反応どころか、目を覚ますわ」
「目を覚ます?」
みらいは、エメラルドの方を見る。彼女が本気で言っているのかわからなかったからだ。透明なヘルメットに覆われた顔は、ジョークを口にしている風ではなかった。
エメラルドは真実を話している。
みらいは、オバケたまねぎのことを思い出す。黄たまねぎへ掛け合わされたのはマンドラゴラである。そのマンドラゴラは、人を殺すほどの絶叫を上げることで有名である。つまり、このオバケたまねぎも絶叫を上げるのではないか。
みらいは自然と唾を飲み込んでいた。
「……抜いたら、どうなるんですか」
「ご想像通りよ。あいつらは引っこ抜かれた瞬間に泣き叫んで、手から逃れようとするわ」
「マンドラゴラと同じレベルだったら死んじゃいますよ」
「死なないために、宇宙服を着て、イヤホンまでしているの。これでも脳震盪を起こす可能性はあるのだけれど」
「脳震盪……」
「ま、今年は不作だから大丈夫でしょう。そうじゃなければ、あなたを呼びはしないわよ。誰だって好きな人を殺したくはないのだから」
「それならいいんですけど」
いや、全然よくはない。ただ、荒れていたみらいの心も少しは落ち着いた。死ぬことに比べたら、脳震盪なんて軽傷みたいなものだと思えたのだ。
「でも、それなら、どうやって引っこ抜くんですか。このままだと日も上りますけど」
「小型艇に積んできたやつが役に立つってわけよ」
「ナイトですか?」
名前を呼ばれたのに気が付いたのか、小型艇の席に座っているナイトが吠えた。彼もまた宇宙服(犬用)を着ており、何かしらの作業を――伝承上ではマンドレイクを引っこ抜くのは犬の仕事だったとか――するのではないかとみらいは相席しながら思っていたのである。でも、違うらしい。みらいは頭をはたかれた。
「バカ言わないでよ。殺すわよ」
「ご、ごめんなさい」
みらいは謝罪をする。物騒な言葉を発した割にエメラルドはそれほど怒っていないのだが、みらいにはわからない。わかるなら、もっと友達はいたはずだ。
戦々恐々としているみらいをよそに、エメラルドは小型艇へと近づいていく。小型艇の下部には大きくないタンクがあり、そこに荷物を入れることができた。そこから取り出されたのは、赤黒く変色した密閉容器であった。
「ほら、手伝ってちょうだい」
「あ、はい」
言われるがまま、その密閉容器を畑へと持っていく。近づけていくにつれて、細い葉っぱがこちらへと向いたような気がしてならなかった。風の仕業ではない。無数に伸びた硬い葉は風に吹かれても決して揺れない。
畑のすぐそばまで運んだ密閉容器のふたを開ける。光はなく辺りは真っ暗であったが、ヘルメットの暗視機能によってある程度の視野は確保されている。密閉容器は黒っぽい液体で満たされているようだ。
「なんですか、これ」
「血よ」
「血!?」
「静かに。血っていったって、人間のものじゃないわ。といってもムーンチンパンジーのメスから採取した経血だから、親戚みたいなものだけれど」
ムーンチンパンジーとは、チンパンジー属でもっとも新しい――といっても発見は五世紀前のこと――種である。学名はPan Lunaという。その種は、複合商業衛星である月にあるサファリパークにしかいない。特徴としては、真社会性を有していることだろう。ハチやアリなどに多く見られるもので、哺乳類においては三つ目の種ということになる。どうして、真社会性を獲得したのかはよくわかっていない。詳しくは『チンパのムーンサルト』を読んでほしい。
「昔は人間のものを使用していたみたいだけれどね」
「どうして経血を……?」
「それを浴びせると、活性化したオバケたまねぎが沈静化するの。どうしてかはわからないわ」
「なるほど」
「で、あなたには、逃げ出そうとしたこいつらに、経血をぶっかけてほしいの」
「重要な役割じゃないですか」
「まあね。ま、一匹二匹くらいだろうから、大変じゃないわ」
密閉容器に、ポンプを差し込む。ポンプからはホースが伸びており、その先端のシャワーヘッドをみらいへと差し出す。みらいはこわごわ受け取る。
なんだか大変なことになってきたぞ、とみらいは今更ながら思った。帰りたくなってきたが、それこそ今更であった。
じゃあ、よろしくね。そう言ってエメラルドは畑の向こうへと歩いていく。ちょっと待ってと呼びかけても、止まらない。しょうがないので、シャワーヘッドを握りしめる。
「行くわよ」
そう宣言したエメラルドは、間を置かず、足元の葉っぱを握りしめ持ち上げた。砂地であったからそれで容易く引っこ抜けた。
