雨野うずめでございます。
本日投稿した『その後、紙の外で』をもって、『マルグリット・デュランと『ラ・フロンド』』は完結いたしました。
読んでくださった方々のお陰で、最後まで書くことができました。
本当に、ありがとうございました。
さて、少しお話をさせていただきますが……
(なんか、恒例になってきたなぁ)
元々のキッカケは、『ムッシュ・サムライの五年間』で、若者が将来の夢を語るシーンがあるのですが、それを書くにあたって、当時の若者の憧れの職業を調べたときでした。
当時は、典型的な女性軽視で女性蔑視だったようで、女性が社会に出て自立し、職につくなどは、なかなかに難しかったようです。
そんなことも分かりつつ調べていくうちに、たまたま見つけたのが『マルグリット・デュラン』という人物でした。
彼女は、国際フェミニスト会議を経て(第1話)、他のフェミニストと同様に、声高に権利を主張しようとはしませんでした。
『権利を主張する場を作る』『男性と同じことが女性でも可能であることを証明する』ということに尽力しました。
それが、記者、編集、管理、組版、印刷、配布まで女性だけで担い、金融、政治、スポーツ、連載小説まで扱った、女性が公共圏そのものを運営できることを証明した新聞『ラ・フロンド』でした。
これを知ったとき「なんて面白い人物がいたんだ!」と思い、小説のネタとして書き始めました。
そして、ただ実在した人物の半生を描くのでは、面白くないなと思い、デュランが『美しさと優雅さ』を武器として使用することを決めるキッカケのひとつとして登場させたのが『桐野さくら』という人物です。
『レースのフェミニズム』で、ハッキリと方向性を決めたのは史実通りなのですが(第28話)、その前のモヤモヤした状態だったときに、その感覚をゆさぶった人物を、意外性満載の『東洋の老女』にしたわけです。
あとは、史実で出来るだけ沿うような形で、物語を作っていきました。
改めまして、本作品を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
毎話の感想や応援の言葉に支えられ、最後まで書き切ることができました。
この物語が、皆さまの時間のどこかに小さく残ってくれたら嬉しいです。
また次の作品でお会いできるよう、引き続き書いていきます。今後ともよろしくお願いいたします。
おまけ
添付画像は、『新作を公開します』のときの画像を、加工したものです。
アルフォンス・ミュシャ風にしてみたのですが、いかがでしょうか。
最初は、単なる気まぐれで加工したのですが、実はアルフォンス・ミュシャの『ジスモンダ』がバズったのが1895年、『レースのフェミニズム』を出したのが1899年。そして、アルフォンス・ミュシャは1910年に故郷のチェコに帰っています。
「もしかしたら、ワンチャン遭遇していたかも?」なんて考えると、ワクワクしません?(笑)