【実感】が素晴らしいの分かった。
じゃあそんなお前の話はちゃんと実感を書いているのか?
そう思われる方もいるでしょう。
勿論!!!!!
実感無き者は去れ!!! と書きましたが、これは私が私自身にずっと言い続けて来た言葉なのです。
私は長らく、自分の書いてる話を「下らない」「価値がない」と言われ続けて来ました。
そんなことはない!! と心の中ではいつも言い返して来ましたが、
もし私が実感も籠ってない空虚な空想話を書いたら、
もはやそいつの言ってる「下らない話を書いている」「価値がないことをしている」ということを、自分自身で肯定してしまってます!!
そんなことにするわけには絶対行かないのです!!
だから色んな面で私は作品に実感を込めています。
だから、お遊びじゃない話になっていると言っていい。
【ジグラート】は、ネーリが祖父が亡くなった後、教会の世話になりながらも、特定の場所に留まらず(迷惑になるので)、ヴェネト中を歩きながら、スケッチを描き続けたという設定があります。
このネーリの「何があっても描き続ける」というのは強い私の実感があって、
私が夢中で話を書いていると、いつもいつも嫌がらせをされました。
貶され、やめろと言われ、軽蔑した目でいつも見られる。
とにかく話を書くのなんて下らないからやめろと。
子供の頃からずっと、罵られ無視され見下されました。
でもそんなの関係なかったです!!!
他のことは何か言われるとすぐ落ち込んで、「ハイ……」って言って従って、言い返したり反抗出来ない子供でしたが、
創作してる時だけは別でした。
楽しすぎて、このたった一つの楽しいことを奪う奴は、敵だ!!!💢💢って立ち向かえたのです。
ネーリは当時の私より余程感性が優しく柔らかいように描いていますが、
「これ以上書くなら、お前どうなっても知らないよ」
そう子供が言われた時に、私は怯えませんでした。
嫌われようと殴られようとどうでもいい! って思った。
ネーリが独りになっても、
城にいられなくなっても、
家が無くても、紙と木炭だけ持って、旅をして描き続けた。
誰も憎まず、
誰に対しても怒らず、
「絵が描けるなら幸せで自由なんだ」
ってそう思いながら生きた。
ネーリの過去は、ものすごく私の実感が籠ってます。
実際には私の中には物凄い憎しみと、怒りがあって苦しくて、
ネーリのように朗らかには生きられませんでしたが。
でもその分ネーリは教会に関わり、お手伝いをし、人と関わり合って生きました。
綺麗な風景があったら「描かせてください」とお願いして、
彼は絵の才能があったので描いたら喜んでもらえた。
そういう人と人との交流があった。
朗らかな人柄でないと、出来ないことですからね😊✨
だからネーリの中に怒りや恨みは、そんな無くていいのです。
彼は才能があったので、早くから人に誉めてもらったり絵を喜んでもらえた。
そういうことがあれば多分怒りや恨みは薄くなって行けると私は思うので。
【花天月地】だと、
主人公の陸遜は、陸家と疎遠です。
孫策と陸康が戦い、盧江戦で陸康が死んだあと、孫家に帰順することを当主の陸遜が決めたので、陸家の人たちは「孫家に従うなんて。陸康の死を忘れたのか」と陸遜を「恩知らずだ」と思い、
陸遜を当主だと認めませんでした。
陸康の実子である陸績が本当の当主なんだ、陸績が成人したら、陸遜は当主の座を彼に譲るつもりでしたが、譲らなければ、一族から「譲れ。陸康との約束だろう」と苦言が出ていました。
陸遜が周瑜に評価され、呂蒙も評価してくれて、中枢に関わるようになったので陸家は陸遜に従うしかなくなっていきましたし、陸績と陸遜が仲が良かったので、陸績が「陸遜は頑張ってくれてる😊」と信頼していたから、言いにくかったんですね。
でも陸遜はそういう背景からずっと「あんな奴時期が来れば用無し」と一族の人間たちに思われて来た人でした。
血の繋がった人たちが、自分をまず嫌い、家に居場所がなくなったのです。
でも、血の繋がってない、孫呉の中枢にいる他人が、思いがけず自分を評価し、受け入れてくれました。親切にしてくれた。
陸遜は【呉軍】に居場所が出来ました。
もう家に居場所がないなど、どうでもよくなったのです。
家族に拒絶されたり排撃されても、
外の世界に飛び出して、他人が評価してくれたり、心を繋ぐことが出来たら、
人は全然生きて行けるのです。
花天月地は隠れ第二部なので描かれてないのですが、実は第一部では陸遜のそういう背景が描かれていて、【呉軍】こそ自分の生きる場所だ、と思えるようになって行く、新しい家族や仲間が出来て、過去の痛みを和らげてくれる。
