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改稿前原稿保管庫 第4話 負けた【薔薇食む】

 セーラー服の前で、私はためらっている。
 手を伸ばそうとしては、ひっこめ。伸ばしては、ひっこめ……。

 何度繰り返しても、指先が真新しい布地に触れない。


「あれ、どうしたんですか? 遅刻しちゃいますよ?」
「ごめん、もうちょっと待ってて?」


 すでに準備万端のナギサちゃんは、意地悪っぽく笑った。


「あ、わかった。あたしに着替えさせてほしいんじゃないですか?」
 

 違う。本当に、着る勇気がなかっただけなの。
 でも、無意識に、喉が鳴った。断る理由、どこ?


「……お願いしていい?」
「はい。お任せください」


 ナギサちゃんの、人肌を撫でるためにあるような指が、パジャマのボタンを外していく。


「ばんざいしてください」
「ばんざーい」
「ふふふ」


 腕を上げると、上品な笑い声が、うなじをくすぐった。


「お嬢様。髪型はどうしますか?」
「ナギサちゃんの方が『お嬢様』じゃん」
「お嬢様に、着替えさせてもらってるんですか?」
「なんでもできる、あなたが悪い」
「そうですねー。全部、あたしのせいにしていいですよー」


 私の半分しか生きていないのに、余裕たっぷりな態度。 
 争う気も起きない。血統書付きのプードルになった気分だ。


「このままだと、ナギサちゃんなしで生きていけなくなりそう……」
「あたしは嬉しいので、気にしないでください」
「いや、流石にまずくない?」


 人として。


「一緒に死ぬんですから、心配ありませんよ」
「そう、かも?」
「はい。あたしは死ぬまで見捨てませんから」
「……わたし、余命2年半の女の子に、着替えさせてもらってるんだよなぁ」


 本来は、逆の立場だよね。

 寝間着を脱ぎおわると、今度は制服の着衣。完全にされるがままだ。
 揺れる黒髪から、薔薇の柔軟剤のような香りが広がり、胸が温かくなる。


「とっても似合ってる。恵巳さん、かわいい!」


 セーラー服を着た、アラサーへの感想が、|かわいい《・・・・》……?


「うそでしょ」
「本当に思ってますよ」


 私の目からは、痛いおばさんとしか映らない。
 高校生ではなく、ピエロに近いでしょ。


「今日の入学式、楽しみですね」


 親友の結婚式に行くみたいに、はにかむナギサちゃん。
 もう逃げられないと、悟った。


「私は2度目だけど」
「前回はどうだったんですか?」
「……もう、覚えてない」
「恵巳さんは、無理に高校デビューして、やらかしてそうですね」
「……のーこめんと」


 なんで言い当てるの、この子は。
 おつむの使いどころがおかしい。


「では、行きましょう」


 青薔薇に手を引かれて外に出ると、桜が広がっていた。

 色付きガラスみたいな、春の空。
 初々しい、若葉マークのエンジン音。
 春一番が、強引に背中を押す。

 若作りをしすぎた|滑稽《こっけい》アラサー女性こと、私。

 どうして、高校に通うことになったのか。
 はじまりは、半年前。

 ナギサちゃんとの同居生活がはじまって、すぐの話だ。





 私は上司に退職届を提出した後、寝転んでいた。

 会社は、人間関係が酷かっただけで、給料払いはホワイトそのもの。
 失業保険も合わせれば、3年分の生活費は捻出できる。

 スマホを眺めていると、ナギサちゃんの手元から、シャーペンの音が聞こえた。
 参考書を解いていて、迷う時間がない。
 筆記の音を聞くだけでも、要領のよさが伝わる。


「勉強してるの?」
「受験勉強です」


 私の口から「え?」と困惑が漏れた。


「死んで、卒業できないのに?」
「だって、暇ですよ。3年間、なにをして過ごせばいいんですか?」
「ゲーム、とか……? 読書?」
「3年は長いですよ」
「高校、かぁ」


 孤立。交換日記。告白。失禁。失恋。引きこもり。
 自分の高校時代の記憶が蘇って、すぐに頭を振った。


「高校で何かあったんですか?」
「まあ、ぼちぼち」
「隠し事をしていませんか?」


 ナギサちゃんの知性に満ちた瞳が、私の罪悪心を貫く。


「いや、なにも……」


 私は野良猫みたいに目を反らした。
 

「本当ですか?」
「……うん、たぶん」
「一緒に死ぬパートナーなんですから、隠し事はなしですよ」


 ナギサちゃんへの隠し事は、そのまま墓までもっていくことになるのかぁ。
 速攻で、圧に屈した。


「私……高校中退です。はい」
「え、ちょうどいいじゃん!」


 失望を覚悟していたのに、手を握られた。
 ウサギの毛みたいに柔らかいだけじゃなく、力強い。


「どうですか? あたしと一緒に、高校に行きませんか?」
「わ、私、もう33、だよ……?」
「大丈夫ですよ。あたしがサポートしますから」
「でもでも……」
「思い出にもなりますよ。死ぬのにも必要じゃないですか」


 押しが、強い。
 タイムセール時のおばさんに匹敵する。


「ナギサちゃんなら、簡単に友達、作れるでしょ? 学校一のマドンナになって、楽しい青春をおくれるよ。私がいなくても……」
「なんで、そんな寂しいこと言うんですか?」
「いや、事実だから……」


 若いのは、怖い。私は、なじめない。


「あたしは、恵巳さんじゃないと、ダメなんです」
「私、じゃないと……?」
「一緒に死ぬんですよ? いっぱい時間を共有したいんです」
「でも……」


 邪魔じゃない?
 恥ずかしくない?
 関係者だと思われたくないでしょ。


「あたし、恵巳さんとが、いい」


 袖を掴まれて、上目遣いを、視界に流し込まれた。
 きっと、ナギサちゃんは、わざと懇願している。
 自分の顔が相手からどう見えるか、常に考えているはず。

 一緒にいる時間はまだ短いけど、理解した。理解してしまった。知れば知るほど、ドツボにハマっていく。
 かわいい子が、私に向けた、私のためだけの、かわいい仕草。

 頭の中で、カフェオレ入りの水風船が破裂して、脳細胞のひとつひとつに染み込んでいく。

 鳥海恵巳は、兎本ナギサに、弱すぎる。


「……うん。わかった」
「やったっ!」


 そして、次の日。

 発狂した。

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