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松虫について、少しだけ

おはようございます。あるいはこんにちは、こんばんは。
昨日、『松虫の頃、僕たちは『うそつき』だった』が無事に完結しました。
https://kakuyomu.jp/works/16818622175372705830
最後までお付き合いいただきました皆様、ありがとうございました。また、現在読んでくださっている皆様もありがとうございます。

さて、松虫。
実は結構紆余曲折ありまして、最初は吉彰に事件を解決させようと思っていたんですよね。でもよくよく考えたら吉彰が事件に積極的に介入する理由もなく。
なのでひびきに任せることにしました。ちょっとひびきだと理論立てて説明してくれないのでどうしたものかと思っていたのですが、なんとかまとまって良かったです。

今回の題材は、悩んだ題材でした。
読まれる方の中には、きっと被害者になったことがある方もいらっしゃるでしょう。私は別に被害者がみんな加害者になるとは思っていません。ですが、被害者が加害者になることはあると思っています。
私はそもそも仕事が仕事ですし、どちらが被害者でどちらが加害者とも決められない事案に遭遇したことは何度もあります。子供たちの言い分は自分の主観もあって、お互いに自分が被害者だと思っていることもあるのです。
ただ、犯人を同情できる人間にするつもりはありませんでした。
悪いことは悪いこと。罰を受けるべきことは罰を受けるべきこと。どんな理由であれど、人を殺してはいけない。そこにどんな理由があろうとも、「ならぬはならぬ」というものは、ミステリーを書く上で常に念頭に置いています。
だからこそ、今回の松虫は難しかったと思います。書き上げてから修正をする段階になっても、いつまで経っても迷いが消えないと申しますか。

珍しく能楽が少しだけ。民俗学に至っては皆無ですね。
『松虫』という演目の謡が好きです。以前舞ったことがあるのですが、舞の型も好きです。内容としては能楽にしては珍しい、同性愛か友情か、そんな内容なのですが。特段今回の松虫は同性愛を扱っているわけではないんですけれども。

加害者と被害者。
創作は人を救えるか。
そんなことをずっと考えていました。私は私の書くものがそれほど高尚なものだとは思っていませんが、いつかどこかで傷付いた人が、この物語を抱えて救われることがあればいいと思っています。

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