それは、やはりというかマンドレイクに違いなかった。しかし、玉ねぎ要素もある。たまねぎの丸っこい独特なフォルムはそのままに、根っこが人形をなしているのである。根っこ一本一本は細長かったが、ねじねじと撚って合わさって、頭の三倍ほどの体を形成している。たまねぎの形をした帽子をかぶっているようであった。
しかし、オバケたまねぎのことをまじまじ見つめられたのは、もっと後のこと。
たまねぎ部分の真下。人間でいうところの顔に当たる部分。そこに一対の目が現れる。
その目とみらいの目とが合った。
たれ目がちな相貌が吊り上がる。瞳に映るのは恐怖と敵愾心であった。
口が開かれ、そこから金切り声が飛び出していく。
オバケたまねぎの絶叫を形容するのは難しい。それでも表現するならば、月並みなものに押し込めてしまうことになってしまうが、やはり超音波ということになる。ただの超音波ではない。衝撃波をともなった高周波だ。
絶叫があたりへと響き、音が宇宙服を打ち付ける。銀河さえも震わせてしまいそうなそれは、あまりにも強い。打ち付けられた瞬間、自分の体が浮き上がるような気がして、みらいは踏ん張る。そうしなかったら、小さな体は吹き飛ばされていたかもしれない。
衝撃と絶え間ない高周波によって、宇宙服がびりびりと震えている。みらいの頭もびりびりと震えるような感じがする。それは、オバケたまねぎの奇怪な声が、ヘルメットどころかイヤホンさえも貫通しているからだ。あの腕の長さほどもない野菜のどこからそんな大きな音を発することができるのだろうか。そのような研究者としての疑問は、宇宙服を脱いで、あの愛らしい体に頬ずりしたいという、どこから湧いてきたのかわからない欲求に塗りつぶされていく。
ヘルメットを脱ごうとして――犬の鳴き声が聞こえた。
みらいはハッとなって、背後を振り返る。
ナイトが、みらいのことをじっと見つめていた。ヘルメット越しのその目は、みらいを心配しているようであった。
「い、今わたしは何を……?」
後になって分かったことだが、オバケたまねぎは、処女を求めているそうだ。みらいが正気を失い、あの異質な野菜に抱きつきたくなったのは、あの声に処女だけに効く催眠効果があるからだった。
みらいはエメラルドの方を見る。彼女はみらいよりも近くであの声を聞いていた。倒れていてもおかしくなかった。
しかし、その心配は杞憂だった。
エメラルドは、茫然自失もしていなければ、操られてもいなかった。右手と左手それぞれで、オバケたまねぎの葉っぱを握りしめている。かと思うと、たまねぎ部分をぶつける。それだけで、オバケたまねぎが発する声は聞こえなくなった。衝撃によって気絶したのだ。
物言わぬ玉ねぎとなったそれを放り投げ、もぞもぞと葉を動かしているオバケたまねぎにターゲットする。二つをむんずと掴み引っこ抜いてぶつける。その繰り返し……。その機械的な反復は、この仕事に慣れているからこそだろう。その姿は非常にたくましい。
憧れにも似た視線を投げかけているみらいの視界の端で、オバケたまねぎがもぞもぞとしている。葉が伸びたように見えたが、そうではない。自ら起き上がろうとしているのだ。鳴き声は、処女を誘惑するためのものであり、同胞へ危険を知らせるためのものでもあった。砂地から這い出し、収穫作業から逃げ出そうとしているオバケたまねぎに、みらいは気が付いていない。
しかし、熟練したオバケたまねぎ農家のエメラルドにとっては違った。
「そこの逃げ出そうとしているオバケたまねぎに血をかけて」
その指示はあまりに的確で、相手が料理家でなければ、脱走を許すことはなかっただろう。しかし、そこにいたのはみらいである。
「え、どこですか?」
「そこだよそこ!」
「だからどこですか」
そのようなやり取りをやっている間に、件のオバケたまねぎは砂から這い出し、立ち上がる。それでようやくみらいはどこのオバケたまねぎのことを言っているのか理解した。
またしても、みらいとオバケたまねぎが視線を交錯させる。気持ちの悪い目が一瞬だけかわいらしいように思えたが、あくまで思えただけであった。次の瞬間にはシャワーヘッドのスイッチを握りしめている。
赤い液体が飛び出していく。オバケたまねぎは避けようともしなかった。それが何なのかを理解しているかのように、棒立ちだった。
オバケたまねぎが、血で染まっていく。血は砂へと吸い込まれるようにして消えていく。地下深くへと浸透していく血を追いかけでもするように、直立していたオバケたまねぎは倒れた。その体がぴくぴくと震えていた。歓喜に震えているようにも、中毒症状を起こしているようにも見えたが、どちらにしても、見るものに少なくない嫌悪感を与えさせるような光景であった。みらいも、その顔を歪ませた。
