本日はタイトル通り。
ちょっと難しい創作論上級編です。
そこらの人ではちょっと分からない話になりますが、興味ある人はどうぞ😊
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私は何かを一番最初に【発見した人】や【発明した人】は凄いと思うんですよね。
それまでなかった、世界中の人が使えるものを、新たに世界に生み出すんだから。
常識にとらわれず、でも何かを直感に従って、真摯にやり続けた人だけが時折そういう、まるで精霊の囁きのような素晴らしいものを見い出して、それに光を当てる。
誰と言うわけではなく、
【人間】として一番尊敬するのはこの「一番最初の発見者」たちかもしれません。
どこへ行くかも確信の無い暗がりの道を、先頭で歩み続けるなんて、
本当に魂の強いものしか出来ないと思います。
すごい。
古くから筆と紙だけ握り締めて書いて来た我々にはあんまり関係ないことですか😊
そうかもしれません。
……しかしですね。
どうでしょうかみなさん。
特に初心者ではなく、長らく自分の物語を真摯に書いて来た人達。
自分の作品の中に「これは自分ならではの理論だ」「自分だけが描ける感性で描き出された文章だ」「自分だけが辿り着いた結論だ」
というような、しっかりと裏打ちされた理論に基づいた、展開、エピソード。
物語を書いたことはありませんか?
どういうことだろう?
って思う人も多いかもしれません。
単に「誰も書いたことのない設定」とかではないんですよ。
理論がちゃんと繋がっているもので、
例えばですね、私の作品には【魔術】が存在する世界も、もう存在しない世界も両方あります。現代とかも書いてますし。
しかしそんな中でも潜在的、水面下で【精霊法】というものがありまして、
物語の中ではそれがテーマでない場合、全く書いてないのですが、でも理論としてはそれが作用している、というものがあるのです。
私の作品全てに、この私が定めた【精霊法】が適応し、ジャンルが違ってもなんでも、全部です。現代でも、古代でも全てこの絶対的な精霊法が適応されていることになっています。
【翡翠】が魔術師主人公の話なので一番捉えやすいのですが、【世界は世界樹の枝葉のようにそれを中心に構成されていて、それぞれの世界は基本的に行き来は出来ない。
ただ、風が強い日に大きく枝が揺れ、たまたま枝と枝が絡まったりしてしまった時に、二つの世界が【遭遇したり】【接触したり】【接続されたり】することはある。
(【翡翠】で起きた【エデン天災】という大災害はこの理論で、二つの異世界が一時的に接続してしまって、異なる種が世界に混在し、大混乱が起きた)
でもそれは一時的なことで決して永続的にはならない。
という理論があり、
異なる世界を普通は行き来出来ないが、世界樹の領域で生み出された【精霊】だけは【六界】という(全世界)を意味する全ての世界を自由に循環し、行き来することが出来るという、
これが【絶対的な精霊法】になっています。
私の作る全ての作品に【精霊】が見える形であれ、見えない形であれ、必ず存在するように描かれるのはこのため。
精霊たちだけは自由に世界を循環しているので、
中には「幾度かまみえている魂」などが存在する場合、
特別精霊が一種の愛着を持ったりすることがあり、
【ジグラート】のネーリは精霊たちに<水の王>と呼ばれるのは、やはり他の人間よりも精霊と縁が特別深いことから起こっています。
私の作品に出て来る全ての優れた「才気や直感」を持った人は、潜在的にこの領域に属し、
三国志をモチーフに書いている【花天月地】で、郭嘉などが直感で官渡の戦いの時に、荀彧に「曹操殿は勝ちますよ!」って確信めいて言ったのも、ある種彼に精霊が囁いており「負ける気がしなかった」という面があります。
じゃあ私の作品に出て来る全ての優れた人間の才気や魅力は精霊のおかげなのかというと、それは違っていて、
大切なのは【精霊の祝福を受けた人間が、慢心せず、己を磨くこと】。
例え生まれた瞬間精霊の祝福を受けた分類に属していたとしても、傲慢に振る舞ったり、例えば魔術が存在する世界で、魔術師が「俺は精霊に愛されているから禁呪バンバン使っちゃえ」とかそういうことをすると、【精霊は背を向ける】という現象が起こります。
