第2話


 ……おはよう、と寝ぼけてるらしくて口に出ていた。


 寝起きは最悪。だってふかふかベッドじゃないし……、頬を撫でる不快な雑草。

 横を見れば、ゲジゲジがいた――っ、はう!? 手のひら以上の大きさのムカデが近くにいて飛び退く。垂直に、三メートルは跳んでいたんじゃないかってくらいに……、最高記録だけど喜べない!!


 なんでムカデがいるの!? あと、ここどこ!? 森じゃん……森森森!!

 木だし林だし森だしッ!! わたしは夢を見てるのかな……?


 ――夢だと思いたい。


 だって、目の前を横断しているのは……恐竜……?


 昔、映画に出てきたティラノサウルスそのままだった。


 上空には――大きな鳥……あれは、プテラノドン……?


 たっくさん飛んでる……群れだ……。


「はっ、なに、ここ――異世界!? 古代!? なんなのこれどこよぉ!!」


「ビオトープよ」


「はぁ!?」


 がさがさ、と身構えていたら、茂みから出てきたのはお母さんだった。


 ……危なかった、衝動的にその顔をぶん殴りそうになった。

 離婚した元お母さんでも、お腹を痛めてわたしを産んでくれたお母さんだ……殴りたくはなかった。

 仮に殴ったところでなにも解決しない。どころか悪化しそうだ……。それでも、怒ってるからね? その気持ちは忘れない。


「……どういうこと? 説明、はよ」


「あの魔法陣はね、私たちをへ送ることはできないんだけど、向こうの子を私たちの世界へ送ることはできるみたいなのよね……らしいのよ。たぶん。まだ研究途中だから確実なことは言えなくてね……。で、ここは異世界をできるだけ再現した施設――ビオトープなの。巨大な人工島ビオトープ――さゆりちゃんをご招待ってねっ」


「ビオトープ……? えっと、環境を、狙って作った箱庭、なんだっけ……?」

「うん」


「異世界を真似て作った箱庭……じゃあ地球ではあるんだよね……東京のどこか?」


「さすがに東京じゃないわ。もっと言うと日本でもない……北の海の方かなー? 人工島の中に大自然を再現したってわけ――すごいでしょ、私のビオトープ」


 日本から出た? じゃあ、数時間でいけるわけないよね?


 つまり――数日は経っているはず。


「ど、どうしてわたしを連れてきた!! 受験があるって言ったじゃん! 勉強もしなくちゃいけないしクリスマスだって――別に予定はなかったけども!!」


 予定が入る可能性だってあったのだ。

 それを、お母さんが無駄にした――このっ!


「わたしを元の生活に帰せ!!」


「痛いわよぉさゆりちゃぁん……お母さんの胸倉を掴んだらダメでしょぉ?」


「元だからね……! あと、こんなことされたら胸倉くらい掴むわよ! 本気で殴られないだけまだマシだと思いなさいよね……!」


「そろそろ離してくれないとね、さゆりちゃん……あ、まずいかも……」


 ――どうせお母さんがわたしの意識を逸らそうとしただけ、と思えば。


 がさごそ、と近くの茂みが揺れ、飛び出してきたのは赤い玉だった。


 熱を持ったそれがわたしのすぐ真横を通過する。

 …………木々が燃えていく。

 その球体は炎の塊だった……ふぇ?


 すると、四つん這いで姿を見せたのは――赤い尻尾。


 赤い鱗を持つ、わたしと同じくらいの幼い顔立ちの――女の子だった。


「え……」


「あ、その子が異世界人よ。名前はタルトちゃん……さゆりちゃんが部屋で見た魔法陣から出てきた異世界の子なんだよね。出てきたあの子を元の世界へ戻す方法が分からなくて……、方法が分かるまでは私が面倒を見てるの。

 このビオトープはあの子のためのもの。ほら、枕が変わると眠れないって言うじゃない? さゆりちゃんだってそうでしょ? 異世界にきて、それだと可哀そうだから、作ってあげたの。あの子のための大自然で、伸び伸びと研究結果を待っててくれるようにね――」


 ――――、やばい、ほとんど話を聞いていなかった……なんだっけ、異世界人……?

 この子が?


