青空
最終話 こんな危険な犯罪者を、片時も目を離さず厳重に見張ってなくっちゃいけないなんて、《何て重大な任務》なのかしら!
青空の下、銅鑼がせわしなく鳴り渡る。
河をさかのぼる帆船の出港を告げる合図だ。
ラトゥースは、勢いをつけて馬車から飛び降りた。
「何やってるの、さっさと乗らなきゃ。遅れちゃう。じゃあねベイツ。くれぐれもお大事にね。また来るからそのときはよろしく!」
純白の羽根飾りもうるわしい大きな水色の帽子が、風にあおられてふわっと浮く。
地についた瞬間、ぴかぴかしたエナメルの編み上げブーツが硬い鉄鋲の音を立てた。
ひらりと裏返るドレススカートに、優雅なレースのショール。手にしたパラソルは愛らしいレース仕立て。
お付きのものたちに付き添われ、しずしずと歩む、とばかり思っていた姫君のじゃじゃ馬っぷりに、周囲の船客たちが驚いた目で振り返った。
「船が出ちゃうじゃない。ほら」
指差した先には、シャノアから王国の都ハージュへと向かう純白の帆船が係留されている。
朝日を受け、優美にたゆたう白い帆影。広い河口の対岸はほのかにかすんではっきり見えない。
さざなみの寄る川面に、とろりとした船影が映り込んでいた。
乗降口は、太陽神の信者であることを示す黄色い布を腰に巻いた巡礼の一行でぎゅうぎゅうづめだった。
添乗員らしき伝道師が、棒のついた鬱金色の三角旗を振って、巡礼の群れを必死で呼び集めている。
「『大陸周遊豪華三大聖堂巡礼めぐり、美食食べ放題の旅』にご出立のみなさま! ハージュ行き、トワーズⅡ世号はこちらでございます! 只今より乗船開始でございます! どうぞお乗り間違えのなきよう! 王都ハージュ大聖堂行きの船はこちらでございます!」
巡礼といっても、どうやら豪華客船を用いた周遊気分たっぷりの旅行であるらしい。
何も考えず人混みの列へと飛び込んだラトゥースは、思わぬ人の流れに巻き込まれ、よろめいた。
「うわあ、流される。助けて」
水色の帽子が、さながら離岸流のように、まるで違う方向へと流されていく。
日が出たばかりの街並みには、いつもと同じきらびやかさと賑やかさ、猥雑さの混じった活気がよみがえっていた。
船の周りに集まっているのは、何も乗客ばかりではない。
カゴに入った干しアンズを売り歩く子ども。
長い棒の先にガラガラと鳴る妙な道具をくくりつけ、珍妙な格好で人寄せに振り回す者。
ニワトコの花のお茶を売る者。砂糖パンを売る者。
少し離れたところでは、本格的なあぶり焼の屋台まで出ていた。くるくる回りながら脂をしたたらせる串刺し肉の香ばしい匂いが、朝食にありつき損ねた乗客たちの垂涎の眼差しを誘っている。
ハダシュは、馬車の後方からラトゥースの革トランクを引きずり出した。シェイルに向かってあごをしゃくる。
「おい。あれ。何とかしてやったらどうだ」
「黙れ重罪人。保護観察処分の分際で」
「子守はてめえの役割だ」
「助けてシェイル。助けてったら。戻れない。助けてえ」
ラトゥースはといえば、何とも情けない声を上げ、必死で黄色い旗の波を泳ぎ戻ろうとしてじたばたあがいている。
「助けてってば」
「エルシリア侯姫ともあろう御方が、何とはしたない」
シェイルはあきれ果てた様子で渋面をつくった。額を手で押さえる。
「少しは慎ましやかに、ですね……」
「あっ、見て、ハダシュ。あっちに
シェイルは完全に仏頂面と化して咳払いした。つかつかと巡礼の列へ割り込んでゆく。
「だめです」
人混みにおぼれかけたラトゥースの腕を取り、子ねこをくわえた親みたいな顔をして苦もなく戻ってくる。
「良いですか、姫。少しはお立場というものをお考えください。我々は遊びに帰るわけではないのですよ」
ラトゥースは照れくさそうに笑った。ほっぺたを掻く。
「てへ。ごめんなさい、シェイル。もちろん分かってるわ。裁判のために容疑者を都まで護送しなきゃならないのよね! まったく、こんな危険な犯罪者を、片時も目を離さず厳重に見張ってなくっちゃいけないなんて、《何て重大な任務》なのかしら!」
「余計なお世話だ」
「まさしく、王国の安全を背負って立つ者として、全力で果たすべき大変な責務よね」
一人で斜め上の力こぶしをつくり、無駄にきりっとする。
「って、あれっ? シェイルは?」
ハダシュは無言のまま、あごの先で埠頭を示す。
呆れたシェイルが、ひとりでさっさと乗船手続きに向かっていく姿があった。
「あっ、いつの間に」
ラトゥースはあわてて、光まぶしい川に向かってハダシュの背中を押した。
「いけない、ほら、早く行きましょ。ほら荷物持って。また怒られちゃう。待ってえ、シェイルう」
ラトゥースは転がるようにシェイルの後を追ってゆく。
「重大任務はどうなったんだ」
ひとり取り残される。
ハダシュはげんなりとため息をついた。肩をすくめる。
向かうはエルシリアのハージュ。
太陽神マイアトールを主として信仰する総本山として知られた、歴史あるたたずまいの残る街にして、この国の政教を一点に集約した王国最大の都である。
予定では、途中の街に寄港しながら、半月ほどをかけて内陸の河を遡上してゆく旅になる。
これから裁判を受けに都へゆくのだった。
自らが犯してきた罪をつぐない、刑に服するために。
ラトゥースの後を追おうとしかけて、つと、ハダシュは足を止めた。シャノアの街を振り返る。
朝焼けに照らされた街並みは変わらず雑然としている。
運河の上に差し渡された石造りの櫓と櫓の間を、見張りの衛兵が銃のベルトを肩にかけて巡回しているのが見えた。
まだ完全に治安の悪化した状態が払拭されたとは言えない。
だが、ハダシュはすぐに険しい表情をゆるめた。
彼らが守っているのは、ハダシュが知らなかった外の世界。心の底から渇望し、憧れて止まなかった陽の当たる世界だ。
「ハダシュ、ほら、早く。乗って」
帆船にかかった
水面に朝の日差しがきらめく。
銅鑼の音に驚いてか、白い海鳥が飛び立った。群れをなし、鳴き交わし、どこまでも青い空を飛んでゆく。手を伸ばせば届きそうだった。
「やれやれ。これじゃ、どっちが見張りだか分かりゃしねえな」
ハダシュはまぶしさにいとおしく眼をほそめた。
柔らかな鳥の鳴き声につられて、歩き出す。
帆船の白い帆が、ゆったりとふくらんでゆく。南の空には真っ白な入道雲。
風はもう、夏の匂いがした。
【終わり】
【完結】ヴェンデッタ 上原 友里@男装メガネっ子元帥 @yuriworld
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