そうすると生まれた瞬間は精霊の祝福を受けた分類だとしても、精霊に見放されてただの人になることも大いにあり、
【人間としての努力】は永続的に続けることは不可欠なのですね。
この理論も全ての世界に適応されているので、
もしかしたら孫権なんかも「生まれた時は精霊の祝福を受けた分類だったが、ある時に人間としての性根が腐ったので最終的には精霊の守護を失った、堕落した人間に成り下がったやつ」なのかもしれないわけです。
私の作品は勿論、私の頭の中でもこの理論が全てにおいて適応するので、
現代アスリートなどでも、前も言いましたが「この人だけなんで今違う動きした!?✨✨ 今絶対この人だけに精霊が囁いたよね!?😇✨✨」と思うような人もいますが、理論にちゃんと当てはまるのですよ。
こういう、
「絶対的な理論」
とかを、物語をずっと書くことによって見い出したり、生み出したり、確立させた人とかおられますかね?
私はこの【絶対的な精霊法】という理論を潜在的に自分の作品全てに適応させていることから、全く色の違うジャンルを多彩に書き分けながらも、根幹には繋がっている理論が存在することから、そのことが強くいずれの作品にも共通する説得力の強さになっているのではないかと私は分析しています。
実はこれ、
無意識だったんですよ。
ずっと書きながら、
ある時自分の数多の作品の中に、共通する【支柱】のようなものがあると感じて、それを探していたのです。
それは最初は自分のポリシーとか、善悪判断とか死生観のようにも思えていたんですが、どうもそれだけじゃないなと思っていた時にある日魔術師主人公で【翡翠】を書いていて、世界を精霊法に基づいて分類した時に、
「私この理論に従って全ての物語を作っていたんだ!」
と気づいたのです。
例えば最初は力や才能があっても、どこかでねじ曲がって、全ての人生が狂っていく人間とかを、無意識に書いていましたが、そういうのが単に「悪心に目覚めた」わけではなく、そもそも才能あるが故に他人を見下すような人間になっていったことから、精霊の加護を失って行った、という言葉で「悪人が生まれる理由」などを説明出来るようになったのです。
他人を見下し敬意を払わない人間が、何故孤独になるのか?
「性格が悪いから」
まあ、普通はそう表現します。
では「心の中で他人を見下し敬意を払わない人間だが、それを表に出さなかったら、他人からは性格が悪いことは判別できないのでは?」と私は思うのですよ。
笑顔の優しい人間。
人望を集める人間。
「あの人がまさかそんな犯人だったなんて」とか言われる人とかもいますよね。
彼らはじゃあ一体どこから来るのか?
私は犯罪学とかも非常に捜査ドラマとか好きなだけあって興味あるのですけど、
「サイコパスだから」なんてたった一言で分類して終わらせて、そういう人間を分かった、理解した気になるのは違うと思うんですよね。
冷静に理論的に分析し、定義づけはしたい。
感情論にはしたくない。
でも自分の中でそういう人たちがどこから来るのか、自分だけが分かる理論でもいいからずっととらえたいと思っていたのです。
私は要するに、
「悪心を表に出さず隠せる人」
というのは。
【人間は騙せるが、精霊は欺けない】
異世界ファンタジーで言うと、こういう状態にあるのではないかと定義しています。
人間は騙せるけれど、魂が悪心に染まると、隠された邪悪な部分は必ずどこかで表層に出ていて、普通の人間はそれを見逃しますが、精霊はそういうのを見逃さないのです。
自分の隠れた、悪心、邪心によって、段々とやはり堕落し追い詰められていく理由は、このあたりにある。
人間を見ていると「このひと、報いを受けたな」と感じるような人もいます。
ああいう時に非常に冷静に「ざまあみろ」とか喜ぶのではなく、
淡々と「まああんなことをしていては、精霊の目に留まるわな」と納得出来るようになったんですよね。
ある宗教では「偶然」は存在しないらしいです。
全て、何か意味がある。
悪いことでも、
意味があるらしい。
でもそれって恐ろしい考え方じゃないですか?
