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『お前ら全員狂ってる』明日香編・制作後記――「普通」ができなかった明日香について【ネタバレあり】

※ここから先は第1章「春みたいな生活」〜第7章「ふと」のネタバレを含みます。

まだ明日香編を読んでいない方は、
ぜひ本編を読んでから戻ってきてください。

それでは、
明日香という女の子について少しだけ。

明日香を、どう見ましたか?

明日香編を最後まで読んでくださった方へ。

皆さんには、
明日香がどんな女の子に見えたでしょうか。

怖い。

面倒くさい。

かわいそう。

理解できない。

それとも、

少しだけ、わかってしまったでしょうか。

明日香編では、

本人が自覚していない発達障害。

蓮の浮気によって生まれた恋愛のトラウマ。

そこから激しくなっていく束縛。

そして、
お互いに傷つけ合いながらも離れられない二人の関係。

いくつもの問題を描きました。

そして実は、

本編では十分に触れきれなかった明日香の背景もあります。

母親から育児放棄を受けたこと。

児童養護施設で育ったこと。

それらも含めて、

私が書きたかったのは
「問題を抱えた女の子」ではありません。

明日香という、
一人の人間でした。

「なんで私は、みんなが普通にできることすらできないんだろう」

これは明日香を書くうえで、
ずっと根底に置いていた感覚です。

明日香は、
自分に発達障害があることを知りません。

だから、
自分の生きづらさにも名前がありません。

その感覚をわかりやすく出したのが、
コンビニでのアルバイトです。

ちゃんとやろうとしている。

覚えようとしている。

次は失敗しないようにしようと思っている。

それでも、
うまくいかない。

周りの人が普通にできていることが、
なぜか自分にはできない。

理由を知らない明日香には、

「私はこういうことが苦手なんだ」

ではなく、

「なんで私は、みんなが普通にできることすらできないんだろう」

としか理解できません。

そして、もう一つ。

色紙に小さなビーズを一粒ずつ貼りつけて、
蓮と明日香、二人のイニシャルを作る場面。

あそこにも、
同じ明日香を入れています。

明日香が欲しかったものは、
そんなに特別なものではありません。

普通に働きたい。

普通に誰かを好きになりたい。

恋人らしいことをしたい。

好きな人とくだらないことで笑って、

普通に幸せになりたい。

あのビーズは、

そんなありふれた「普通」の象徴でもあります。

でも明日香には、

その「普通」が難しかった。

初めて「私にもできる」と思えた場所

そんな明日香が、

初めて
「自分にもできることがある」
と思えたのが、キャバクラでした。

明日香は未成年です。

当然、
そこには別の問題があります。

ただ、明日香にとっては、

コンビニでは失敗ばかりだった自分が、
初めて評価された場所でもありました。

人と話す。

笑わせる。

距離を縮める。

「また会いたい」と思ってもらう。

そして、
指名される。

「私、これ得意かもしれない」

明日香は初めて、
そう思えた。

もちろん、

「発達障害がある人は夜職に向いている」

という話ではありません。

特性も得意不得意も、
人それぞれです。

私が書きたかったのは、

「仕事ができない」という評価は、
本当にその人自身への評価なのだろうか、

ということでした。

環境が変われば、

「できない人」だった人間が、
誰かから必要とされることもある。

本編では描ききれなかった、明日香の家庭

明日香は、
母親から育児放棄を受けています。

そして、
児童養護施設で育ちました。

この部分は、
本編では十分に触れきれませんでした。

でも、

明日香という人間を作るうえでは、
大きな背景の一つです。

ただし、

「母親に育児放棄されたから、明日香はこうなった」

という単純な因果関係にはしたくありませんでした。

そして、

「施設育ちだから愛情を知らなかった」

とも書きたくありませんでした。

なぜなら、

明日香のことを見てくれていた大人は、
ちゃんといたからです。

「よかったね」と言った大人

これは、
本編には出てこない話です。

明日香を育てた児童養護施設の人たちは、

彼女が未成年でキャバクラで働いていることを知っていました。

そして明日香が、

「今日、指名入った」

「私に会いに来てくれた」

と嬉しそうに話したとき、

施設の人は、

「よかったね」

と言っています。

論理的に考えれば、
間違っているのかもしれません。

未成年なのだから、

大人なら止めるべきだったのかもしれない。

でも私は、

この「よかったね」という言葉が好きです。

施設の人たちは、

明日香が何度も失敗して、

「また怒られた」

と帰ってきた姿を知っています。

普通にやろうとしているのに、
なぜかうまくいかないことも知っている。

そんな子が初めて、

「自分にもできることがあった」

と笑った。

だから、

「よかったね」

と言った。

正しい言葉だったのかは、
私にもわかりません。

ただ、

そこには確かに、

正しさより先に、
目の前の明日香に寄り添った優しさがあったと思っています。

社会的に正しいことを教えるだけが、
人に寄り添うことなのか。

正しくない道を歩いている人には、

その途中で見つけた喜びにさえ、

「よかったね」

と言ってはいけないのか。

私は、
そう簡単には決められません。

明日香は、
母親から与えてもらえなかったものがあります。

それでも、

明日香の人生に、
優しい大人がいなかったわけではありません。

蓮の浮気と、明日香の束縛

そして、

明日香と蓮の関係が大きく変わっていくきっかけの一つが、
蓮の浮気です。

明日香は蓮を好きだった。

だからこそ、

裏切られたことで、

「またやるんじゃないか」

という不安が生まれる。

