• 異世界ファンタジー
  • 歴史・時代・伝奇

第104話【晴れの都】

どんどんやってこう~~~~~!!!

_______________

①
徐庶
「俺のような人間は自分を取り繕えば取り繕うほど、
 他者に警戒されて他者からの信頼を失う。
 今回の涼州遠征で君が俺に言ってくれた言葉で、俺は窮地から救われたことはたくさんある。
 君がいなかったら俺は多分、涼州で死んで今ここにはいなかっただろう」

_____________

②
曹植
 曹沖は利発で、才気があった。
 若いながら馬や動物の扱いも上手かったし、
 性格は朗らかだが、周囲の人の話をよく聞き、自分の意見も述べる時は述べた。
 その意見は子供ながら善悪の判断がよく行き届いて、
 大人から教えられるだけではない気概を感じるものすらあった。
 青年になったら、きっと王者の光を纏っていたはずだ。

________________
③
曹操
『倉舒が死んだことを喜んでいるのだろう!』

_______________
④
曹植
(あなたは星の導きでこの地に来て、そのことをきっと知っていた。
 だから私の妻にはならなかった方なのだ)

_____________
⑤
荀攸
 ……曹植はこういう所があるのだ。
 愛されて育った為、大らかであり、人の懐にあどけなく入り込む。
 それは美徳でもあるが、要するに――慎み深くないのである。

_____________

涼州編が落ち着き、陸遜たちが帰還しますが。

この話は再び次のエピソードの始まりになっています。
やはり長編小説は隙見せたらダメですね。
何度か言ってきましたが、こういうエピソードの間の幕間的な話は作者も油断していることが多く、すっごいつまらない話になっていることが多いです。
絶対にいけません!!

長編小説ではこういうところきっちり書いて、他の話と格の差を出しましょう!😊

オーソドックスな戦法ですが、「すでに次のエピソードの始まりを被せる」という戦法を取ると、エピソードの間の隙間が無いままこうして次の物語に移行できます。

また「きちんとした充実した幕間を考える」も、きちんと一つのエピソードの終わりを作り、美しいラストにする意味合いでもいい終わり方ですね。

なんとなくフワフワした展開にするのが一番いけません!

間を置かず次のエピソードを始めるか、
魅力的な幕間エピソードをきちんと用意するか。
それとも別の魅力的なエピソードを作って下さい。

こういう終わりと始まりの間のエピソードは、何にも考えずに書くと本当におもんないエピソードになりますよ。

それが普通です。

つまりこういうエピソードで何もおもんなく書く作者は凡庸です。
何も考えてない。

やはりプロ意識のある作者はこういう所をきちんと「意図」を持って書きますね。

心の審査員七海ポルカならこういう部分ちゃんと書いて来る人いたらこの人無茶苦茶実力あるなと思いますな!!😊✨

①うちの徐庶さんもなかなかちゃんと男らしく言うようになってきましたな!
やったぜ!!

こういう幕間エピソードで【新キャラ】を出すのは結構有効な手。
まとまりがいいですからね。ぽんぽんぽんぽん新キャラ出すと読み手に嫌われますが、こういう【涼州編】みたいな大きなものが終わった時は読み手も新たなる空気感求めてますので、そのタイミングなら双方合意の許で「新キャラ」を出せる形になります!

私は今回の幕間
・帰還と同時に始まりのエピソードをぶち込む&新キャラ登場で完璧なる理論武装をいたしました!
 曹植はまあ天才肌だったんだとは思います。
 そこに曹操からの圧倒的な愛情がありますので、大らかな人かなと。
 私の場合はこの話でも少し書いていますが、曹操と曹丕を客観的に見てるポジションかなと。

 あまりに曹操に取り込まれていたら全然曹操を唸らせるような詩は絶対書けないよなーと思うので。
 寵愛は受けているけど、自分のことも客観的に見られる部分ないと、曹植の自我が見いだせない。

 だからうちの曹植には一定の「兄を慕う心」はちゃんと存在します。
 それを曹操の前でも公にも安易に出してはいけないのは分かっている。
 それくらいの知恵はあります。
 曹丕の笛を「上手だが好きじゃない。だがそれは口に出さない」とかも出来る。