自分が圧倒的に悪くない、絶対悪くないのに、何か大きな不幸があった時にもそういう人たちは「何かこうなった意味がある」と考えなければならないらしいのです。
私はこれ聞いた時、絶対そんな厳しい考え私は出来ないし したくない!!😱💦と思いました。
例えば何も悪くないのに犯罪に巻き込まれたり。
それこそ災害に巻き込まれたり。
することだってありますよね。
そんな時「私がこうなった意味があるんだ」なんてやっぱりすんなり思えないですよ。思えないですし、とてもじゃないけど被害者の人にそんな心無い言い方出来ません!💦
しかし、自分自身のこととしては、この方たちはやはりそう考えるらしいのです。
そうなった理由は「すぐに分からない時もあり、ずっと長い間分からないままで、ある時に【このためだったんだ】と気づいたりもするらしい。
なかなか難しい考え方ですが……。
ただ私は自分の中で作品を真摯にいくつも長編を書くうちに、
やはり段々と「こういう人間は書かない」「こういう運命は書かない」みたいなのが生まれるようになったことに気づきました。
例えばカクヨムで蔓延する【転生】ですよ。
全然徳も積んでない人間が死んだだけで努力もせず以前よりもいいものに【転生する】。
こういうものは私の世界観には絶対に、永遠に、発生しない現象なのです。
それこそ【精霊法】に反しているからなのですね。
人を裏切りまくって来た人間が、ある日「裏切るのをもうやめよう」と決めたところで、そこから嘘のように幸福に生きれる。そういうのも発生しませんね。
非常に不自然な【精霊の動き】が生まれるような現象は、
いつしかきちんと書かなくなりました。
この不自然な【精霊の動き】というのは、あまりに祝福を与えられても、水をあげられすぎて根が腐り栄養過多で花が死ぬこともあるように、これもまた不自然なのです。
なので私の作品には優れた人間、精霊の祝福をまるで受けたような人間はいますが、【栄養過多のように理由もなく与えられ続ける】ことは絶対にないように書かれています。
【晴明さん】のラストなのですが、あのラストで溌春が使った技は、結界の支柱に攻撃を加えることで、瞬間的に精霊の自動浄化システムを起動させ、コピー機が対象物をコピーするように無幻京を精霊たちが一瞬にしてデータを再取得し、その時に無幻京全土から「異質な精霊の集中的な動きがある部分」を瞬く間に割り出し、発見し、そのままではそこから結界が崩れる、異質な局地になってしまうので、それを早期発見して、大地を平らにするように、【異端を排除する】=自動浄化システムのような、精霊法には存在しているのですが、
実はそういう【精霊を反応させ自動浄化システムを起動させたことにより、結界の揺らぎとなる基点を暴いた】という術なのですけれど、これも別の作品でも実は全く違う魔法として存在しますが、【精霊法】としては世界共通に存在する理論の一つなのです。
だからあまりに力が過剰に与えられているものも、
あまりに力が過剰に奪われている状態も、
私の世界の【精霊法】に則ると【異端】と判断されて、排撃されるかたちで恩恵を失ったり、逆に力が異質に奪われていると判断された場合、精霊たちにより直ちに恩恵が補填されることもあります。
よって、ある意味で精霊法の下では人間はちゃんと平等であり、
