Hope Has Grown Wings, But Those Wings Do Not Exist.

紙の妖精さん

『希望は羽根が生えてる、 しかしその羽根は存在しない』

『Emily Dickinsonに捧げる短編。』1


『希望は羽根が生えてる、しかしその羽根は存在しない』


希望と、死と、名もないものについて。






教会には、午後の薄い光が入っていた。礼拝堂には誰もいなかった。ナタリナ・クーロームは、牧師の向かい側に座っていた。二人の間には小さな木の机があり、その上に聖書と、一杯の水が置かれていた。牧師はしばらく何も言わなかった。


窓の外では、風に揺れた木の枝がガラスに細い影を落としていた。


「ナタリナ」


「はい」


牧師は一度、目を伏せた。


「あなたに伝えなければならないことがあります」


ナタリナは黙って牧師を見た。


「明日、あなたは死にます」


時計の音がした。


ナタリナは、最初、その言葉の意味がよく分からなかった。


「……明日?」


「そうです」


「私が?」


「あなたが」


牧師の声は静かだった。ナタリナは机の上の水を見た。透明な水の中に、窓から入った光が揺れていた。


「どうしてですか?」


「私にも分かりません」


牧師はそう答えた。


「死ぬ理由を尋ねたわけではありません」


「そうです」


「ただ、明日死ぬと?」


「そうです」


ナタリナは少しだけ笑った。


「変ですね」


「何がですか?」


「明日って、普通の日だと思っていました」


牧師は答えなかった。


ナタリナは椅子の背もたれに身体を預けた。


「朝は来ますか?」


「来ると思います」


「私が死んだあとも?」


「はい」


ナタリナは窓を見た。外の木は風に揺れていた。車が一台、教会の前の道路を通り過ぎていった。


「じゃあ」


 ナタリナは言った。


「明日は、ちゃんと朝になるんですね」


「ええ」


牧師は小さく頷いた。


ナタリナは立ち上がった。


「分かりました」


「ナタリナ」


「はい」


「怖くないのですか?」


ナタリナは少し考えた。


「まだ、よく分かりません」


そう言って、教会の扉へ向かった。扉を開けると、午後の街の音が入ってきた。車の音。遠くで鳴るクラクション。誰かの笑い声。


ナタリナは一度だけ振り返った。


牧師はまだ椅子に座っていた。


「明日になれば分かりますね」


牧師は何も言わなかった。ナタリナは外へ出た。


空は青かった。


そして、いつもと同じように時間が進んでいた。


明日、死ぬと言われた。


ナタリナ・クーロームは、その言葉を聞いたあと、仕方ないと思った。


夜になってから車のキーを手に取り、家を出た。


 エミレ・カリン・フローレが助手席に乗った。


「どこへ行くの?」


「分からない」


ナタリナはそう答えて、車を走らせた。夜中のアメリカの街は、昼間よりずっと広く見えた。信号の少ない道路を走り、商店の明かりを横目に通り過ぎる。閉まった店の窓には街灯が映り、交差点を曲がるたびに赤や白の光が車のフロントガラスを横切っていった。


ナタリナはラジオをつけなかった。エミレも何も言わなかった。


しばらくして、ナタリナが口を開いた。


「私が死んだら」


「うん」


「この車と一緒に燃やして」


エミレはナタリナの横顔を見た。


「車も?」


「車も」


「どうして?」


「この車で最後まで走っていたから」


ナタリナは前を見たまま言った。


「最後くらい、一緒がいい」


 エミレは少し考えてから、


「分かった」


と言った。


それから二人は、また黙った。車は夜の道路を走り続けた。街を抜けると、建物が少なくなった。道路脇の店も減り、暗い場所が増えていった。


それでもナタリナは車を止めなかった。午前二時。三時。四時。空の色が、ほんの少しだけ変わった。


エミレは窓の外を見ていた。


「朝になるね」


「そうだね」


ナタリナは答えた。


そして朝になった。


太陽が道路の向こうから昇り、夜の間ずっと見えていた街灯が一本ずつ目立たなくなっていった。


ナタリナは生きていた。自分が死ぬと言われた日が始まったのに、何も起こらなかった。


しばらく走ったあと、ナタリナは小さなガソリンスタンドに車を入れた。給油口を開ける。エミレが車から降りた。

朝の空気は少し冷たかった。


ナタリナも車から降りて、明るくなった空を見上げた。


「死は」


 エミレが振り向く。


「死は?」


「私を避けた」


ナタリナは言った。


エミレは笑わなかった。


「そうかもしれないね」


「昨日はあんなに近くにいたのに」


「今日は?」


「いない」


二人は給油を終えた。ナタリナはキャップを閉め、運転席に戻った。エミレも助手席に乗った。車はガソリンスタンドを出た。もう夜の道路ではなかった。朝の街には、人がいた。コーヒーを片手に歩く人。バスを待つ人。店を開ける人。犬を連れて歩く人。誰も、ナタリナが昨夜死ぬはずだったことを知らなかった。


車の中で、エミレが言った。


「家に帰ろうか」


「うん」


ナタリナはハンドルを握った。帰る道は、昨夜走った道と同じだった。けれど、朝になると何もかも違って見えた。


ナタリナは空を見た。


雲の間から青い空が見えていた。


「エミレ」


「なに?」


「希望って、羽根が生えてるのかな」


エミレは少し考えた。


「どうだろう」


「でも、その羽根は存在しない」


「うん」


ナタリナは前を向いた。


「じゃあ、飛べないね」


「そうかもしれない」


車は朝の街を走っていった。


二人は家へ帰った。

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