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壮大な弱音を吐いてみる話。

人生には、割とうまくいかないことがある。

先日、母と温泉に行った帰りに、車が事故を起こした。
幸い、怪我はなく、車に傷がついただけで済んだ。
運転していたのは母で、事後処理も母がやってくれているが、
もし修理などでお金が必要になれば、少しは出そうと思っている。
車を出してもらった身として、申し訳なさもあるので。

こういう、らしくない不幸は、
気持ちが少しふわふわしているときに起きる気がする。
で、なぜふわふわしているのか考えると、
大抵は「何かが終わって、次に進もうとしているとき」だ。

事故の少し前に、短編を書いた。
↓K.a.o.T.i.k
https://kakuyomu.jp/works/822139840645738630

祐里さんの誕生日に向けて僕なりに“可愛い”を書いたつもりだった。
要望通りにハッピーエンドでもある。
ただ、残酷である。

物語に“べき”はないと思っているが、それでも“あってほしい”物語はあると思う。
別にはき違えた訳ではないし、僕なりに真剣ではあったと懺悔したい。
書いて出してしばらく経ってから気づいた。というのが本音だ。

僕の強みは、前提として地に足がついた現実があると思う。
そこに飯テロなり、シュールギャグなりを組み込んで吞み下せるものを出すのがスタンダードだ。

今回、僕は少し下手だったのかもしれない。
ファンタジーやマジックリアリズムの境界だったり、ちゃんと世界を描写するだったり
そういう細かなことが今の自分には出来ていない。

↓巨影を擬く
https://kakuyomu.jp/works/822139836629420258

この作品もそうだ。
太平洋戦争末期から戦後にかけての時代考証や、
心理描写の薄さについてコメントをもらっている。
抱えたまま、まだ何も変えられずにいる。

↓ダジャレー・ヌーヴォー
https://kakuyomu.jp/works/16818093083217285986

金の卵をもらったのに、続きを書けないでいる。
思えばこの辺りから、長編が書けなくなった。

少し立ち止まっているが、
考えるのをやめたわけではない。
たぶん今は、次に進む前のふわふわした時間なのだと思う。
取り留めもなくなったし、吐き出して何が変わるかは分からない。
しかし、書いた作品に悩まされ続けるのも癪なので、一旦吐き出すことにした。

カクヨムコンの短編、半年分を全部投げたら十作になった。
半分くらい通ればいいかなと思っている。
後、五作はいきたいな。

2件のコメント

  • 私は鷹さんの熱がすごく好きです。
    熱こそが挑戦への力になるじゃないですか。
    大丈夫、そうやって真剣に考えられる人は次に進めますから!
    (なんかふわふわした言い方ですみません)
  • 祐里さん、コメントありがとうございます。

    さっき気づいたのですが、僕はきっと作品を通して女の子になろうと思ったのです。
    しかし、なれませんでした。
    ショックなのでしばらく寝込みます。
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