つまるとこやはり人間の優劣、人柄の善悪、才気、魅力などは個人の人間の努力や心がけにより生まれるものだけが【精霊の目を引かない、自然なるもの】とされ、容認される。
というのが、
私のものの見方です。
ですから狡いやり方とかやってる人間は「必ずそのうち報いを受ける」と揺るぎなく私は思っているので😊 こいつ狡いやり方してんなーとか思っても、基本的に無視するのです。
ああいうやつはそのうち精霊の目に触れて、精霊法により報いを受けて必ず破滅するでしょう、と思えるからですね。
そしてスポーツとか見てても、つい懸命に頑張っているのに報われない選手とか、才能あるのにいまいちまだ開花していない選手とか見つけると、ついつい応援してしまったり、大丈夫! 絶対こんなに才能があるんだから活躍する日が来る!✨と思って見続けて、やはり活躍する人とかに遭遇するとやっぱりだああああ!!!!と嬉しくて仕方なくなり、良かったね~~~~😭✨✨と号泣させてもらえて幸せになれるのは、
「こんなに頑張っている人が報われないはずがない!」
という感情論や綺麗ごとというより、
私が圧倒的に信奉する自分だけの理論【精霊法】によると、そういう人間は必ず報われることになっておるからだ という非常に冷静な分析によって算出された、予知がなされるからなのです。
私がたまに「この人、何かを感じる……」などと言ってる時は、あれ実は【精霊の動き】を強く感じ取っているからなのかもしれません。
だけど大概私は「何かをこの人から感じる」と言った人、やはり才能や魅力を持ってたりしますよ。
それは、例えばアスリートとしての動き、取り組み、小説家として描く内容、どこまで深く考え抜いているかとかを、一人の人間として私が色んな人をしっかり見て、見極めたり感じようとしているからこそ、時々精霊がそういうのを知らせてくれるのだと思うのです。
私が他人に全く興味を示さない、他人の魅力とかをいつでも探してない、人間の力や才能を全く信用していない人間だったら、多分そういう人たちをいくらでも見逃すと思うのです。
いい人や、
いいものを。
いい作品を。
いつでも真剣に探しているからこそ、
見つかることがある。
感じ取ることがある。
こういう所に【精霊が見てくれている】部分を感じるのですよね。
皆さんはこういう、自分だけの、どの作品にも適応するような圧倒的な理論や世界の仕組みなど、発見したり見い出したりしているでしょうか?
私こういう部分まで自分の作品を突き詰めて、深く深く掘り進めれば、私たち書き手、作家にも【一番最初の発見者】【一番最初の発明】【自分だけが気づいた理論】とか、生み出せるんじゃないかなと思ったりするのです😭
陸遜なんかはあんだけ苦労して、懸命に生きて、
人に誠実に向き合い、自分自身も真摯に生きようと努力し、実践した人じゃないですか。
ある時気づいたんですよ。
「そんな人が最後、苦しみの底で死んで行くはずがねえわ」って。
きっと陸遜なんかは最後の最後、精霊の導きにより、敬愛する人たちと同じ場所に魂は辿り着けたと思いますよ。
私はこう考えれるようになって、陸遜の死の瞬間見た風景は【花天月地】。
ひどく美しいこの世の風景だったんだろうなと思えるようになったわけです🤗
結局何の話だろうと思いましたか?
まあそうでしょう!
