前にも一回書いたんですが、
いや本当にスポーツの素敵さは誰よりも私知ってるのです
ゆえに現実のスポーツを崇拝しているのです。
スポーツの素晴らしさを広報担当のように書くことは小説には出来ますが、
小説は好き勝手に何でも書けます。
それが小説の魅力ではありますが、
スポーツは私の中では「思い通りに行かないのが魅力」なのです。
思い通りにならない運命を、受け入れたり、受け入れなかったりする競技がスポーツなのです。
つまり諦めたり諦めなかったりする。
小説の中で優勝できないことを諦める辛さ。
それは簡単に書けますが、
実際の辛さは悪夢にうなされるような、
一生の記憶の傷になるような辛さなのです。
これは創作では描き切れない領域なので、
う~~~~~~~~~~ん。
やっぱり駄目なんですよ私はスポーツものの小説は……。
読めないんだ 都合がいい書き方してんなーって思ってしまうから。
プロの物ですら、私はスポーツ小説とか漫画とかほぼ読めないのです。
圧倒的な読んだ時の「うん、まあ、こんなことスポーツにはよくあるよ」
辛い過去を持ちながら選手になるとかも、世界中の現実のアスリート見てると本当に凄まじい所で生きてきた人や、家族の運命全て背負ってプロの世界に入って来てるような人、実は山ほどいるのです。
一人一人の背景が本当に現実の彼らは凄まじく、個性的で、決して「凄絶」とか「貧しさ」の意味だけではないけれど、色んな運命に導かれて才ある人たちが努力してなっていることが分かります。
それが現実だから、スポーツは凄いのです。
厳しいことを言うと、フィクションであるだけで、スポーツものはもはや凄くないのです。
スポーツに関しては現実が一番凄まじいです。
創作は及ばぬ、奇跡のような展開が日々星の瞬きのように起きています。
人の想像で生み出せる「話の展開」など、そういった天の視点からではたかが知れていると言っていいでしょう。
前にもこのこと一度書きましたが「こういうスポーツあるんだよ」という、広報担当としては小説や漫画などは有効です。それは意味も価値もあると私も思いますが、
創作のスポーツが現実のスポーツにおいて価値が勝るということは絶対にありません。
スポーツ愛を夢中で話してると本当に「じゃあ〇〇(スポーツ漫画など)も好き?」とか聞かれることあるんですが、「いや全く興味ない!!😊💢」っていつも即答します!
というかその質問の意味が分かりません。
スポーツが好きならスポーツを見ればいいのです。現実の。現実のスポーツをがっつり見ていたら創作のスポーツなんぞ見ている時間は心身ともにありません。不必要です!!
ではなぜ、創作のスポーツを見る分類の人間がいるのか?
これも前話しましたが、
要するに スポーツは思い通りに行かない のが真骨頂です。
つまり「こうなって欲しい」とファンが思っていてもならないことがほとんど。
自分の望み通りに行かない展開にストレスを感じる人間がいるのです。
我慢強くないとでも言いましょうか。
スポーツ好きなどと言っているのに点入らない試合だと「つまんないなー」とか平気で言う奴とかおりますでしょう。
しかし点入らない試合でも白熱する試合はありますし、私などは一瞬一瞬の「プレー」を見ているので勝敗よりももっと深い所にたくさんの期待をしてみているため、つまらないとあまり思いません。
勿論見終わった後に総括として「今日の試合はつまんなかった」はあるけれど、
これは前にも申した通り「流星群が飛来する日、流星を待ち構えて見なかった時に、貴方は怒る人か怒らない人か?」と同じなのです。
スポーツを見ていると観客が映りますね。
いわゆるそういうつまらない試合、負ける試合、最悪の展開の試合……。
スポーツは起こります。
私は感心することがあるのです。
小さい子供がそんな試合を、最後まで嫌がらず見てるのですよ。
大人でも怒ったり泣きたくなるような試合を、子供たちも同じようにストレスを感じて見てる。
普通小さい子供なんか嫌なことあったら「もうあんなの見たくない!! ヤダヤダ!!! つまんないよ!! 家でゲームしてたい!!!」とかなりませんか!?
なのに海外クラブのサポーターの小さい子供ってまた次の週にも見に来ているのです!!
驚きます!!
