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ステゴロとブレイクダンサー的なお話と宣伝

自分の琴線を津軽三味線ばりに、ベベン!と打ち鳴らしてくださる作品の、なんと多いことかと驚愕している今日この頃。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

例えば、ですよ。
カフェや公園のベンチ、電車やお店の中でや、通りをすれ違う人たち、または仕事中に至るまで。色んなところから耳に入ってくるじゃないですか。会話が。

当然それを皆さん頭の中に録音&保存してると思うんですけれど。
そして、録音したからには、再生もするし編集もするじゃないですか? 
・・・・・・しますよね? 

ここ面白かったな、とか。
ここは端折ったほうがいいな、とか。
ココからアッチへ繋げたほうが意味が分かりやすいな、とか。
実はこの会話には隠された意味が存在していて、とか。

って、ここまで書いてから、ちょっと危ない話と思われるんじゃないか?と心配になってきていますけど、安心して下さい。文明の利器は一切使っておりません。

この身ひとつ。ステゴロです。

で、私ですね。リアルではわりとよく、人当たりが良いとか、嫌いな人とかいないっぽいね、とか言われるんですが。

たぶん、上記みたいなことをやってるからだと思うんですよね。
受け取って一回分解して飲み込んで、みたいなことをしていると、結果的に人を嫌いになることが少ないと言いますか、分かるわぁってなりやすいと言いますか。

じゃあ何でネットコミュ症なのかって話ですけれど。頭から、もしくは心から言葉にする時、大抵の場合はフィルターを通して出すわけじゃないですか。

でも、これって文字じゃないですか。

言葉よりもさらにフィルターかかってますよね。幾重にもフィルターがかけられて、しかもそれは分解させないためのフィルターなわけで。分解出来ない、つまりはそれは、飲み込めない、というわけです(個人の感想です。あと実際には飲み込んでます)。

ただ、物語の場合は違います。
もちろんフィルターはかかっていたりするんですけれど、それは濾すためのものですし、読んでいけばどのフィルターがかかっているかも分かるし、分かれば飲み込める。だからこそ、読んでいて面白い!って思ったり、勝手に妄想してニヤニヤしたりと、飲み込む過程を楽しめる。

というか、フィルターを何重にも通してようやくこぼれ落ちる想いの粒。
そのファーストドリップを飲めるのが読書の醍醐味、面白さじゃないんですか!

つまりはですね、単純にもっとワガママでいいんじゃないですか?と。

作者はさ、自信をもってフィルターをかけろよ!もっと!
時間がかかろうが、伝えたいこと絶対読み解いてやっからよ!

っていう、ストロングスタイルな読者でいたいな、とそう思いました。

※なお、こちらは読解力を保証するものではございません。また、読み解き間違いに対するリスクマネジメントや改善点はございません。あらかじめご了承下さい。

ええ。なぜこんな話を書いたのかと言えば、それは当然、物語が書けていないからです。あと、なぜだか勝手にお題をいただいたような気がしたので。



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大正ギャル革命
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もしよかったら、ステゴロでいかがでしょうか?

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