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次に投稿するエッセイについて

こんにちは。お世話になっています。
みなさま、お正月をどうお過ごしでしょうか。近頃は、とっても空気が冷たいですね。

先日、熊についてのエッセイを書きました。
そんなに楽しい内容ではなかったと思いますが、それでもたくさんの方にお読みいただいたこと、とても感謝しています。

でも、思い立って筆をとり、2時間くらいでばーっとこれを書き終えてからも、思考がぐるぐる回りつづけてなんだか落ち着かない。

そこで、先日のエッセイの続き、これを一段階掘り下げたものを、たぶん近日中に投稿します。

でも、次に投稿するものは、おそらく多くの人にとって、そんなに面白い内容にはならないんじゃないかなーとも思うのです(もちろんぼく自身は面白がって書くのですが……)。

なので、というか、変な話なのですが、もちろんお読みいただけるととても嬉しいのですが、無理してお読みいただかなくても……(ボソボソ)。
ということを、あらかじめ書いておきたいと思います。

というのも、これを読むと、たぶん誰かが傷つきます。

もしもぼくが有名人だったら『あいつは頭がおかしい』とかいわれかねない気もしています。
もうすでに『つきかげさん? あの人頭おかしいよね』みたいに思われてるかもしれませんが……。

おそらくみんながうっすら思っているけれども、誰も書かない、書けない、言葉にしない、掘り下げないもの。なぜなら自分も含め、誰も喜ばないから。

でも今この瞬間に誰かが書いておかなくてはいけないものだとも思うので、書きます。

みんなが当たり前に考えて、とっくの昔に結論を出したようなものを、ああでもないこうでもないとこねくり回しているだけのような気もしますが……。


最近、少し自己分析をしてみました。

いままでも少し感じていたのですが、ぼくがやっていること、ぼくの興味のあることなんかはいつも、

『みんなが楽しく踊っているときに、群れからはずれて、夢遊病者みたいにふらふらと歩いていって、ひとりでその部屋がどういう構造なのかチェックしている』

みたいなことだったりするのかなあと感じます。

それでも面白がってくれる方がいるのは、とても嬉しいです。

でも、基本的には誰も喜ばないし、誰も注目しない。

みんなが楽しんでるときに水を差すなよ、と言われても仕方がない。

スタッフに怒られるかもしれない。

でも、たとえばいきなり停電が起きたときなんかに、ひょっとしたらそういうことが役に立つかもしれないと頑なに信じている。

しかも、少なくともぼくたちが生きている短い時間のなかでは、そういった停電みたいなことは起きない可能性が高い。

それなのにどうしてこういう思考になるかというと、たぶんぼくは、自分の人生において、自分が死ぬことなんかは大したイベントじゃないと本気で信じているからなのでしょう。

自分の書いている小説をAIに読んでもらうことがあるのですが、最近、楽しいエンタメを書いたはずなのに、死生観が独特過ぎるという分析をもらいました。

それでなんとなく、腑に落ちたのです。

そういうフィルターを通して世界をみつめた、あまり喜ばれないと思われるエッセイを、近日投稿すると思います。

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