何故なのか。
【酷い負け方もするが、素晴らしい勝利もある】
からなのです。
大人と全く同じ考え方、運命の受け取り方を彼らは出来るのですね。
子供が最も出来ないことが我慢することですが、
どう見ても5歳くらいの子が嫌な展開から目も反らさず「ヴー💢」って感じで涙目で試合終了まで我慢しながら見てる姿本当に感動するのです。
スポーツ好きと言ってもこうしてやはりレベルがあり、
「例え自分の望みとは違う結果になっても、誰も恨まない。受け止める」
という人が愛好家としては最強の人です。
私はこの種であり、
つまんない試合も酷い試合も、何でも見ます!!😊
でもそれは、愛するクラブや選手たちが、日々自分の身体を投げ出して鍛え戦っている彼らが必死に戦っても、どうにもならなかった結果、運命だからなのです。
酷い結果を享受するのは、「選手たちはもっと辛いはずだ」と彼らへのリスペクトがあるから。
こういうことで、スポーツにおける悪しき運命も、見ることが出来る。
創作のスポーツは所詮、作家が頭の中で考えた都合のいい展開、夢物語を押し付けて来るものでしかありません。
私にとってはね。
だから私は創作スポーツものを読まないのです。
そんなものを見るくらいなら一秒も逃がさず、
現実の、
シナリオもない、
苦しくも楽しい運命を戦っている現実のスポーツを見てあげたいのです。
創作スポーツを書く。
その中で選手の苦しみなどを書く。
それは確かに「キャラの苦しみを描く」ことにはなっています。
でも現実のスポーツを愛好する私からすると、創作で現実のスポーツの辛さを描いたとして「それでスポーツ選手の実際の苦しみを描けた、描き切ったと思うのは、創作者の傲慢でしかない」と思います。
要するに、創作スポーツは非常に難しいジャンルなのです。
よく創作スポーツの評価は二種類に分かれます。
一つが①「実際のスポーツのアクションをよく描写出来てる」
もう一つが②「アクションよりも人間関係中心の描写をしている」
お好みはどっちでも私にとってはもはやどうでもいいんですが、
でも思うのです。
①はスポーツ好きとかには非常に高評価を受けるのですが、私は全然心に響きません。そもそも創作でスポーツを見たいと全く思わないので、お前がリアルに描写できようが出来まいが、作者の評価でしかなく、スポーツ自体を論じていないのです。
そこまで作者に思い入れ無いので、そいつがスポーツの描写を上手かろうが上手くなかろうがどうでもいいのです。
どんだけ上手かろうが、所詮創作ですし。
現実のスポーツの描写の凄さなど、書ききれない。
現実のアスリートのアクションの美しさなどは。一瞬一瞬の刹那などは。
だったら私は②に力を入れる作者の意図の方が分かりますね。
創作スポーツを書きたいと思った事すら皆無なので分かりませんが、もし人質を取られてやむを得ずどうしても書かなければならない運命になったら私は②で書きます。
そもそも①は書いても書いても到達できない神の領域です。
しかし②は人間関係を書くわけですから、一応は多分書けるでしょう。
しかし②がよく批評として言われるのは「スポーツ描写が足りない」ということです。
私としてはどうでもいい批評です。
そんなに人の作品を見て「スポーツ描写足りない」などと言うのならば現実のスポーツ見ればいいじゃねえかと思うだけなので。
このように創作スポーツは非常に概念が難しいのです。
【スポーツですらない】
という部分が真理かもしれません。
広報としては使えますが、
スポーツそのものが炎なら、創作スポーツは絵にかいた火です。
努力の一点で分析するなら、ひたすら作者の書いた努力だけが評価されますが、
私は創作スポーツ書く作者を賛美するくらいなら現実アスリートを遥かに賛美したいので、全くそこは別物なのです。
現実スポーツが大好きだからこそ、私は創作スポーツが見れません。見る気がしないのです。
どれだけ描いても現実スポーツの凄まじさには創作スポーツは勝てません。
異世界ファンタジーにも勿論そういう要素はあるのですが、
創作スポーツほど率直にその及ばぬ領域がはっきりと浮き出てしまうものはないです。
それでもなお創作スポーツを書く人や読む人が、何故いるのか。
それは現実スポーツの【思い通りに行かない】という部分にストレスを感じる人たちが、創作スポーツならば「最後の最後は物語として、感動させてくれる」という小手先の安心感に縋っているからなのです。
だから現実のスポーツより創作スポーツが面白い、と思う人がいる。
考え抜かれたシナリオがある。
分かりやすいキャラクターがいる。
感動的な展開がある。
「所詮創作だから、そこまで感情移入しないで済むから」
なのです。ある意味。
現実スポーツには本当の地獄があります。
起こります。
創作スポーツでもそれは書けるでしょう。しかしそれは永遠に「現実スポーツの模倣」でしかありません。
人の数だけスポーツ事情があります。作者一人が頭の中で素晴らしい展開を考えた! と思い込んでいても、私のように多ジャンルのスポーツを日々愛好している人間からするとある時点で何を見ても「ああ、こんな展開あのジャンルのあの選手がもう経験しとるわ」と思うようになってしまったのです。
現実と創作が相まみえたら、絶対的に現実が質量において説得力があり、熱があります。
決して勝つことはありません。
決勝で勝敗が分かれます。
優勝者には金メダル。
準優勝者には銀メダル。
どっちも素晴らしいです。
しかし銀メダルを受けた選手は悔しかったから、もらった銀メダルをすぐに首から取って「欲しいのはこんなのじゃない」という気持ちを露わにしました。
それを見た人たちの中に「銀メダルだって価値がある。嫌がるなんて見苦しい」「礼儀正しく首から掛けておくべきだ」「不満をあらわにするべきではない」などと言う人たちが出て来ます。
私はほっといてやれ!!!!😇💢💢
と思います。
必死に戦って、あと一歩で優勝出来た場所で、出来なかった。
出来なかったことをまざまざと実感させる銀メダルを、すぐに受け止められない人間だっているし、それは人それぞれでいいだろう! と思うのです。
だけどそんな場所でも、そんな凄まじい苦しさでも「表に出すな」と現実のアスリートは無茶な要求をされたりするのです。
彼らは色んなものと日々戦ってるんだなと実感するのです。
思い通りに行かない展開に忍耐できない人が創作スポーツに縋るのです。
都合のいい展開を書けるから。読めるから。
その弱さは私も理解出来ます。それほど、辛い展開も現実のスポーツは起こり得ますからね。全然毎日のように起こります。
しかし私はそんな気遣いなど無用!!!!!
