4.不遜少女は帽子をかぶる
「なんだつまらん、寝ていればいいものを」
カーテンを開け、少女は言い放った。
幼い少女だ。見た目は中学生、下手をすれば小学生に片足を突っ込むほど。
使い古された麻布で編まれたように見える魔女帽が頭の上に鎮座しており、その顔は絵にかいたような仏頂面である。
「えーっと……?」
あまりにも堂々と入ってきたものだから、彼女に対してなんと口火を切ったものかと空音は迷ってしまった。そうこうしているうちに、少女は取っ手のついた器具のようなものを床に置くと、そこからチューブを伸ばす。
「腕を出せ」
「腕……?」
「ああ、腕だとも。それともおまえの両側についている、そ・れ・は──」
少女は空音の両肩を交互に指差し、続ける。
「──腕じゃあないのか? 足だったら面白いが」
空音自身の顔は一瞥もしないまま、少女は気だるげな声でそう続けた。いつの間にかチューブの先端にはきらりと光る針が取り付けられており、空音もようやくそこで彼女の意図を察するに至る。
つまりは、採血だ。
「あの、あなたは……」
採血。まあ、病院ならあり得る。だが、異常に不遜な態度をした少女が採血しに来る病院なんてそうそう存在しないだろう。空音が眠っているうちに何年もの時が経ち、世の常識が “採血と言えば不遜魔女っ娘だよなぁ!?” となっていたらわからないが。
「ふん、なにも知らないというわけだ。」
少女が帽子を手で押し上げ、顔を上げる。そこでようやく、空音は少女と目が合った。
その、目が。
どこからどう見ても普通の女の子にしか見えない。少し背伸びしたコスプレ少女。数秒前まで、空音はそのように考えていた。
街頭インタビューで彼女の目だけを示し、“何歳でしょう” と道ゆく人に問うたならば、恐らくは多くが六十以上、人によっては七十、八十を超える老人のものであると答えるかもしれない。
それほどの深さ、それほどの濁り、そしてなによりも強いのは諦観だった。あらゆる経験の果てになにかを諦めたであろうその瞳は無感情に、しかしどこか熱に浮かされるように空音を見つめていた。
「アタシはメタセコイア。そしてここは我々
短い。短すぎてなにも判明していない。ここが病院じゃないらしいのは分かった。だが、それだけだ。ツリーハウス、特別防音室、本当になにも、なにも分からない。
いや、一つだけ分かる。メタセコイアというのは目の前の少女の名前なのだろう。
「メタセコイア……ちゃ──さん?」
「ちゃん付けはやめろ、“
メタセコイアちゃんは不遜系魔女っ娘であると同時に、博士属性も併せ持っているらしい。盛りすぎだろう、色々と。
「じゃあその、メタセコイア博士」
「なんだ」
疑問は数多、どこから聞いたらよいものかのより取りみどりときたものだ。
だから空音は、数多ある疑問の中でもっとも早急に解決したほうがよいものを選ぶことにした。
「
おそらくは、組織の名前。桜盲もその一員であると仮定すると、この組織がどういった傾向を持つかによって空音の今後は百八十度変わってくる。
無視か、順応か、はたまた敵対か。
少女は、メタセコイアはその質問にすぐには答えなかった。代わりに、無言で採血針を空音の前に示して見せる。
「……」
空音がそっと腕を出すと、メタセコイアはその腕を押さえた。
数秒腕を見つめ、採血地点を決めたらしい彼女が針をそっと刺す。痛みはない。針を刺す際に痛みを感じるかどうかは技能だと聞いたことがある。経験のたまものか、よほど練習を重ねているのかもしれない。
透明なチューブを自身の赤黒い血が進んでいるのが見える。綺麗な赤色でないということは、静脈──あれ、動脈だったっけ。
「終わりだ」
針がそっと引き抜かれた。メタセコイアは軽く針をぬぐうと、それを仕舞い込む。
「NewRuleSは新技術開発企業だ。極秘裏に法則を用いることで、並みの企業では到達できない技術を世に出し、それをもって利益を生み出している」
器具を持ち上げたメタセコイアは片手でベッドを囲むカーテンを捲ったまま、顔だけを空音へ向けてそう言った。
そうしてから、メタセコイアは気が付いたように目をぱちくりとさせる。
「話しすぎた。講義はしない予定だったんだがな」