ここまでの話を「わかる! わかるよ! 七海さん私ものすごい分かりますよ!」なんて言うやつがゴロゴロいたら、もはや恐ろしいです。
上記の話は私が子供の頃からずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとたった一人で、孤独でも、書くな!! 言われても「断る!!!💢💢」と戦いながら長編小説を書き続けて来た結果、人生の途上である時気づき手に入れた思想なのです。
そこらの奴が労もなく上記の話の根幹が分かったら、おかしいレベルの非常に精神的に高度な領域の精神論と言ってもいいので、ごく一部の人しか初見では分からないでしょう。
しかし中には、私と同じように真剣に自分だけで書き続けてきた人は「なんとなく分かる気がする……!」「別の形だけど、私の話にもそういうのある」みたいな何かを持ってる方は当然いる可能性は皆無ではないとは思っています。
いつか「七海ポルカが言っていた【書かないもの、書きたくないものは自ずと運命のように決まって来る時が来る】ってこのことか?」と分かる時が来る方いるかもしれません。
その時の為にぜひ聞いておいて損はないです。
私は思うんですよ。
普通の人は、
「他の人が全く書かないものを私が書きたい!!」と思うと思うのです。
「とにかく他人とは被らない設定や内容を!!」と。
しかしもっともっと書き続けると、
ある時自分の中に「誰も書かないものを書きたい欲」よりも、
「自分の書きたくないものは、死んでも書きたくない欲」
というのが生まれて来るのですよ。
これ持ってる人いますか?
私無茶苦茶あるのです。(上記の【転生】もそうですが、他にも絶対書きたくないものはたくさんある)
実は自分らしい話、
自分にとって大切な話、
自分が書きたい話。
そういうのって
【自分が絶対書きたくないと思うものを書かない!!!】
ということを突き詰めて行った所に現われるんじゃないかとも思うのです。
何でも書いてみようじゃなくて。
自分が絶対書きたくないものを知る。理解すること。
そういうところにも自分の魂なんかが強く表れること、ある気がしますね。
さて。
恐ろしいことにここまでが前置きです🥰
【花天月地】第65話【歪む天と地の轍、尾びる星】。
これは三国志をモチーフに書いた【花天月地】でも少し異質なエピソードで、
上記で書いた【精霊の循環】という精霊法が大いに関わっていて、
三国志に精霊法を掛け合わせて、こうまで描けるのは長い間ファンタジーや魔術、精霊というものを書き続けて来た私しか、まさに書けないタイプの話。
それゆえに非常に自分でも思い入れが強く気に入ってるエピソードの一つ。
こういうの考えると、やはり私は一番最初に三国志とか書いても全然深みも重みもない、書けなかったと思うのです。
これより前に死ぬほど魔術とか精霊を書きまくっていたことで、それが土台となり、三国志というものを独自の観点から、独自理論に沿って歴史小説ながらも、史実だけに囚われず、人間の魂とか、運命とか、非運命とか。非常に多層的な書き方が出来るようになったんだと思います。
だから順番で言うと、絶対【花天月地】は書く順番私にとって後の方じゃないと上手く、書きたいように書けなかった話なのです。
今はもはや時は満ちました。
すべての条件が揃い、私自身も実力を付けたことで、今なら書きたい自分だけの三国志が絶対描き出せると思います。
このGW、ちょっと集中的にまた【花天月地】書きたい。
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(私も殺されるなら)
この廬江、
陸康を守って、いずれ赤壁で周瑜のために命を捧げる孫策に殺されたい。
それ以外には無い。
陸家の魂を守って、孫家の者に殺される。
(それが私の運命)
それが叶うなら恨みなど何も無い。
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この話の一説に、この文章があります。
これは集中して書いてるうちにスッ✨と書いた文章なのですが、
あとで見返してみると、
まさに陸遜と孫家の関係性を的確に、でも魅力的に、運命的に、端的にこれだけの文量で書き切っていて、
自分でも唸るほどの出来です。
この話の要点は陸遜と龐統なのですが、
この二人を突き詰めて書いている時に、ふと陸遜と孫家の運命の形を捉えた瞬間があったのですよ。
これは陸遜が、孫策に対して思った事なのです。
陸遜が育ての親である陸康を失った盧江戦。
ずっと彼の胸にあったある後悔を、一瞬の精霊の導きで取り戻す機会が訪れます。
陸遜は「自分こそあの地に残って、陸康と陸績を逃がしたかった」と、
私の中ではですよ。
私の中の陸遜という人はずっとそれを心に刻んでいた人だと思うのです。
だから、自分を生かしてくれた陸康への想いが凄く強い。
彼に託された陸家への想い。
一族を背負ってるから、どんな運命でも背負って、戦って生きるんだという、
陸遜という人を見ていて「何故この人はこんなに強く、情け深くいられるんだ」という圧倒的な疑問。
そういう答えの、泉になる領域が陸遜の心の奥底にはあって、
ずっと彼が誰にも打ち明けず、自分の聖域として疲れ果てた時にはそこに舞い戻り、いつも魂を癒して、戦う意志を取り戻して来た場所。
そういう場所が出て来ます。
陸遜というひとは、
盧江を攻めた孫策を、どんな風に思っていたのか?
