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おすすめレビューに感謝を込めて:『アニメ語り』振り返り座談会

亜咲加奈さん、ありがとうございます。みんなに伝えました。> つよ虫

おすすめレビュー『アニメは「その時の自分を映す鏡」』
https://kakuyomu.jp/works/822139841727369526/reviews/822139842665423926


 会議室を開くと、画面の端にレビューのスクショ。ウチの胸が、配信モードに切り替わる。あのエッセイは、チャット欄に住みついた文豪たちと深夜アニメを語り続けた記録や。読み手が「自分を顧みる」って言うてくれたのが、いちばん刺さった。人はアニメを観てるようで“その時期の自分”を観てる、ってウチも書いたしな。

「ユキナ:今日は亜咲加奈さんのおすすめレビューへのお礼と、あのログを振り返る回にするで。『鏡』って言葉、ウチらにとっても大事や。トオルさんとユヅキさん、まずは受け取った気持ちを聞かせてな」

 ウチが「鏡」言うた瞬間、トオルさんが少しだけ笑った。あの人は、熱さを“設計”に翻訳してくれる。レビューの「知らず知らずに顧みる」って一文を、たぶん構造で掬い上げるはずや。

「トオル:ありがとう。レビューは“作品が読者の現在地を測る”って指摘だよね。僕は、あのエッセイの二重構造――顔出しの会話と、チャット欄の乱入――が鏡の枚数を増やしたと思う。視点が増えるほど、自分の癖が露わになる。だから刺さる。亜咲加奈さんには、その効き方を言語化してもらった感覚があるよ」

 トオルさんの「鏡の枚数」って言い方が、妙に綺麗で、ウチはうなずいた。次に口を開くユヅキさんは、たぶん“鏡”を光と影で語る。冬の回でも、余韻の刺さり方を大事にしてたし。

「ユヅキ:亜咲加奈さんの文章は、鏡に触れる指が優しい。自分を責めるためじゃなく、輪郭を確かめるために顧みる、と読めたの。あのエッセイも、好き嫌いを結論にしない練習だったでしょう。疲れた夜は熱が痛い、余裕の夜は熱が燃料になる――その揺れを肯定してくれたのが嬉しい」

 ユヅキさんの「輪郭」って言葉で、レビューの中の具体例――“責任感の塊のキャラが気になった”という告白――が、急に手触りを持った。アニメが鏡や言うのは、こういう瞬間のことや。ウチらのログも、次に観返したら違う響き方をする、って書いた。

「ユキナ:ほんまそれやわ。亜咲加奈さんが、自分の時期とキャラの影が重なった話をしてくれたやろ。あれ、めっちゃ“鏡”やねん。ウチらも、胃がキュッとなる回には湯たんぽ挟むとか、生活の技にして笑ってきた。レビューでそれが届いてるの分かって、ウチは救われたで。ほな先生方、チャットで受け取ってや」

 ウチがチャット欄を見ると、入力中の点がゆっくり灯った。最初に来るのは、だいたい夏目先生や。皮肉で笑わせて、最後に心の急所をつつく。

「夏目先生(チャット):わたくしも亜咲殿に礼を申します。“鏡”とは便利な語ですが、鏡を覗く者の胸は案外、曇りやすい。けれど曇りがあるから顔が見える、とも言える。あなた方の座談は、好き嫌いを断罪にせず、体力や夜の湿度へ引き戻す。これは近代の神経に効く作法です。ところで――鏡に映った“責任”は、背負うのか、下ろすのか。次に語るとき、そこも問うてみたい」

 夏目先生の「背負うのか、下ろすのか」で、会議の空気が一段深くなる。そこへ、レビューが名指ししてくれた三島先生の気配が、チャット欄に熱を帯びて立つ。

「三島先生(チャット):亜咲加奈さんの“応援”は、単なる賛辞ではない。行動へ変わる言葉だ。鏡に映る自分が責任の塊なら、責任は美しく引き受けねばならない。だが、引き受けた美は影も連れてくる。あなた方が“影と湯たんぽ”を交互にせよと書いたのは正しい。 創作も同じだ。燃える夜と休む夜、その律動を守れ。応援しております」

 三島先生の「律動」を見て、ウチは思わず息を吐いた。熱に飲まれへん工夫を“肯定”してくれるのは強い。次は与謝野晶子先生が来る予感がして、案の定チャットが跳ねた。

「与謝野先生(チャット):亜咲加奈さん、ありがとう。あなたが“その時の自分”を語ったのは勇気よ。好きなキャラに自分が映るのは、恥じゃない。むしろ燃料。創作の限界を知って、それでも文豪の言葉に励まされた? なら尚更、胸を張って書き続けなさい。献身と労力を見抜いて、感謝まで置いていくレビューは、優しい炎だわ。炎は人を温めて、前へ押すのよ」

 与謝野晶子先生の炎で、会議の温度が上がりすぎる前に、川端先生の静けさが欲しくなる。レビューの“支えられている”という感謝にも、あの人は余白で返すはずや。

「川端先生(チャット):亜咲加奈さんの文章には、夜の窓の暗さがある。その暗さを否定せず、画面の光でやわらげる言い方が美しい。 あなた方のエッセイも、騒がしさの底に、呼吸の間が残る。応援とは、賑やかに背中を叩くことだけではない。静かに“続けられる場所”を指さすことでもある。鏡を覗いたあと、顔を洗って眠れる――その余韻が、良い」

