エピローグ3.道化は虚構の舞台の上で

「毎度のことではあるのでしょうが――」

 瓦礫の山の前に、男が一人立っている。

 エデンズフィールド内に構築された元校舎。今や残骸となったその学校の名を男は知らなかった。狗吠いぬぼえという街に実在する高校のコピーであることくらいは聞いている。だが、それ以上は知らない。知る必要もない。が終われば済むことだった。

「後片付けが面倒なのは、どうにかならないものですかねえ」

 おもむろに――男が右手をかざした。

 辺りに散らばっていた零結晶の粒子が浮き上がった。その粒のひとつひとつが、常時の色ではない、白い光を放っていた。粒子は男の指差す先に向かって漂いながら進んでいき、やがて、羽虫のようにびっしりと、瓦礫の表面にまとわりついた。

 男が両腕を広げると、瓦礫の山が宙に浮いた。ジグソーパズルが噛み合うようにひとつひとつの瓦礫が組み合わされ、建築物としての立体的な形状を取り戻していく。やがて男が『ぱちん』と両の指を鳴らした瞬間、世界は固定され、粒子は光を失った。

 さぁっ――と音を立てて煤の膜のような黒い粒子が雪崩れ落ちたあと、男の目の前には、完璧に復元された校舎があった。

 男は通用門を抜けて校舎の中に入っていく。かまちで律儀に靴を脱ぎ、踵を揃えて下駄箱に入れ、来客用のスリッパに履き替える。そしてぺたんぺたんと足音を立てながら奥へと進んでいく。

 やがてひとつの死体を見つける。

 目を見開いて笑った表情のまま硬直したその圧死体を、彼は見降ろし、傍に屈みこんだ。

 死体の後頭部に右手を差し込み、顔を起こして、青ざめた唇に口付ける。

 口腔内に舌を沈め、蠢かせ、男は何かを探していた。やがて目的のものを見つけたのか、男の咽喉がと鳴り、何かを呑み下した。

 唇を離す。

 唇ふたつを繋いで引かれた唾液の糸が途切れた瞬間、死体は黒い粒子の塊に変わり、男の腕から崩れ落ちていった。

「――クリアスノウの引継完了。現時点を以ってアナタの業務は、ワタクシが引き継ぎます」

 およそ感情のない平坦な声が鳴った。

「お疲れ様でした、《997番目の白い雪ラストウィンター》。終わりの冬に会いましょう」

 死体と――ほんのついさっきまで死体であったものと寸分違わぬ顔をしたその男は、それだけ言い残して立ち去っていく。ぺたんぺたんという足音が、やがて遠くなり、残響さえも消えていく。

 残されたのは、この場で何もなかったかのような、ありふれた校舎の風景だ。

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