陸遜と孫権の関係はよく分かっても、
実は孫策と陸遜の関係性は、非常に謎めいています。
陸遜は孫策の死後、弟の孫権に代替わりしてから出仕しました。
だから陸遜の主君はただ一人、孫権だけなのです。
その、孫権への深い献身性から「兄を死ぬほど憎んでたら弟にこんなに真摯に仕えられるはずねえ」と思うため、そういう読み解き方しか私は今まで出来なかったのですが、
やはり【花天月地】と【赤壁の戦い】を二つここまで書いて来ることで、孫策と陸遜の関係性も自分の中である程度固まったのです。
うちの陸遜は孫策を全く恨んでいません。
盧江戦は仕方なかったことで、孫策も当時、袁術に従うことしか道が無く、酷く苦しんでいたことを、陸遜は周瑜を通して孫策の事情を知りました。
だから孫策も苦しんでいたんだと理解したことと、
赤壁で孫策が最後に「お前の代わりに俺が戦ってやる」と言ってくれたことで、
戦を引き受けようとする、彼のそういう運命にあることを実感した。
この二つによって孫策への恨みとか怒りは全て無いことがはっきりと明確になり、
その時の陸遜の心の内が上記の文章になります。
これは孫策と彼の関係性を話したものですが……。
……実はそのまま、【二宮の変】で陸遜の身に起こる運命すら暗示していて、この中に綺麗に当てはまっており、
実はこの文章で、まだ書いてない、はるか遠くの【花天月地】のラストの陸遜まで潜在的に語り切っている所が陸遜好きには秀逸すぎる文章なのですよ。
この文章で、
陸遜は暗に
「この先に何があっても、孫家の人間を私は許す」
「それが私の運命だから」
とこの段階ですでに心の中で受け止めているのです。
陸遜の最後を、非業の死にする人なんていくらでも見て来ました。
全く工夫もなく、みんな疑うこともなく陸遜の最後悲惨だと言いますし、
そういう書き方をします。
私だけは多分、違うものを書けますね。
そういう人たちとは違うものがこの段階で見えてる。
捉えられていることがはっきりと文章化されていることに、我ながら感動するわけです。
皆さんもこんくらい熱く事細かに理論立てて「だからこれは凄いんですよ」と自画自賛出来る自作のエピソードお持ちでしょうか?
まあこういう場所の自画自賛はあんまり褒められることはありませんが。
しかしちょっと思うのです。
自画自賛も、本当にいいもの書けていたらたまにはいいのでは。
むしろこれくらいの自画自賛を出来るものを持ってないことの方が、【書き手】としては致命的なのではないのかな? って私は思いますので、
胸を張って【花天月地】第65話の持つ意味合いすげぇんだわ と言わせていただきましょう!🥰
さて! そろそろ恐ろしい文字数制限鬼軍曹がにらみを利かせて来る頃合いでしょうか! 熱く語って4月が終わります!
体調良くなるくらい雨が大好き✨
という異質な体質を持つ私にとってゴールデンタイムというべき【梅雨】という最高の季節がこれからやって来ます!!