 芸術家の人ですね。人の心の機微に聡いです。
 
 だから人の心を揺さぶれる詩が作れる。
 
 その代わり、いつも目に映る世界が鮮やかで楽し気に輝いている人なので、曹丕の見ている「神のいない世界」を本当に見ることは出来てない。
 曹操の庇護がなくなった時に初めて彼はそういうものを目にするのだと思います。
 曹植は失って更に書ける詩の領域が増えそう。
 
 ですが、それこそ詩は詩です。

 魏の王は強くなければ国をまとめられません。
 帝だって側にいるのですから。隙を見せている場合ではないのです。
 
 曹植はそれなり曹丕を慕っています「自分があれほど父親に憎まれたら生きて行けない」と言ってるのもそう。曹丕は生き抜いたわけですから。尊敬の念もあります。

 だがこの兄弟は曹操のせいでそれを表現する方法がないのです。
 唯一曹植が兄を褒め称えられるのが、敬愛する甄宓を間に「このような女性を妻にする方は素晴らしい」と称賛する時だけ。

 うちの曹植は甄宓を本当に愛していますが、兄の妻であることはもう受け入れており横恋慕とかは一切しません。
 でもその気持ちがあるからこそ純朴に「義弟として仲良くしていただければ嬉しい」などと会いに行ってしまう。

⑤で荀攸が「こういう所がある」と言っているのはこういう点ですね。

愛に慣れている人間って、愛で何とかなると信じているというか、愛で必ず人が救えると信じてるような鬱陶しい所を持っていると私は思うのです。

いや。いいことですよ。自分は誰かに愛してもらったから、自分も誰かを愛して幸せにしたい。その人の中にそういうことがあるのはいいことです。

でもだからといって他人も全て愛せば救えるとか思うのは思い上がりで、
押し付けられる愛情が本当に鬱陶しくて嫌な人もいる。

曹植は詩人なのでそこまでそういうの弁えてない人ではないですけど、多少愛の素晴らしさを知っている面はあります。

曹丕なんかは全く愛情を当てにしていません。

そういう兄の世界を「強いけど悲しいな」とか思ってしまう、そういう所は曹植にはあります。

うちの曹植は全く王の器ではなく、彼自身それは自覚あったので、②が彼の理想だった。

曹沖までの繋ぎとかでも全然良かった。曹植もそういう意味で曹沖を可愛がっていたんだと思います。でも曹丕からすると多分曹沖を可愛がることすら許されなかった立場なのでは? って思います。荀彧と一緒なんだよね。曹操って自分の大切なものに曹丕が近づいたりするとすぐ自分を誑し込むつもりかとか思って怒りそうなとこある。

まあその結果紀元後でも類を見ない③みたいな駄目パパ屈指の名言が飛び出すわけです。


まあ②ですかね。


まあただ倉舒若かったですから。12歳くらいで亡くなっている。

それでいつまでも「この人が生きていたらきっと立派な王になった」とか言い続けるのはさすがに限界があると思います。
人間、生きながら色んな経験をしながら、木のように曲がったり折れたり持ち直したりするもの。さすがに12歳の死んだ少年を頂点に持って来て「彼が生きていたら誰も敵わない人間になっただろう」は根拠なく言い過ぎですし、生きている人間の苦労を舐めすぎています。

私も「いい大人になっただろうなー」くらいに曹沖は留めていますよ。

誰も死んだ人間を悪く言いません。
むしろ美化6割マシくらいに言うものです。

生きてればつまり、60%オフですから、逆に早世してあまりによく言われ過ぎている人は人間としての総評60%オフだと思って考えた方がいいと思いますね。


まあ②にしておきましょう!
_____________

②
曹植
 曹沖は利発で、才気があった。
 若いながら馬や動物の扱いも上手かったし、
 性格は朗らかだが、周囲の人の話をよく聞き、自分の意見も述べる時は述べた。
 その意見は子供ながら善悪の判断がよく行き届いて、
 大人から教えられるだけではない気概を感じるものすらあった。
 青年になったら、きっと王者の光を纏っていたはずだ。

________________

出来のいい優しく優秀で良き少年だったことは伝わって来る。
まあ曹沖はそれでいいじゃないか。

曹沖そんなに褒めるならその十分一でも曹丕誉めたれや曹操コノヤロー😊

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する