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文字読むのって面倒だよねって話

こんにちは、沁十レンナです。
なんか最近いい感じにこの名前が馴染んできたなって感じで結構気分上がってます。

さて、まず...ここまで文字読むのってさすがに疲れないですよね?でも、今書いてる小説や他の近況ノートの書き込みって結構な文字量があると思うんです。
つまり面倒くさいって話です。そもそも文字を読むって結構疲れる行為なのに、小説なんて書いて読んでの生き地獄フィーバーですからね。

あと、好きな言葉ってあります?
自分はめっちゃあります。それも著名も一般もさりげない日常の中でも...まあ気にすればするほど、いい言葉なんてそこらへんに落ちてるわけです。小さい頃は道端の石ころにあんなに興味津々だったのに、今じゃ見向きもしないでただの道だと認識している。何も小さい頃の感情が絶対正義なんてくどいことは言いたくないですが、とりあえずいつもの日常に、どうしようもない日常の中に言葉は溢れてるわけです。そして、その言葉に異様に敏感であったり、それを思わずどこかに飾っときたくなる。

そんな、ありふれた日常から言葉を拾い上げることが仕事なのが小説家だと思います。理由はどうであれ、言葉を拾ってそれをどう飾るかどう見せるか。あの人に届いてほしい、みんなにわかってほしい。言葉にするなんて疲れることばっかりなのに、それを紡ぎ出そうとしてるわけです。

「言葉なんていらない」なんてかっこいいセリフありますけど、結局はその裏には何かしらのメッセージがある。結局のところコミュニケーションってのは必然的に生まれてるわけです。言葉を扱うってのは必須科目だったわけです。

それでいて、自分は言葉を習得するためにたまたま選んだのが小説だった。こんなん、なんでもいいんです。小説じゃなくても想いは十分伝わります。

「しばらく会ってない友人から、花を渡された」

例えばこれだけでも、見えない言葉や想いなんてものが無数に見えるわけです。
そしてこの余白は何よりも優しい。だから自分も余白だけ伝えといて、そのままふらっと遊びに行きたいなとか思うんですが、言葉足らずだとかもっとわかりやすくしろだとか...せっかく言葉を省いても、それが伝わらない場合もあります。

だから、面倒でも誰かと関係を作るんです。
家族だとか友達だとか会社の人だとか...色んな繋がりが線としてあって、その時に初めて言葉がなくても伝わることがある。つまり余白を使うのってのは、面倒なことベースで成り立ってるわけです。面倒ってのは人間関係諸々のことを指します。

自分だけわかる入り口なんても素敵ですが、みんなにわかって欲しいなら何かしらの表示をしないといけない。それが自己表現なんです。

そして、今ここまで読んでる方。思いませんか?

「文章長いな」

ええそうです。
伝えたいことってどうしても長くなりますよね。だからこそ、今までの自分の物語を読んだ方にはだけには、もっと少ない言葉で語れます。


「沁十レンナの小説を読んでくれて、本当にありがとう」


それでは、ここまでお付き合いありがとうございました。
今も絶賛執筆中なんでご期待ください。


それでは。

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