エピローグ4.この街で生きている

 零結晶の粒子を含んだ黒い風の中に、ふと、秋の匂いが混ざった気がした。

 狗吠いぬぼえ駅の駅舎の向こう、ボス系のポウンよろしく巨大な入道雲を立ち昇らせた空は、コントラストの強い青、いや陽射しが強すぎるせいでむしろ白、さらにハレーションか何かのせいでたまに虹色がちらつくような具合で要するに眩しかった。怜和二年、八月第四週、暦の上では既に秋――まあ実際はクソ暑いし体感的にはまだまだ夏だった。影の色だって夜みたいに濃いし、駅前の花壇に植わったサルビアの花も情熱的に赤い。ちなみにサルビアの花言葉は『家族愛』だそうで。暇だからさっき調べた。

 それでも季節は変わっていく。劇的にじゃなく、少しずつ、ささやかすぎて気が付かない変化を積み重ねて――それでようやくわかる。その境目に立ち会えるっていうのは、貴重な体験なのかもしれない。それなら今俺がいるのは、まさしく季節の変わり目で、夏が秋に変わろうとする瞬間を見届けているんだな……、そんなことを思う。

 このフレーズなかなかいいな。新作のポエムに使えそうだ。俺はスラックスのケツポケットからスマートフォンを取り出してメモ帳アプリを起動する。

「苑麻」

 丁度そのタイミングで聞き慣れた声がした。

 俺は流れるような所作でスッとアプリを終了させる。顔を上げると須藤が立っている。ウォーターフィールドのロゴの入った白いTシャツと八分丈のカーゴパンツといつもの安全靴。最近少しこいつの服装がお洒落になってきた気がしている。何かしら心境の変化があったのか、元からそうだったのかは知らない。

「意外と早かったじゃん」

「そうか?」

 聞きたいことはいくつかあった。

 

 いつものトドールの、いつもの席で須藤の話を聞いた。

「おふくろ、手術受けてくれるってさ」

「なんか気乗りしないって言ってたんだっけ」

「金のことは問題ないから、気にすんなって説得してな。本人には思うとこがあるンだろうが、どうしても受けてくれって伝えた。おふくろには健康でいて欲しいからな」

「そうだな……」

 母親が治療に乗り気でないという話を聞いた時、俺は解せない気持ちになったものだった。だが、そこには俺の与り知らない家庭の事情があるのだろう。それが須藤の願い通りに決断をしたというのなら、俺が何かを言うこともない。ただの知的好奇心みたいなものを満たすためにそれを問うのは踏み込みすぎな気がしている。もしかしたら、いつか、教えてくれる日が来るのかもしれない。

 すべてが上手く行って、何もかもが思い出になった後で。

「須藤さ、まだエデンは続けるのか?」

「まあ、しばらくな」

「生活費稼ぐって話なら、他のバイトでもいいんじゃねえの」

「稼げる額が違うだろ」

 それはそうだけども。

 俺は音を立ててアメリカンコーヒーを啜る。ホットである。そろそろいいかなと思って注文してみたがまだちょっと早かったかもしれない。まあでもアイスコーヒーそんなに好きじゃないからな。

 だってあれ基本水じゃん……。

 俺は横目で須藤の飲んでるアイスコーヒーを眺める。くそ、喉越し良さそうじゃねえか……。

 眺めていたのはアイスコーヒーだったが、何かを勘違いしたのか須藤と目が合う。

「苑麻は」と須藤が口を開き、

「……やめるつもりなのか?」

 少しだけこちらを伺うような様子。こいつにしては珍しい態度。

「ん……」

 そのつもりが全くないとは言えなかった。

 俺は思い出す。

 

『こういう、人の生き死にだって関わってしまう世界だ。手を引いてもいいと思う』

 と委員長は言った。

『私たちとしては、居てくれれば、助かりますけどね』

 と磐田先輩は言った。


 ……まあ、でも。

「もうしばらくは、続けてみようと思ってるよ。……止めない理由だってあるしな」

「何だよそれ」

「言わなきゃダメか?」

 俺は須藤を横目で見る。いつぞやのこっ恥ずかしいやつの蒸し返しになりそうで嫌なんだが……。

 須藤は真っ直ぐに俺を見てくる。

 ……勘弁してくれ。真剣マジのときの目じゃねえか。

 俺はそこそこ大雑把な人間の自負があるが、そんな目をして問うてくる相手を茶化せるほど、適当にはなれなかった。

 全く。好きな娘に告白するときだってこんな気分にはなるまい。したことないから知らんけど。

 長いため息をひとつ吐き出して、ようやっと覚悟を決めた。

「いいか、一回しか言わねえからな。蒸し返すのもなしだぞ」

 カラン、と須藤の手元でアイスコーヒーが音を立てる。

「……色々考えたんだよ。命の危険はあるし、不愉快なものも見させられた。俺がまだ出くわしてないだけで、もっとひどいことがあるかもしれない……。でもさ、シンプルに考えて、……友達ダチと遊ぶゲームって、楽しいじゃん」

 エアコンの唸る音。店内のざわめき。誰でも知ってるJ-POPのジャズアレンジのBGM。共振ハウルみたいに煩く響く雑音の中で、多分、須藤は俺の言葉を一字一句聞き逃すまいとしてくれている。

 だから俺もきちんと、素直な気持ちを伝えようとする。誤解も嘘もないように。

「つまり……その、だな」

 顔が火照るのは我ながらアホだ。

 だから、ここから先は顔を見れない。

 窓の外、見慣れた狗吠駅前の景色を見つめながら、絞り出すように伝える。

「もうちょっとだけ組んでくれ」

「……ふ」

 須藤が顔を隠して震えている。えええ、マジで? お前涙もろ過ぎだろクリティカル上戸か、などとむず痒い気持ちになっていたが、眺めていると様子がおかしい。

「そ、苑麻……お前……」

 須藤はヒクヒク笑いながら気取った感じで俺を指差してくる。

「やっぱ、頭ン中、相当乙女だな?」

 さ……

 さ…………

 最悪の反応…………!!

 俺はテーブルをぶっ叩いて立ち上がる。

「ててててめえ何笑ってんだよ! こないだ似たようなこと言われて半泣きだったろうが!?」

「はァ!? 泣くわけねーだろバカかテメェ!」

「泣いてただろうがドアホ、『苑麻……俺も……』とか感極まった感じで」

「ば……! ッか、俺がンなこと言うわけあるか、人の発言を捏造すンな!!」

 須藤も椅子を蹴って立ち上がり、互いに顔を見合わせて。

 睨み合っての数秒後。

 どちらからともなく、笑い声が溢れた。


 かくして。

 俺と須藤、そして何人かの新しい知人たちの――

 怜和二年の、過ぎてゆく夏の、次の季節が始まっていくのだ。

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結晶樹の街のエデンズフィールド 広咲瞑 @t_hirosaki

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