皆様、こんにちは。
前回は「書く人」と「読む人」の共作についてお話ししましたが、今回は少し「言葉の調味料」の話を。
小説の教本を開くと、必ずと言っていいほど書かれている格言があります。
「形容詞は極力削れ」。
「美しい花」と書くのではなく、その花がどう美しいのかを描写(Show, don't tell)しろ、という教えです。形容詞は便利すぎて、読み手の想像力を止めてしまう「思考停止の言葉」だと言われることもあります。
でも、天邪鬼な私は思うのです。
「じゃあ、あえて形容詞だけで塗り潰したらどうなるのか?」と。
本来、削るべきとされる「結論の言葉」を、これでもかと畳みかけてみる。
そうすることで立ち上がる、現実離れした「過剰な世界」があるのではないか。
ちょっとした実験作を書いてみました。
「麗しく、芳しく、あまりに禍々しいその温室の奥では、白々しい月光が、妖しい、毒々しい紫の結実を照らし出していた。」
「摘み取られた果実は、瑞々しく、おぞましく、言いようもなく悍ましい。甘ったるい香気は重苦しく、蒸し暑い大気を凄まじい密度で埋め尽くしている。」
いかがでしょうか。
具体的な形や動作はほとんど書いていません。並んでいるのは「筆者の主観(形容詞)」ばかりです。
けれど、これだけ形容詞を重ねると、逆に「普通じゃない空気感」や「病的な執着」が、じっとりと肌に張り付いてきませんか?
正解(描写)を提示せず、形容詞という「感情のレッテル」を乱貼りすることで、読み手の脳内スタジオをあえてパニックに陥らせる。
「引き算」が美徳とされる小説の世界で、あえて「足し算の限界」に挑むのも、また一つの表現かもしれません。
……さて、あなたの脳内の温室では、今、どんな「いかがわしい」色が広がっていますか?
たまには、こんな劇薬のような言葉遊びも悪くないですね。
それでは皆様、どうぞ、ありきたりな、しかし瑞々しく芳しく、あまりに禍々しく目まぐるしく騒がしく、それでいて愛おしく切なく儚く、どこまでも、あまりに(形容詞だらけ)な休日を。