カーテンの向こうへその姿が消えると、しばらくして扉の開く音がした。おそらくはそこに“特別防音隔離室”とやらの出入り口があるのだろう。
「ともかく、安静にしろ。貴重なサンプルに死なれても困る」
その声とともに、扉が閉まった。
◇
「たっだいまー! 元気に静かにしてたー?」
「なにその矛盾……」
退屈を持て余した数時間後、桜盲が姿を現すと、途端に部屋には喧騒が満ちた。同時に、安心も覚える。桜盲の態度はいつだって一貫している。だからそばにいるとその普遍性が心地よいし、頼もしい。
「さっき小さな女の子が来たよ。メタセコイアっていう名前? の」
「えっ、メタちゃん? 起きたんだ」
メタちゃん。明らかに本人が聞いたら不快さを露わにしそうな呼び名である。
「そっか、あの子、空音に興味津々なんだ」
「何歳なの? あの人」
少なくとも、空音よりもはるかに上だ。そういう確信があった。
「さあ? でも妙に貫禄あるよねー」
あの人を見てそれだけで済ませるとは。胆力がないんだかあるんだかわからないな。
「あ、でもね。一個だけ知ってるよ」
桜盲が口に手を添え、ひそひそ声で告げた。
「髪の毛のふわふわ度合いがヤバい」
「……期待して損した」
「もふもふするとすぐ逃げちゃうんだけどね」
前言撤回。真に
それだけ言うと、桜盲は手に持っていたビニール袋を持ち上げた。
「お弁当、選んで?」
◇
「それでさ、私、明日から調査に入るんだ」
幕の内弁当をつつきながら、桜盲はそう言った。
天丼についていた海老天の尻尾を蓋に置き、空音は顔を上げる。
「調査……ってなんの?」
「ほら、空音の……」
途端、フラッシュバックする。あの時の光景が、感情が、そして──
「明後日から再開するんだって、学校」
「再開──できるんだ。でも、そっか」
野球部員と、マネージャー、そして先生。おそらくは、そのほかにも。
それだけの犠牲者が出ようとも、二日と経たずに世界はまた回る。学校の敷地内で複数人が行方不明になったのだ。警察も躍起になって操作するだろう。遺族だって必死のその姿を追い求めるだろうし、世間からの注目だって避けられない。
それでも、それらは時間という潮流に徐々に流され、そして、世間は忘れる。後に残ったのは犠牲者分の空白と、しかしそれに気づかずに生きる人々のみ。
「いつまでも現場保存するわけにもいかないだろうしねー、だからギリギリで滑り込むってわけ」
最後に目撃した先生の顔は、今でもはっきりと思い出せる。
唖然とするような、疲れと驚きが入り混じったその目からみるみるうちに輝きは失われ、萎み、そして生まれた。怪物が。
「そんなだから、うん、行ってくるね。警察の目を搔い潜ったりしないとだから……ツリーハウスに戻ってくる時間的に、晩御飯をいっしょに──っていうのはちょっと厳しいかも」
「ツリーハウス……」
また、その単語だ。“ツリーハウス”。単語の意味自体はわかるものの、どうにも場面とそぐわない。
「樹上にでもあるの? ここ」
「えっ?」
「ううん、なんでもない」
ひとまず、疑問は後回しにするべきだろう。
そんなことよりも、ずっと、ずっと大事なことがある。なによりも優先すべきものが、目の前に。
「……桜盲」
「なぁに、空音」
桜盲は首を傾げ、笑みを浮かべた。
彼女は、今から私が言おうとしていることを理解している。なぜだか、その確信があった。
「私も、行く」
「うん、わかった」
あっさりとした答え。桜盲は笑みを隠さない。きっと、空音が取る行動を最初から理解したうえで、件の調査について話したのだろう。
「空音ならそうするって思ってた」
桜盲は、なんてことないかのように言う。
「抜け出しちゃおっか、ここから」
◇
「リボンの蝶が扱えるようになってから数か月後くらい……だから去年くらいかな。
桜盲の手が、空音のそれを強くぎゅっと握った。
同時に、空音も体をこわばらせる。
「空音の聴覚のことは知ってからさ、ピンと来たんだよね。“あー、法則ってこれかー”って」
リボンでできた真っ赤な蝶が数匹、桜盲の腰につけられたポーチの中から飛び立つと、空音の露わになった横腹に止まった。
「だから、NewRuleSの勧誘にうなずいたのは半分は私のためで、半分は空音のため。法則についてわかれば、もうちょっとやれることが増えるかなーっていうのと、空音の聴力をどうにかできないかなーって」