うちの陸遜はだから、他人を守ろうとするし、他人を大事にするし、誰かの為に戦おうとする人になったのです。
自分を救ってくれた人たちだから。
他人に対する陸遜の感謝や、信頼は、間違いなく私の実感によって描かれています✨
【翡翠】のメリクの
「一番大好きな人に愛されることが出来なかった」
「一番大好きな人が一番自分を嫌った」
そのことに絶望して、
全てを諦めたけど、
だけど死んだりせず、何となく、生きて行く。
怒らず生きて行く。
生きて行くしかないから。
メリクの【苦しくても他人に怒らず生きて行く】というのもものすごく私がそういうの、他人と生きて行く為に大事だなと思って頑張った部分で、辛いこととか悲しいこととか、全く誰にも言わずに、でも他人ともあまりにもズレを生まずに生きて行く、難しさ、それを出来る強さ。
そういうのも実感です。
そういう人が好きなのです私は。
自分が苦しい時でも、
怒ったり他人に当たったりせず、
自分の味わった苦しみとか寂しさとか悔しさを他人に与えようとしない人。
悪しき流れを、自分の所で食い止められる人。
優しさや、強さで。
そういう人が好きだから、
そういう人になりたいと思って、
そう思うことで頑張れた。
そういうのは実感です。
でもネーリや、陸遜や、メリクだけが私の実感というわけでは全然ないです。
自分の母国を滅ぼしたヴェネト王妃に、今身を寄せる神聖ローマ帝国の為に、膝をついて挨拶した、怒りを封じ込んで礼儀正しく接したフェルディナントの強さとか。
その時のフェルディナントの辛さを友人として想像して、「あいつは俺なんかよりずっと辛かったはずだ!(だから俺はもっと頑張れる!)」って心を寄せたイアンも。
幼い頃死ぬほど引っ込み思案で全然上手く生きられなかった時、ネーリが声を掛けてくれて、寂しさや孤独から救われたラファエルの嬉しさ。
ああいうのも、私はそういう存在がいてくれませんでしたが、でも欲しいなとはずっと思ってました。そういう人がいたら、どんなに救われただろう? って思っていたのです。
それもまた、ある方向からの「実感」と言えますよね。
【実感】は色んな意味を持たせることが出来ます。
だから描くこと自体はとても簡単で、心がけて書けば絶対書けるものだと私は思っています。
誰にでも【実感】はあるはずなのです。人生における。
それなのに空想話だけで何もその中に実感を込められていないというのは、相当小説家としての資質が欠如してると言わざるを得ません。
上手くなくても、
実感が描かれてるだけで、全然価値ある作品になると私は思っています。
それは、他人の実感を他人が否定する権利何もないのと同じで、
実感はそこにあるだけで素晴らしいと私は思うからです。
上手いけど実感が全く描かれてない、心がけてる様子もない。
そんな作品よりも遥かに文章力はそんな無くても一生懸命実感を描こうとしている、そういうのが伝わって来る作品の方がずっとずっと魅力的ですね。
こういう作品は数を書いてれば文章力なんぞついて来ますよ。
文章力ついて来たらもう無敵です!✨
でも実感を書けていない、書こうとしてない、実感を書くという状態がどういうことか分からないなどという領域にある場合、文章力が高くとも永遠に書く話は空虚だと思います。
あともう一つ言っておくが、
自分の作品を自分で読み返してそこに自分の【実感】が込められているのか込められてないのか、そんな判断が自分で出来ない場合かなり読解力がマズいですよ。
そういう人はもはや書いている場合じゃない、読んだり見たりした方がいい。
所詮実感なんてのは本人しか分からない領域のことですから。
一度サポ限でいいから、自分の作品のここに【実感】を込めました! みたいなの自分で他人に説明する感じで書いてみたら一発で分かると思います。
都合のいい転生ものとかも知りたいですが、
個人的にやたらカッコつけて武器使って殺したりする戦記物とか軍事もの書いてる人とかに一体どこに貴方の【実感】を込めて書いたのか聞いてみたいですね。
私がああいうのに感じるのは逆に武器のことは知ってるけど実際の戦争のこととかは全然知らない無知さと破壊力ある武器に憧れる幼稚さだけなんですよね……。
ここに私の一番描きたいことが込められてるとか
どこに貴方の実感が入ってるのかすごく聞きたい。
それになるほどそこの部分に実感があるのかと分かればそこ読んでみるしね
実感が分からないと
「一体何が書きたいの?💦」感がやはり強くなるのかもしれない、って思います。