「こ、これで大丈夫ですか!」
「ええ、逃げ出さなければなんでも」
なんでもいいと言われても。――みらいはそう言いたい気分であった。逃げ出そうと自ら大地へ立ち上がったオバケたまねぎたちは、降り注いでいる血の雨へとふらふらと引き寄せられていく。その光景は、誘蛾灯に吸い寄せられる蛾に似ていた。
経血に引き寄せられるのは、そこに処女がいると考えるからかもしれない。そんなことを考えることで、みらいは目の前の、ある種地獄めいた光景から意識をそらすことにするのだった。
早朝の空に響き渡っていた奇怪な叫び声は、空が白んでくるとともにその数を減らし、日の出の時間となるころには、シンと静まり返っているのだった。
通常、玉ねぎというのは葉っぱを縛り、横棒か何かにひっかけて乾燥させる。新たまねぎは水分たっぷりなために腐りやすいからであった。しかし、オバケたまねぎは、下の部分を縛り付ける。つまり声が出ないように猿轡をかまし、四肢を縛るのである。
そうやって縛り付けられたオバケたまねぎを数珠つなぎにし、小型艇の両サイドにぶら下げる。小型艇は浮遊しているから、オバケたまねぎたちは市中引き回しの憂き目に遭うことは幸いにしてなかった。
恍惚とした表情で風に揺られているそれらを見ていたみらいの表情はどこか暗い。
「なんだかかわいそうです」
「かわいそうって言われてもね。生き物がかわいそうっていうなら、食べるものがなくなってしまう」
「それはそうですけども」
ついそう思っただけなんです、みらいはぽつりと付け加えた。嘘はなかった。時折、そう考えることがあったのだ。木星に行った際、そこで育つ木星牛を目にしたものだが、その時にも同じことを感じた。
人間って勝手だな、と思いつつも、そうしないと生きていけないのだという思いも当然あった。
みらいもエメラルドも口をつぐんだ。ナイトが所在なさげにくぅんと鳴くのであった。
往路とは違い、復路は安全運転で航行したのもあってか、それなりに時間がかかってしまった。それでも、この惑星においては朝と呼べる範疇であり、収穫して戻ってきた彼女らを、エメラルドの両親は出迎えた。
部外者であるはずのみらいも同じように帰還を喜ばれたが、みらいはいたたまれない気分でいっぱいであった。
「どうだい。面白かったかい」
その疑問にどう答えたものか、みらいは悩みに悩んで、結局は頷くのであった。
それからは、オバケたまねぎを日の光にあてるという作業があった。オバケたまねぎは日の光に弱いのである。地上の建物の中にあった台を引っ張り出し、その上に並べていく。気温が上昇しているため、逃げ出す心配は全くなかった。ある程度乾燥させたら、根っことたまねぎとを切り分ける作業があった。行うのは翌日で、みらいも参加しないかと誘われたが、丁重に断った。
これ以上、オバケたまねぎの声を聞きたくなかった。
とはいえ、収穫終わりはい解散、というわけにはいかない。みらいだって、そうしたくはなかった。折角、収穫の様子を見てもらい、あまつさえ何日か前に収穫したというオバケたまねぎをもらったのだから、料理人の端くれとしては何かしらの料理を振舞いたかった。
そういうわけだったので、みらいはキッチンを借りた。料理を作るということとなり、エメラルドの両親がひっきりなしに覗き込んでくる。その視線を背中に感じながら、レシピを考える。
「道具は自由に使っていいわ」
そう言ったのは、エメラルドである。エメラルドが使っていたものを、実家へと持ってきたのだろうか。レストラン顔負けのよい器具が取り揃えられていた。そのどれもに手入れが行き届いている。生半可な料理はできそうになかった。
萎えかかっていた心に気合を入れる。
「よしっ」
つくる料理はシンプルなものにしようと決めていた。新たまねぎの甘さと、その根っこの滋養強壮成分を最大限生かした料理――ポトフなんてどうだろうか。
冷蔵庫の中味はどれを使ってもいいそうだ。みらいは、ニンジン、豚の肩ロースブロック、ジャガイモを取り出した。まず、豚肩ロースブロックに塩を振りかける。本当は何時間も前にしておいた方がいいが、今してもいい。しないよりはずっとマシだ。
ジャガイモは皮をむいて、一口大に。にんじんは皮をむかずに同じくらいの大きさに。そして、オバケたまねぎであったが、手にしてみると、見た目同様にずっしりと重い。包丁で切ると、そのみずみずしさに驚かされる。まるで果実を切っているようだ。たまねぎの独特な香りは、通常のものよりも強い。ということはどういうことなのか。