容赦なくどんな試合だろうとレースだろうと見せてくれ!!!
どんな辛い展開だろうと、受け止めるし!!
辛い展開もあるけど、
だからこそ創作などでは到底描き切れない、
信じられない喜びが、現実スポーツでは見れます!
私は流星群が降り注ぐその日に、例え流星一つも見れなくても全く怒らぬ人間であります!!
大好きな選手が活躍しなくても、出場出来なくとも、
好きなクラブが勝てなくても、負けても、
全く怒らぬ人間であります。
そういうこともある!!
これです!!
しかしいつかきっと、夜空を見続けていれば、
眩しいほど降り注ぐ流星を見る日も訪れるでしょう!
人間の力で制御され演出された創作スポーツなど、
私には不要です!!
あれは慰めなのです。
慰めなど全くいらん!!!!!!!✨
今日も思い通りに行かない現実の質力で私を殴りつけてくれスポーツよ!!!
です!!
思い通りに行かないこと、
実は私は大嫌いです!!😊
突然予定入れて来る奴とかほんと許せません!!
何から何まで自分の予定通りにするのが大好きな性分です!!
しかしスポーツになら、どれだけ思い通りに行かないことを見せられても構わん!!
それは、私にとって思い通りに行かない展開でも、
その裏側で、きっとそれは誰かの思い通りだから。
誰かの願いが叶った瞬間のはずだから。
現実とはそういうものだから。
いつか私の願いも叶う瞬間は必ず来るから。
運命を受け入れるという、器の広さを私に教えてくれたのはスポーツ師匠なのであります!
私は創作を使って、私が望まない運命に抗い戦い続けて来ました!
スポーツだけが望まない運命でも納得して受け入れさせてくれる。
素直でない私が唯一努力もなく素直になれるのがスポーツだけなのです。
だから【私にとっては】スポーツに創作など不必要です!!
それだけは作り物に、してほしくないのです。
スポーツよ
ひたすらの現実の、鮮やかさであれ!!🎉
何が言いたいかと言うと、こういうことで宗教上理由で私は一切創作スポーツを見ない主義です。見たくない主義です。
素晴らしい作品かどうかは創作スポーツに関してだけは一切関係ありません。
きっと創作スポーツとして素晴らしい作品もあるんでしょう!!
しかしこればかりは【好み】。
縁が無いということなのでしょう!
こういう作品は私以外の、創作スポーツ全然抵抗なく読める人同士が集まって、読んであげてください!!
申し訳ない!! これだけは私は本当に宗教上の理由で読みません!😊 すまんな!
私は自分の作品大好きだし自分の作品この世で一番素晴らしいな! とも瞬間的には思っているのですが、実は自分の作品なんて全く大したことないな!!✨とも思っているのです。
しかしそれは、他人の話を相手にして思ったことは一回もありません。
そうではなく、私は現実の世界で起ることが一番凄くて一番迫力があり一番質量がある、と思っているから「創作など」という考えが生まれるのです。
現実世界で起っている凄まじさや、素晴らしさに比べたら、
私の作品なんぞ創作に過ぎず、全然大したことない!! って心から思います。
ですが、だからこそいいのです!😊
永遠に敵わない圧倒的なものがあるからこそ、いくら書いてもいくら書いても書き足りません!! だからこそ書く闘志が湧いてくるのです。
そして現実を大切に出来る。
現実で何か素晴らしいものを見ると、創作でもこんなすごいものを書いてみたい!!と無性に思います。
私はいつでも、最大の目標は現実の凄まじさや素晴らしさに、限りなく近い所まで、人間の感情や心情を文字や物語で生み出すこと。
その為には小手先のやり方では絶対に現実には敵いません。
全身全霊で現実の凄さを浴び、全身全霊で書かねば!!
だからこそ創作は、私にとって何よりも全身全霊で向き合える、そういう奥深いものなのだと思います。