「そっか……」
「ごめんね、なんか恩着せがましくなっちゃったかも」
桜盲は申し訳なさそうに口元をゆがめる。同時に、蝶たちは、赤い糸でふさがれた空音の傷へと近づいていく。
「気にしないで、最近距離空いてたし……色々知りたかった──ふ、ぅ」
そこまで言って、空音は少しだけ悶える。肌の上を歩く蝶々の足取りがくすぐったかったのだ。
「それじゃ、いくよ」
「う、うん」
桜盲の言葉に、空音はいっそう強くその手を握る。
「ご、よん──」
「桜盲……やっぱりまだ──」
「さんっ!!」
蝶たちが一斉に足を動かし、空音の傷を縫合していた赤い糸を一斉に引いた。
「ッ……」
綱引きの要領で引かれた糸はものの見事に引き抜かれ、わずかな出血とともにベッドの上へと落下する。
「……」
「そんなに痛くなかったでしょ?」
恨めし気な目を向ける空音へ、桜盲はあっけらかんとした表情で言う。
「……予想できなかったのが悔しい」
「えへへ、久しぶりに喋ったから勘が鈍ったんじゃな~い?」
縫合につかった糸はリボンを無理やりに丸めたいわば急ごしらえの一品だったらしい。そのため、今回こうして新たな──そして衛生的な──糸で縫合し直す必要があった。
その結果、今回こうして桜盲にしてやられることになったわけだ。
一時的に縫合が解かれた傷はすでにふさがりつつあるものの、 このままでは学校へ戻るどころか歩いただけでも断続的な出血が起こるだろう。もう一度縫合が必要だった。
「それじゃあ~」
桜盲が人差し指をくるくると回すと、蝶が一斉に飛び立つ。ベッドに隣接した机から縫合用の糸を運んだ蝶たちは改めて空音の肌の上へと着陸する。
「……さっきより痛い?」
「うん? あー、だいじょぶだいじょぶ! ウチの蝶々は優秀だから!」
疑わし気な空音の目の前で、再縫合が始まった。
その腕前は、桜盲の言葉に偽りないものだった。痛みはある。だが、少し顔をしかめる程度のもので、想定していた激痛ではない。そうこうしているうちに透明な糸が傷を塞いでいき──
「はい、おしまい!」
「本当に優秀だ……」
「疑ってたでしょ? 縫合に関しては結構練習したからねー」
自慢げに仁王立ちする桜盲。空音は軽く足を動かしてみるが、痛みも耐えられないほどではない。これなら、いける。
「よぉし、ゆっくりと、ゆっくりとだよ?」
桜盲に手を引かれ、ゆっくりと足に力を込める。初めて踏む防音隔離室の床は妙に硬く、妙に冷たい。そもそも床を踏むこと自体が久しぶりだから新鮮に感じるだけなのかもしれない。
ようやく、ようやく見えた。ベッドから腰を上げ、それと同時に視線も上がった。桜盲がまるで舞台の幕を上げるかのようにカーテンをめくると、その向こうがついに──
「──こ、れ」
今なら、見えた。
部屋は、全面ガラス張りだった。床以外は四方の壁も、天井も、そして扉も透明だ。
ガラス張りの部屋の向こうには、巨大な暗闇が広がっていた。星が一つもない宇宙にただ、部屋と通路だけが点々と浮かんでいた。その宇宙の果てにはこれまた黒色の壁が、まるで終焉のように立ちふさがっていた。
「あっ、ちょっと空音、病み上がりが急に動かないのー!」
桜盲の呼びかけに答えることもできず、空音はガラス張りの扉に駆け寄り、開けた。
ほんの少しだけ強い風に髪を押さえ、一歩踏み出す。空間に満ちる空気は冷たい。
「すごい」
それは、まさしく箱庭だった。
部屋と通路は上下左右すべてに広がっている。星がないんじゃない。部屋が星となり、通路がそれらを結んで星座を形作っているのだ。
「なん、なの……? ここって、その、どこで、どうやって──」
「法則、だよ」
遅れて部屋から出てきた桜盲が、空音の疑問に答えた。
“法則”。個人が所有する、世界に対して作用するルール。だが、ここまで規模が大きいなんて。
空音が思わず桜盲に目をやると、彼女は悪戯成功! とでも言いたげににんまりと笑顔を浮かべた。
「そーらね!」
ぺちん、と桜盲の手が空音の肩を軽くたたく。
「ようこそ! ツリーハウスへ」
魔法少女の夜はふけて、 五芒星 @Gobousei_pentagram
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