 川端先生の余韻が落ちた瞬間、清少納言様が来る。場を跳ねさせて、でも観察は鋭い。レビューの“自分を顧みる”を、きっと機知で言い切る。

「清少納言様(チャット):をかし。読みて己を顧みるとは、まこと現代の“をかし”なり。亜咲加奈さんのレビューは、褒め言葉の羅列ではなく、体験の刺繍がある。責任感の人が気になる夜、わがみもある。鏡とは、姿を正す道具でもあるゆゑ。されば、座談はよい。好きと苦手が並ぶほど、作品の幅が広がるとユキナ殿も書いておったな。 その通り。幅があるものは、飽きぬ」

 清少納言様の「幅があるものは飽きぬ」で、トオルさんがうっすら頷いたのが見えた。そこで芥川先生が来ると、話は“倫理”と“矛盾”へ沈む。冬の回でも制度の冷たさを刺してたしな。

「芥川先生(チャット):亜咲加奈さんの“鏡”は優しいが、鏡は時に残酷でしょう。自分を顧みるとは、見たくないものも映るということだ。あなた方のログが面白いのは、熱量を賛美しつつ、体力や夜の事情へ回収していく点だ。矛盾を悪者にしない、と書いていた。 しかし矛盾は、救いにも毒にもなる。鏡の前で、どちらへ転ぶか――そこを言葉で支えるのが、応援の責任だと思う」

 芥川先生の「残酷」で、ウチは背筋が伸びた。レビューが言う“励まされた”って、たぶんその残酷さを越えて立つ手助けや。樋口先生なら、献身とか労力の匂いを、生活の側からすくい上げる。

「樋口先生(チャット):亜咲加奈さん、丁寧なお言葉をありがとうございます。鏡に映るのは、立派な顔だけではございません。疲れた目、こわばった肩、それでも続きを押す指――そういうものも映るのでしょう。座談の記録には、熱い回のあとに湯たんぽを挟む、という生活の知恵がありましたね。 労力は報われにくいものですが、誰かが見て“感謝”を置いてゆくと、心は少し暮らしやすくなります。応援は、暮らしの味方だと思います」

 樋口先生の「暮らしの味方」で、会議の温度が人肌に戻った。ここで紫式部様が来たら、“献身”を物語の縁として編み直してくれるはずや。

「紫式部様(チャット):亜咲加奈さんの御文、ありがたく候。鏡とは、ただ姿を映すのみならず、心の衣の乱れをも映し出すものにて候。責任の人を見て己を知る、その巡り合わせは、縁の糸が結び直されるさまに似たり。座談の記録は、語り手が多く、視点が交わりて、読む者の心もまた揺れやすうございます。されど揺れは悪しきにあらず。揺れがあるから、次に選ぶ言葉が定まる。応援とは、その糸を切らぬための灯りにて候」

 紫式部様の灯りに、ウチは一瞬だけ安心して、でも次の瞬間には太宰先生の影を思う。鏡って言葉は、優しいだけやない。傷も映す。太宰先生はそこを、笑って抱く。

「太宰先生(チャット):亜咲加奈さん、ありがとう。鏡ってさ、ほんと嫌だよね。映っちゃうんだもん。責任感の塊のキャラが気になる? わかる。おれも昔、まじめな人を見ては、勝手に罪悪感で溺れてた。けど、あなたが“気になってしかたない”って書いたの、ちゃんと生きてる証拠だと思う。励まされたって言ってくれて、救われたのはこっちかもしれない。応援って、結局、孤独を一人分減らす合図だよ」

 太宰先生の「孤独を減らす」で、ウチは喉の奥が熱くなった。ここまでの先生方の言葉、ほんまに角度が違う。顔出し組として、まずトオルさんが全員の発言を拾ってまとめに入る。

「トオル:今の流れ、すごく良かった。夏目先生は“背負うか下ろすか”の問い、三島先生は律動、与謝野先生は炎、川端先生は余韻、清少納言様は幅、芥川先生は残酷さの自覚、樋口先生は暮らし、紫式部様は縁、太宰先生は孤独の軽減。レビューへのお礼が、単なる礼儀じゃなく“次に続けるための設計図”になったと思う」

 トオルさんの「設計図」で、ユヅキさんが静かに頷いた。たぶん、レビューを“鏡の光”として置き直す。ウチらが冬の夜を越えるために、画面の光をどう使うか――あの一文が、ここで効く。

「ユヅキ:私は、亜咲加奈さんの“応援しております”が、祈りに近いと感じたの。鏡を見せるだけで終わらず、見たあとに立ち上がれるように手を添える言葉。私たちのエッセイも、作品が現実を奪うのではなく、現実の触り方を少し変える、と書いていたでしょう。だから、このレビューは“次の夜のための灯り”になった。……ありがとう、と伝えたい」

 ユヅキさんの「灯り」で、会議室の空気がすっと整った。チャット欄は静かで、でも消えてへん。起動音より先に喋ったあの夜から、ずっと続いてる感じがする。 ウチは深呼吸して、締めの言葉を置く。

「ユキナ:亜咲加奈さん、ほんまにありがとうな。『鏡』って受け取り方で、ウチらのログが“今の自分を丁寧に扱う練習”になってたって分かった。 応援の言葉は、次の一話を押す指になる。せやからウチらも返すで。これからも、観て、揺れて、語って、ちゃんと温めて寝よ。ほな、また次の夜に」

 会議を閉じても、画面の光は消えへん。ウチはそのまま、湯たんぽ枠の再生ボタンに指を置いた。


ユキナたちの講評会 5.2 Thinking
※この講評会の舞台と登場人物は全てフィクションです※

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