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昔作っていたゲームの話をちょっとしようぜ


もう10年ほど前のことになりますが、趣味でゲームを作っていたことがあります。
もしかすると、その縁で僕の小説を読んでくださっている読者の方もいらっしゃるかもしれません、ごきげんよう。お元気ですか。達者であれば嬉しいです。
今回は昔作っていたゲームの話をしようと思います。

個人がゲームを作るためのツールは、今は色々とあるそうですね。
当時はRPGツクールシリーズがメジャーだったのではないかと思います。
僕が使っていたのは、RPGツクールVXというものでした。
専門知識が無くてもPCゲームを作成できるソフトです。

僕が作ったのは『さよなら、勇者』と『さよなら、魔王』というゲームでした。
魔王のほうは前後編の二本立てで、短い前日譚と後日談もありました。
どちらもシステムは一般的なRPGで、ストーリーは少しダーク寄りのファンタジーでした。
良くも悪くも、話題作となれるような特筆すべき点の無い、ありふれたRPGだったと思います。
当時のブログは閉鎖しましたが、配布サイトには登録が残っていますので、どのようなものであったのかは名前で検索するとまだ出てくるようですね。

なにゆえ唐突に昔作っていたゲームの話をしようと思ったのかといえば、次に書く物語をどうしようか悩んで、色々とネタ帳を見返していたら、懐かしくなって、この思いを留めておきたいと思ったからです。
以前から自作のゲームを自分でノベライズしたいとは思っていて、けれど、今の自分に書くことの出来るものはどれだろうかと、10年の月日を感じています。
しかしながらあの頃作った物語が、今でも自分の創作物の根底に流れているように思います。
煤けたように薄暗いもの、どうしたって零れ落ちてしまうもの、戻るつもりのない踏み外す一歩、救済と厄災を背負う者、それでも希望を諦めない者。
あれから10年以上の歳月が通り過ぎても、自分の中に変わらないものがあって、それをまだ抱き締めて歩いている。
幼少期から自分の世界を色々な方法で表現しようとしてきましたが、「完成させた物語」としてはあのゲームたちが自分の原点です。

ゲームでも小説でも音楽でもイラストでも、いずれの創作活動においても「作品を完成させる」というのは、とても険しい道のりですよね。
あるいは日常生活でも、仕事でも、プライベートでも、何かひとつのことを終わらせるというのは、なかなかどうして難しい。
途中で投げ出したことを数えたらキリが無いほどで、むしろ完成できたもののほうが少ないかもしれないと思う時さえあります。
そうして完成させたものを公開しても、評価されるとは限らない。
完成させたことによって達成感を得て、公開したことで客観的に存在した証明を得て、それで満足というようなところはあり、承認欲求を満たさなければ我慢ならないというわけではありませんが、とはいえ多少なりとも努力や苦労が報われる瞬間は訪れてほしいと思います。
それ以上に「共感が欲しい」と思う瞬間があります。
つまり、どこかの誰かひとりにでも刺されば、やったぜ☆と感じるわけですね。

実際、当時、ファンアートを描いてくださった方がいて、僕はもうそれが嬉しくて嬉しくて。
僕もその方も、あの頃とは生活環境や興味や、そのほか人生の色々が変わってしまって、もう二度と交わることは無いのかもしれませんが、あの時という一点が交差したことを僕は今でも光栄に感じます。
今はこうして小説を書いていますが、応援コメントをいただけるのも大変励みになります。
僕の作ったものをふとした瞬間にでも思い出していただけることがあれば、出来ればそれがプラスの方向性であれば、とても嬉しいですね。
やはり、自分の好きなものやこだわりを理解してくれる、共感してくれる相手がいるということは、作り続けるエネルギーになりますね。
自分の好きな雰囲気を同じく好きだと感じる誰かがいる、自分の作品を通してその誰かを見付ける。そして貴様を道連れにする。

10年が過ぎた今になってプレイしてみたら、バランス調整はまったく上手くいっていないし、攻略方法のレパートリーが無いし、イベントももう少し上手く表現出来ただろうし、エンディング分岐も分かりづらいし、というふうに至らないところがたくさん見えてきます。
けれど、あの時の自分が自分なりに精一杯やりきったのも事実です。
何よりあのボリュームをひとりでよく完成させたなと思いますね。
途中で諦めることも出来たし、手を抜くことも出来たけれど、あの頃の自分はそれをしなかった。
自分の中で納得するレベルまで作り上げた。
今になって思い返してみても、それだけで十分に「よくやった」と言えるのではないかと思います。

ノベライズしたい、というよりノベライズ出来そうかなと思っているのは、『さよなら、勇者』『さよなら、魔王』のシリーズではないのですが、これらは主にシステムの都合からゲーム化を断念してしまったもののプロットやイベント表は用意があります。
それをベースにして少し書いてはみたものの、なかなか思うようにはいかないものですね。
たとえば「ダンジョンに挑む」という物語の場合、メインはダンジョン内部での出来事になるわけですが、だからといってダンジョン外部での出来事を書かなくて良いわけでもないので、内部と外部のバランスが非常に悩ましいです。
そもそも物語の始まりをどこスタートにするか、これってゲームならプレイヤーが周辺を探索して手探りで情報を繋ぎ合わせて想像することが出来るのですが、小説になるとそれが出来ないので、もともとゲーム用に作った設定をどのようにして文章にするのか、思っていたよりもずっと難しいです。
魔法ひとつにしても、どのような呪文を詠唱しているのか、あるいは魔法陣を描いているのか、ゲームでは描かれなかったものを描写する必要があるので、当時の自分がどういったものを想定していたのか、思い起こす作業が挟まります。

10年ほど前、僕はいわゆる引きこもりでした。
学校にも行けず、部屋から出られず、かなり苦しんでいました。
これだけの歳月を経てもなお、苦しみのすべてが消えたわけではないことも感じます。
けれど、そんな中、ゲームを完成させたことで、僕の引きこもりが終わったんですよね。
ゲームを完成させられたから社会復帰が出来たのだと思います。
ちなみに、ゲームと同じ時期に苦しみ悩んだ日々の証左として『今日、風と征く』を書きました。

僕にとってはいつまでも、自分の世界を形にすることは、自己の救済なのだと思います。
あの頃の自分を救うために書いているのだと、そう感じる時が今でもあります。
多くの登場人物たちが救済を切望するのも、このような背景があるのかもしれません。
ただ、10年も経ったのですから、今では少し「あの頃の自分と歩いている」という感覚に近付いたようにも思います。
だからやはり、今でもなお、原点と同じ思いを大切に抱いたまま歩いているのでしょう。

思い返せば、めちゃくちゃ大変だったな。
けれど、同じか、それ以上に、楽しかったな。
今の僕がこうして小説を書いていることも、10年後の僕は懐かしく愛しく思うのでしょう。
そういう日々が訪れるために、僕はまた一歩、あの頃の自分と一緒に歩いていきたいと思います。

そろそろ僕も魔法を書きたいので、次の長編はファンタジーでいきたいと思っています。
今のところ、願いを叶えるために亡国の魔境へ挑む6人の冒険者たちの話(翳りのダフネ)が優勢ではあります。
鯨や終末で書きたいところをある程度書き上げたら、本格的にファンタジーに取り掛かろうと考えていますので、これからも応援いただければ幸いです。

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