少しすると、目が痛くなってきた。これはたまねぎに多く含まれているチアールという成分のためであったが、オバケたまねぎの含有量は通常のたまねぎの二倍以上にもなる。目がちかちかヒリヒリとして、涙が止まらない。これを暴徒へ投げつけても効果があるのではないかと思ってしまうほどの催涙効果であった。天然の催涙弾だ。
冷やすかヘルメットだけでも被るべきだったかもしれない。みらいの頭をよぎったが、もう遅い。涙を流しながらも、みらいはたまねぎをくし形にカットした。慣れているから、目をつぶってでもできるのだ。
玉ねぎ部分を切り終えたみらいは、その下につながっていたであろう根っこへと目を向ける。オバケたまねぎの体を構成している人型の根っこ。それを見ていると、先ほどの光景を思い出して、みらいはため息をつく。いつまでも落ち込んではいられない。通常のポトフと違うといえる点は、この根っこで出汁をとるところにある。栄養価はかなり高く、匂いもよかった。
人形の根っこに、そっと刃を入れる。力を入れなければいけないかもしれない。そんな覚悟をみらいはしていたものだが、案外容易く切ることができたので、ほっと息をついた。
それから、ブロック肉の水気を拭い、切っていく。最後に胡椒を振りかける。
あとは、寸胴鍋に水と下処理が完了した具材を入れて、ぐつぐつ煮込むだけである。一時間もすれば、火が通って出来上がり。
ちょうど一時間が経過して、寸胴鍋のふたを開ける。蒸気とともに、いい香りが舞い上がった。一番硬いであろうニンジンを一つ取り出して、フォークを突き刺す。力をかけることになく、フォークは突き刺さった。芯まで火が通っている。
火を止めて、セラミックの深皿によそう。
「できました」
みらいは、ダイニングへと深皿を運ぶ。
「どんなものをつくるのかと思ったら、案外普通なのね」
「使われている材料が普通ではないので」
茶化すような言葉に、みらいも茶化して回答する。エメラルドは笑っていた。
自分を含めた全員のものを運び終えたみらいは自らの席へ腰を下ろす。席についていた三人――それから、床でドッグフードを食べていたナイトも――がみらいのことを見つめる。エメラルド一家は、みらいの言葉を待っていた。
「ど、どうぞ」
そう言うと、各々食べ始める。みらいは、いただきます、と手を合わせた。食べる前にあいさつする習慣がある種族は珍しいのだ。
手を合わせたものの、スプーンを手に取ることができなかった。ほかの三人がどんな反応をするのか、不安で不安でしょうがなかった。
鏡面仕上げのスプーンが黄金色の液体をすくい、口元まで運んでいく。すべてがスローモーションになったかのように間延びして見えた。
「おいしい」
そう言ったのは、誰だったのかみらいにはわからなかった。誰でもよかったといえる。不味いと言われなかったから。
恐る恐る、みらいは顔を上げた。正面に見えるエメラルドの両親は、顔をほころばせながら、スプーンを動かしている。みらいの不安そうな視線に気が付いたのか、みらいの方を向いた。
――すっごくおいしいわ。レシピを教えてほしいくらい。
――うちの娘のよりおいしいんじゃないか。
そのような言葉を彼らは口にした。彼らの表情は、明るい。
みらいは顔をそむける。その顔は、赤かった。
エメラルドは、その様子をどう見たのかはわからない。そのことまではみらいも記録に残していないからだ。しかし、エメラルドは深皿を持って二回立ち上がったそうだ。それをどう解釈するかは読者次第だろう。
「正直舐めてた」
「え」
翌日、別れの直前のこと。今にも飛び出そうとしていたところに、エメラルドから通信が来たのだ。
「……最初に言ったことは訂正するわ」
「最初って」
「覚えていないなら別にいいわ」
それじゃあね、という言葉が交わされた最後の言葉であった。宇宙船は轟音を上げて滑走路を走り始めたからである。流動的な砂の粒に半分ほど飲み込まれた滑走路は、機体を制御するので精いっぱい。会話を続けることはできなかったからだ。
飛び立っていく宇宙船のエンジンの光を、エメラルドは見上げない。その時には自宅の方向へと歩き始めていた。その時にはすでに、のちの名著に記されたレシピが浮かんでいたそうであるが、真偽のほどは定かではない。
丹羽みらいのみらいの料理 藤原くう @erevestakiba
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