第5話 乙女山公園にて
(五)
私達三人は徒歩二〇分ほどの所にある『乙女山公園』へ行った。
「倉木さんて意地悪ね――」
歩いている途中で天野由美は倉木に近づき小声で言った……。太郎の足取りは弾むように軽い。
私は苦笑してちらと彼女を見た。彼女は白のジーンズに薄紫色のシャツで軽く白いカーデイガンを羽織っている。スタイルも良く、背は一六〇㎝くらいで、髪は肩より少し上である。太郎が好きになるタイプであった。
公園の木々の葉が五月の陽光を浴びて眩しく輝いている。小高い丘や池には鯉が泳いでいて、都会とは思えぬような森と自然があった。
公園にはカップルや家族連れがかなりいた。絵を描いている人物も二人いた。三人は池の側にある屋根があるベンチに座った。
「私はこの公園には何度か来たことがあるわ。十代の時によく写生に来たの――」
「天野さんは絵を描くんだ。そうなんだ!」と、それを聴いた太郎は是非見てみたいと言った。
「私もそれは拝見したいですね」と、私も言った。
「あら、恥ずかしいわ。友人は美術学校に行った方がいいと言ったけど。私は行かなかったの。私が尊敬している画家は独学なんです。まだ三十歳だけど、私など足元にも及ばない。そのひととは難しい話はできるんだけど、私には彼が話す内容がよく理解できないんです……」
「ほう、その画家のひととも是非会ってみたいですね。作品も観てみたいし――」と、私は言った。
しかし、太郎には彼女が言った画家に対して少し嫉妬が生じた――。
「まだ今日は例の人物は来ていないようですね。もし来たら直ぐに分かるでしょう。」
私は周囲を見渡して言った。
「あのクラブで尊敬する画家のことを話そうかなとも思ったんですが、やはり本人に承諾を得てからじゃないと、と思って話せなかったんです。名前は桜木豊って言うんですけど、まだ世間ではそんなに有名じゃないから知らないと思います。彼の才能は尋常ではないんですが、それが分かる画家や評論家は殆どいないんです。」
太郎の中で益々嫉妬の感情が膨らんだ。
「そうか、天野さんがそこまで言うのであれば相当な人物ですね。今度是非紹介してください。」
私はクラブで聞いた人物のことは忘れて彼女が言う画家が気になった。私は絵にも興味があり美術館や画廊で開催している個展巡りをしていた。世の美術評論家よりは自分の方が観る眼があると自負していた。
二人の話を聴いていた太郎は自分が無視されていると拗ねていた。
***
私に彼女から画家と会えると連絡が来た。私は前回に行った喫茶店で落ち合う事になった。
私が約束した時間に喫茶店に行ったら既に二人は来ていた。画家はがっちりした体つきで日に焼けて精悍な面構えをしていた。私は芸術家特有の繊細な感じを予想していた。
「お待たせしてすみません。私は倉木悟と申します。どうぞよろしくお願いいたします。」
「いえ、私達が早く来たのです。気にしないでください。桜木豊です。天野さんから倉木さんのことは聞いていたので楽しみにしていました。彼女が認めるような人物は間違いないので……」「
画家は席を立って言った。
私は桜木の眼差しの鋭さに戦慄を感じた。この眼前の人物は魂の奥まで見抜く洞察力があると――。
「さて、何から話しましょうか? 私は出来得る限り答えますが。私の物言いはかなり断定した物言いをしますのでご無礼があればご容赦ください。」
私は桜木の存在感に圧倒されていた。こんな人物は初めてであった。色んな人物達と会ってきたが圧倒されることなど無かった。初めての体験とも言えた。突き抜けるような戦慄が走り、微かに身体じゅうが震えている。それを隠すだけで精一杯であった。
彼女も倉木の動揺が手に取るほど分かった。
天野があのクラブで倉木と出会い、話したことを再度語った。
桜木は倉木の様子を淡々と風景を見ているように観ていた。
「天野さんは絵と文章に才能があります。まだつぼみの状態ですが。開花するには五年程かかると思います。何事にも時期というものがありますから……」
私は自分が情けないと思っていた。今までの自分は何処に行ったのか、と。何かを聴こうとしても言葉が浮かばなかったのである。それにしてもこのような人物がいること自体が信じられなかったのである。徹底的な相対主義であった自分の処し方に通用しない人物との初体験であった。
「今日は自分の絵は持ってこなかったのですが、お時間があれば今度見て欲しいものです。写真ならありますが、携帯で撮ったものですが……」と、携帯の絵を見せてくれた。
私は携帯を持つ手が震えている。穴があったら入りたいと思ったくらいである。作品は抽象表現であったが、異様な気の圧が心身共に加わってくる。これもまた初体験であった。絵を見ても言葉が浮かばない。ただ凄いとしか言いようがない。
「こんな凄い絵を観たのは初めてです。言葉が出てきません。」
辛うじて言った言葉であった。私の体中が熱くなり心臓が早鐘の様に打っている。
「どうもありがとうございます。私の作品を観てそのような感想は初めてです。」
桜木は柔和な眼差しと穏やかな声で言った。
――私はあのクラブで見たという人物はもしかしたら桜木ではなかったのかと思った。
「あのう、失礼かも知れませんが、乙女が丘公園へはよく行きますか?」
「ええ、息抜きというか、気分転換でよく行きますね。」
「その時に太った人物に会って話されました。その人物に『まだ蛹ですね』 というような言葉を言いませんでしたか?」
「――ええ、そうですね、あの人物かな、言ったかもしれません。」
私は確信した。存在の大きさは身長や年齢までは正確には分からない。それで自分と同じような身長と思い込んだのだ、と。
私は何か憑き物が落ちたような気がした。これで繋がった。あのクラブで会ったという人物は桜木だったと。それで超変態だと鈍いながらも感じたのだと。
「天野さん、あのクラブで言及されていた人物は桜木さんだったのですよ。」
彼女も何となくそうかも知れぬと思っていたのだ。
「それなら私も納得です。そうだと思います。桜木さんのような人物はざらにいるわけではありませんから……」
「ん、私の事が話題になったのですか?」
桜木は不思議そうな顔で聞いた。
「ええ、そうなんです。『超変態クラブ』というところで『蛹だね』と言われた人物がいまして、桜木さんが話題の中心となったのです。」
「ほう、そうなんだ。面白そうな名前のクラブですね。」
私は桜木があのクラブに参加するには不穏な感じがした。
「いえ、桜木さんから見たらメンバーの殆どは蛹というより青虫のようなものです。わざわざ参加されなくてもいいかと思います。」
「そうなの、天野さん?」
「私も倉木さんと同じです。参加する必要はないと思います。ただ、主催している人物と会うことはいいかも知れませんが……」
「そうか、そんな風にいわれると逆にそのグループに顔を出したくなりますね。」
私は桜木が顔を出すとどうなるかと興味はあったが、メンバーの殆どはかなり混乱するであろう光景が眼に見えるようであった――。
超変態クラブ 梅崎幸吉 @koukichi-umezaki
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