第15章に出てくる「テッコ嶋」のモデル。
父子《ててこ》嶋伝説。
「水城を造る時は、近隣の多くの農民達が動員されました。
その農民の中に大里(大利)の里に住む父子がおりました。
来る日も来る日も続く連日の作業に身体は疲れ切っておりましたが、
きょうもモッコに土を入れて土塁の近くまで運び続けていました。
そんな時「土塁が出来上がったぞう」という歓声が聞こえてきました。
その声を聞いた途端に体中の力がいっぺんに抜けてしまい、担いでいた土を全部投げ出してしまいました。
するとそこが「土まんじゅう」のように盛り上がりました。
それからここが父子嶋と呼ばれるようになりました」
(「大野城市史 民族編」より)
父子嶋のある場所は、JR水城駅の西側で、水城の西門から北へ100メートルほどの所です。
この盛り土がなんの用途で造られたのかはわかっていません。
水城東門の近くには、この父子嶋とよく似た「ひともっこやま」というものがありましたが、そちらは現在では残っていません。