失いたくない。

もう裏切られたくない。

その不安が、
少しずつ束縛に変わっていきます。

確認する。

疑う。

行動を知りたがる。

離れないように縛ろうとする。

でも、

縛れば縛るほど、
二人の関係は苦しくなっていく。

もちろん、

浮気をされた人が束縛するようになる、
という話ではありません。

これは、

明日香という一人の人間の話です。

そして、

明日香の束縛に理由があるからといって、
それが正しいわけでもありません。

理由があることと、

許されることは、

別だと思っています。

傷つけ合うのに、離れられない

明日香と蓮は、

お互いを傷つけます。

言葉でも傷つける。

暴力でも傷つける。

激しく喧嘩する。

もう終わりだと思う。

それなのに、

しばらくすると、
また一緒にいる。

笑っている。

飯を食っている。

また恋人に戻っている。

第三者から見れば、

「なんで別れないの?」

と思う関係です。

たぶん、

正論だけなら簡単です。

傷つけ合うなら、
離れればいい。

暴力があるなら、
別れればいい。

でも、

二人にとっては、
そんなに簡単ではない。

嫌いだから傷つけているわけではない。

むしろ、

好きなのに傷つけてしまう。

傷つけられたのに、

楽しかった時間も知っている。

二人で笑った時間も、

くだらない話をした時間も、

好きだった相手の顔も知っている。

だから、

「この人は自分を傷つける人だから離れる」

だけでは割り切れない。

私は、

その歪さも書きたかった。

蓮は、自分を「DV被害者」だと思っていない

この二人を書くうえで、
特に難しかったのがDVでした。

第三者から見れば、

怪我をするほどの暴力がある時点で、

「それはDVだろ」

と思うかもしれません。

警察に通報するという選択肢だってある。

でも蓮は、
そうしません。

負けん気の強い蓮の性格もあります。

ただ、

それだけではありません。

蓮自身が、

「自分はDVを受けている」

と認識していなかったからです。

蓮にとっては、

「彼女からDVを受けた」

ではなく、

「明日香と喧嘩した」

でした。

ここには、
私自身の実体験も参考にしています。

もちろん、

すべてのDV被害者が同じではありません。

ただ、

外から見れば明らかに大事でも、

当事者にとっては、
「喧嘩の延長」として認識されていることもある。

蓮は言い返します。

怒ります。

負けたくないと思います。

そして、

大喧嘩をした相手と、
また普通に笑っています。

だから、

蓮の中にある「DV被害者」というイメージと、
自分自身が結びつかない。

当時の蓮に、

「お前、DV被害者だよ」

と言ったとしても、

たぶん本人が一番、

「俺が?」

と思ったはずです。

DV被害には男女差があります。

一方で、

公的な調査を見ても、
男性の被害は決して珍しいものではありません。

そして、

被害を受けても相談しない人もいます。

もちろん、
その理由は一人ひとり違います。

でも、

その中にはきっと、

蓮と明日香のような二人もいる。

自分が被害者だと思っていないから、

助けを求めるという発想そのものがない。

外から見える関係と、

その中にいる二人から見える関係。

そのズレも、

明日香編で書きたかったことの一つです。

明日香を「かわいそうな女の子」にはしたくなかった

明日香には、
つらい背景があります。

でも、

「こんな過去があるから仕方ない」

とは書きたくありませんでした。

傷つけられた人間が、
必ず優しい人間になるわけではない。

つらい過去があるからといって、

誰かを傷つけることが許されるわけでもない。

でも逆に、

誰かを傷つけた人間だからといって、

その人が傷ついてきた過去まで、
なくなるわけではありません。

明日香は、

被害者でもあり、
加害者でもあります。

そして蓮もまた、

綺麗な「被害者」ではありません。

二人とも傷ついて、

二人とも間違えて、

二人とも相手を傷つける。

それでも、

一緒にいると笑う。

人間は、

加害者か、被害者か。

善人か、悪人か。

正常か、異常か。

そんな綺麗な二択には、
なかなか収まってくれません。

だから私は、

明日香を「かわいそうな女の子」にしたくありませんでした。

同時に、

「狂った女」の一言でも、
片づけたくありませんでした。

理解することと、
肯定することは違います。

明日香の行動を肯定できなくても、

「なぜ?」

と考えることはできる。

明日香編では、

その「なぜ?」のところまで、
書きたかったのだと思います。

まだ、本編には出ていない明日香がいます

実は明日香には、

本編では描かなかった設定やエピソードが、
まだいくつもあります。

児童養護施設にいた頃。

施設の大人たちとの関係。

夜の世界に入った頃。

初めて指名をもらった日。

蓮と出会う前の明日香。

中には、

そのまま一本の番外編にできる話もあります。

全部ここで説明してしまうより、

いつか明日香自身の物語として、
書いたほうがいいのかもしれません。

明日香編を読み終えた今、

皆さんには、
彼女がどんな人間に見えているでしょうか。

怖かった。

腹が立った。

かわいそうだった。

理解できなかった。

それとも、

少しだけ、
わかってしまったでしょうか。

どれでも構いません。

むしろ、

答えが人によって違っていてほしい。

明日香を、

「こういう人間だった」

と一言で説明できなかったのなら、

私が書きたかった明日香は、
少しは書けたのだと思います。

そして、

本編では描かなかった明日香を、
もう少し見てみたいと思ってもらえたなら。

いつか番外編で、

もう一度、彼女に会いに来てください。

――綾瀬凪

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