「尻尾、生えてるんだけど!」

「そりゃ生えてるでしょ、異世界人なんだもの」


「ほのお、はいたっ」

「幼児退行してるさゆりちゃん、可愛いわね――炎くらい吐くわよ、異世界人だもん」


「わたしを狙ってるよね!?」

「異世界人だからね」


「異世界人だからね、は理由にできるほど便利な言葉じゃないから!!」


 お母さんに詰め寄ると、四つん這いの少女から低い声が聞こえてきた。



「おか、さん、を……きず、つけ、るな……ッ」



 瞬間、猛獣みたいに飛びかかってきた赤い少女。

 斜め上から突撃されたらわたしにはどうすることもできない。勢いそのままに押し倒されてしまう。そして、馬乗りにされてしまえば、もうどうしようもなかった。


 彼女の八重歯が見え、彼女の瞳がわたしの喉元をがっつり見ている……やばい、噛みつかれたら一発で死ぬ……っ。


 全力で下から押し返そうとするけど無理だった。力っ、強い……!


「お、さゆりちゃん頑張ってるね」

「助けろ!」


「そっかそっかぁ……はーい、タルトちゃん、ストップよー……どーどー」

「むぅがるる……っ」


 お母さんが少女の背中をさすって落ち着かせる。

 同い年くらいに見えるけど、年齢はもうちょっと低いのかもしれない……。

 頭の中は猛獣と同じなのかも。


 トカゲ……いや、恐竜っぽいかな? まあ、わたしにとって危険なのは変わりない。


「お母さん、その手綱、離さないでね……?」


 お母さんの言うことなら聞くらしいから……。


「手綱なら、握るのはさゆりちゃんよ?」

「は?」


「だって、私はこの子を元の世界へ戻すための研究をしなくちゃいけないわけだし。その間、この子をひとりにしないためにも、さゆりちゃんには面倒を見てほしいの。この子と、私の」


「あんたの世話はしない」


「じゃあこの子のお世話はしてくれるのね? ありがとっ、さゆりちゃん!」


「あ……」


 やられた。

 最初に無理難題を突きつけることでその後の要望が通りやすくなるあれだ!


「ふふ、お願いね? 優しい優しい、さゆりちゃん――」


「ま、待って! このまますんなり決まりそうだけどわたし、高校受験! 冬休みが終われば学校もあるし、この子に付きっきりは無理っ」


「高校ならこの島から通わせてあげるから安心して。それに、ちゃんと報酬もあるわよ? 普通よりも数百倍もあるバイト代が出るんだけど……それでも嫌なの?」


 数百倍? そんなバカな――――金額を見せられた。心揺れた。


「っ、でもっ、お父さんにも相談を、」


「してあるわよー。もちろん許可も貰ってるから。なんだかんだで、あの人はまだ私に甘いらしいからねえ……。離婚こそしたけれど、あの人の心はまだ私のものなのよ……ふふふ。うふふふふ、――貸しもあるわけだしー?」


「……外道」


「今に始まったことじゃないでしょう? 母は強いのよ」


「こんな形で強くなってほしくはなかったよ!」


 叫ぶと、がるるる、と少女が威嚇してくる。

 ……この警戒を解かないと、今後、この子の面倒を見る時に大変だ。


 というか、食べられたりしないよね?


「……こんなに警戒されて、面倒を見るなんてできるの……?」


「最初はみんなそうよ。慣れと距離の詰め方よね……大丈夫、さゆりちゃんならきっとすぐに打ち解けられるから! じゃないと食べられちゃうしね!」


「サポートォ!!」


「するから。ひとまず、私は研究に没頭して……、その間、タルトちゃんが退屈しないように構ってあげて。必要なものは全てこっちで揃えてあげる。さゆりちゃんが欲しいものだって全部、ね――っ」


 全部……?


 その誘惑に負けたわけではない。ないけど……、ここまでくると、もう断る方が手間だった。既に、わたしはお母さんの罠にハマっていたのだ。


 底なし沼だ。

 蟻地獄かな?


 逃げ道なんて、どこにもない。



「う……。ふぅ――じゃあ、えへへ、よろしくね、トカゲの子……」

「ソース、じゃ」


「え?」


「おまえ、は、ソースで、かけて、食べる……うま、そう……じゅるり」


「ダメお母さんっ、この子わたしを食べる気満々だよ!?」


「違うわよ、タルトちゃん。さゆりちゃんはタルタルソースが似合うわ」


「――乗るなバカママ!!」




 … おわり/共同生活スタート!

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離婚した元母は セーラー服で魔法陣の上にいた 渡貫とゐち @josho

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